Wednesday, December 31, 2014

除夕



湧水の大行列を分け入って持ち帰りの蕎麦を購い、バスで三鷹へ。さいかんやリスボンはもう休みなので、人形の館に伺って無沙汰をお詫びし、BLTサンドをいただく。全く今更の話だが、ミハラビル及び人形の館のオーナーがブルーコメッツの三原綱木氏だったことを知って驚いた。何だかどこかで似たような感想を抱いたことがあった気がして考えてみると、下北沢の葬儀店・金子総本店の代表が金子マリさんであることを知った時のことだった。

三鷹駅前から玉川上水を歩いて井の頭公園に出る。吉祥寺で楳図先生でも見かけたら縁起がいいと思ったが、賑わいの中にその姿は見えず、食品を適当に見繕って帰る。帰宅してバリカンをかけ、TVをつけてみると、楳図先生は笑ってはいけない囚人として出演されていた。湧水そばは、店の方からくれぐれも上手に茹でるように念を押されたので、慎重に茹でて美味しくいただこうと思う。

Sunday, December 28, 2014

秘宝殿



年内での閉館が決まっている鬼怒川秘宝殿に駆け込みで参じる。大宮で知人と待ち合わせて車に乗り込み、上尾のオートパーラーでトーストサンドの朝食をとって、一路鬼怒川へ。営業終了を間近に控え、秘宝殿は大盛況。秘宝館のドキュメンタリーで触れられていた通り、館内は女性の方が多いぐらいであった。秘宝殿の裏に繋がれている三匹の犬が、たくさん人のやってくる様子を見てはしゃいでいるのが何ともせつない。



冬期は営業していないという情報のあった秘宝殿近くのハイセイコー食堂も当然のように静まりかえっている。素晴らしい外観を誇る食堂の中はどんなものか様子だけでもと覗いてみる。すると、意外なことに12月も営業中で、日曜だけ休んでいたことが判明。こちらにも秘宝殿の閉館特需が波及したのだろうか。少しばかり消沈することとなった。



先週の箱根に続いて今週は鬼怒川の湯に浸かる。帰路には群馬のブラジリアンタウン大泉に寄って、ブラジル食品を買い出し、晩餐に肉づくしのブラジル料理を堪能する。大宮まで戻り、ふと珈琲館伯爵邸のことを思い出して寄って見るが、残念ながら大盛況で満席であった。暮れも押し迫り、電車も心なしか空いているように思える。湘南新宿ラインが池袋に差し掛かると、珈琲伯爵のネオンが遠くを過ぎていった。

Sunday, December 21, 2014

箱根八里



朝湯に浸かって、広縁で朝刊をめくり、ゆっくり美味い朝飯をいただく。やはりこの辺だと朝はアジの開きである。すっかり晴れ上がったので、少し歩くことにして箱根観音まで戻り、畑宿ぐらいまでと思って歩き始める。しかし、人が歩くことを想定していない車道で、すぐに歩く気が萎えた。須雲川インターを過ぎてようやく現れた自然探勝路に入り、何とか人心地つき、少しましな車道に戻ってしばらくして畑宿に到着する。

畑宿には本格的な旧街道の入口を告げる碑があり、せっかく来たのだから甘酒茶屋まで行くことに方針を変更。九十九の七曲りを階段で登りきり、しばらく歩いて甘酒茶屋の甘酒と力餅で一休みする。茶屋の姐さんが芦ノ湖までは30〜40分ぐらいかなと話しているのを聞いて、思わず再延長して元箱根まで歩いてしまった。湖畔から三国山の向こうに富士山が見えた。

Saturday, December 20, 2014

梅壹



正月から始めた旧東海道歩きの仕上げで箱根へ。箱根の山を登った暁には湯宿でも…ということで宿を予約して迎えた当日は生憎の雨。山歩きは諦めて、小田原から箱根湯本までの間を歩くことにする。守谷のパンで菓子パンを買い込み、流鏑馬の行われている小田原城内を抜けてから、柳屋ベーカリーでさらにあんパンを買い足し、なだらかな東海道を歩く。年末を迎える国道1号には箱根駅伝の交通規制を告げる幕がそこら中に見える。湯本の駅を前に旧道に入って湯本茶屋を過ぎ、軽く石畳を歩いた辺りで本日の旧東海道歩きは終了。箱根観音の急峻な崖を降り、暁庵で遅い昼食に蕎麦をいただく。奥湯本から湯本の方に戻り、丘を塔ノ沢の方へ回り込んで、福住楼に投宿した。

