Monday, March 30, 2009

蘇我



第5高炉の解体が進むJFE蘇我工場を見学。高炉(稼働している第6高炉)は見てもつまんないよ…ということで圧延過程を追って工場を歩く。1200℃の鉄の塊は、数十メートル離れていても火傷しそうな熱波を送っていたが、鉄鍋を焼くといった種類の匂いではなく「春は鉄までが匂った」りはしなかった。それにしても、やはり高炉は真下から見上げてみたかった。

Sunday, March 29, 2009

検見川送信所



蘇我の製鉄所を見学出来ることになったので、その前に検見川の送信所に寄って行った。

Wednesday, March 25, 2009

わさび田



キハは非電化であるJR西日本の区間まで。電化された南小谷から南はJR東日本になる。佐清の逆立溺死体が発見された青木湖、珠世さんが溺れた木崎湖と犬神家スポットを車窓に見ながら穂高へ。穂高駅前からは自転車を借りて大王わさび農場へ向かう。わさび農場は想像を上回る大観光施設だったが、美しいわさび田はがっちり確保されている。わさび丼と湧水コーヒーをいただき、再びチャリ。穂高川沿いのわさび田を回る。美しい風景もいいのだが、篠ノ井線沿線に比べ、このあたりには廃屋がほとんどなく、少しがっかりした。大糸線で松本に出て、松本から甲府行で甲府へ19時に到着し、ほうとうの夕食。甲府からの上りはすっかり空いていた。

大糸線



翌21日。長野駅から信越線の始発で直江津、直江津駅からは北陸本線で糸魚川へ。糸魚川では、次発の大糸線の時間までしばし散策する。街道ぞいには雁木造の街並も残っているが、線路沿いの中央通りという名の飲屋街が味わい深い。駅に隣接したヒスイ王国館の喫茶店でモーニング。入線時間に駅に戻る。大糸線(キハ52)の人気はかなり高い。朱い国鉄色もいいが、やはり青い旧国鉄色がたまらない。

Tuesday, March 24, 2009

善光寺平



上諏訪発の長野行に乗って長野へ。中央線から篠ノ井線に入り、日本三大車窓だそうな姨捨あたりから見る善光寺平の大パノラマが確かに素晴らしい。姨捨駅はさらにスイッチバックというサービスまで。長野からは少しだけ長野電鉄。目当だった日比谷線3000系とは出会えず。東急8500系で権堂へ。旧鶴賀遊郭あたりの権堂駅東側と、権堂駅西側のアーケード街あたりを徘徊する。アーケード街では現役最古だという映画館の相生座を眺める。こちらで「おくりびと」を見たかったが、最終回には間に合わず。アーケード街を善光寺の参道まで抜け。数十年ぶりに善光寺にお参り。参道のレストラン五明館で、わかりやすく池波正太郎推奨のステーキと吉田健一推奨のオムレツの夕食。

那須湖



20日、大月までしか乗ったことの無かった中央本線の先の方へ行ってみた。小淵沢行の列車を甲府で下りて補給をとり、長野行きの列車に乗り継いで上諏訪で下車。昼食には信州蕎麦をいただいて、横溝正史ゆかりの諏訪をぶらつく。散策で足が疲れたところで、片倉財閥が1928年に建立した千人風呂を擁する洋館の片倉館で休憩。ひと風呂浴びて休憩室に行くとWBCの韓国戦をだらっとやっている。片倉館の屋上から諏訪湖を眺め、階段を下っていくとホールに肖像画が。瞬間「うわっ佐兵衛翁」と目を見開いたが、勿論そんな訳はなく、シルクエンペラーこと片倉兼太郎翁の重々しい肖像画であった。片倉家は犬神家のモデルでもある。

Sunday, March 15, 2009

公団



善通寺川を伝って、公団阿佐ヶ谷住宅と公団荻窪団地をはしご。スターハウスは西側の2棟が消失していた。

Thursday, March 12, 2009

日本橋



またまたサンシャインで古本市が開催されていた。小村雪岱による装幀の泉鏡花「日本橋」復刻版を購入。(via iPhone)

Sunday, March 08, 2009

野火止用水



旧東村山陸軍少年通信学校の建物は、2月6日〜3月19日の国有建物等解体撤去等工事によって跡形もなかった。ひと月遅かったようだ。

Wednesday, March 04, 2009

寒桜



護国寺を散歩。寒桜にメジロが集っていた。

Sunday, March 01, 2009

都営武蔵野アパート



初心に返って、武蔵野で都営アパート。最初期の1953年のものと思われる棟は、一部解体準備に入っていた。

烏山団地



烏山に行くのも、もう6年ぶりぐらいになるんだろうか。烏山〜成城学園前〜二子玉川〜調布とバスに乗る。調布市内で大野雄二の演奏が聴けるということで柴崎へ。ルパンはもちろん、「犬神家の一族」に参った。