癒すほど足に疲れはないが、ゆっくりと湯を楽しむ。冬至を二日後に控え、湯には柚子が浮かんでいる。そして素晴らしい晩餐。幸田露伴が泊まったという部屋には、他に宿泊客として大辻司郎の名前が挙げられている。調べてみると漫談家の草分けの方だそうで、日航機「もく星号」墜落事故の犠牲者の一人だとのこと。息子は市川崑や増村保造の映画で活躍した大辻伺郎。部屋には大辻氏の扁額が飾られていた。

Friday, December 12, 2014

ニューサイクリング



仙川にて菜菜星のライブ。思った以上に客がいなくていたたまれかったが、華菜枝さんはプロであった。そしてやはり美菜子さんの和太鼓がいいのだ。残念ながら「ヒヤミカチ節」は聴けず。菜菜星の前後ではなかなか貴重なステージを見学させてもらったが、次はできれば単独の時に行こう。ついでに古書店で1977年の『ニューサイクリング』という雑誌を購う。当時のメーカーやショップの広告が楽しい。芝大門のシミズサイクルの広告などもあった。当然ながらクロモリのフレームは普通に10kg以上である。

Friday, December 05, 2014

チームスカイ



真新しいジャガーショップにピカピカのチームスカイ車が鎮座していた。ボンネット上にはチームジャージも見える。キャリアには2014年モデルのピナレロDOGMA。

Tuesday, December 02, 2014

新蕎麦



そばまつりの深大寺で久しぶりに湧水そばをいただいて野川まで歩いた。

Monday, December 01, 2014

広能組

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菅原文太映画ゆかりの地というと『太陽を盗んだ男』の代々木NARUが思い浮かぶ。広能組は呉で実際にロケをしていたのだろうか。
菅原文太(1933年8月16日 - 2014年11月28日)

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Sunday, November 30, 2014

うたかたの日々



仙川でレキュム・デ・ジュールという喫茶店に行った。かつてなかなか愛情を注ぐことを許さなかったウチの2匹のクラゲの名前がecumeとpliだったことを思い出したりした。勿論区別などはつかなかった。店には映画の『うたかたの日々』のチラシが貼られている。裏面は川勝さんと岡崎京子さんによって半分づつ綴られていた。

Friday, November 28, 2014

イナムルチ

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那覇空港に荷を預けて市中へ折返し、甘味処の千日で冷し物のぜんざい。ぜんざいは氷の質感もさることながら、何より煮豆がいい。モノレールで安里駅まで戻り、栄町市場をうろつく。このあたりには簡易旅館が多い。午過ぎの閑散とした日曜の市場では、アーケードの下でおじいが将棋をさしている。栄町の市場に響く音楽は、何故か荒木一郎の『りんどばーぐスペシャル』。栄町の社交街をぐるっとして牧志まで歩き、花笠食堂でゴーヤーチャンプルー。定食の汁物で、とりあえず課題のイナムルチをいただくことはできた。ご飯の三択に赤飯があるのが素敵だ。

花笠食堂を裏に抜けた桜坂の公園では、思いのほかネコの姿は見えない。破壊され尽くした桜坂中通りの端に僅かに残ったスナック群を見て、やちむん通りを往復。楽しみにしていた冷やしレモンが牧志公設市場の休日で飲めないのだったら、あの渋い喫茶スワンに戻ってもよかったなと、地図を見直して反省する。

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帰り際、国際通りを行進してきた巨大なマーチングバンドが、遠征費の援助を訴えている。全国的にも有名で世界大会にも出場するという西原高校は、親御さんもその遠征費用で大変なのだという。モノレールに乗る前に、牧志駅前のコンビニでブルーシールのビスケットサンドアイス「ポーラベアー」を買い、御嶽のある向かいの公園でいただいた。

夜のフライトを前にして、最後に空港のA&Wへ。A&Wはチキンサンドもなかなかのものだ。日没を迎え、夕陽が渡嘉敷島の方へと沈んでゆく。ベンチに座り、売店で買った琉球新報を開く。一面最下部は3段6割で、出版社の新刊広告ではなく、各書店がおすすめを並べている。新聞は記事も広告もローカル度が濃厚で面白かったが、中でもザ・モアイ(模合)なるコーナーがあるのに少し驚いた。

飛行機は10分遅れで離陸したが、帰路は早い。家に帰り、ポーク玉子にぎりを温めていただく。やっぱりポークは美味いな。

農連市場

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11月23日。台湾人の屯するロビーを抜け、外へと朝食に出る。殺風景に拡張された神原大通りから、神里原社交街の僅かな名残をかすめて歩く。朝を迎えたスナックのおばあたちは椅子に座ってゆんたくしている。農連市場の入口あたりまで行き、丸安そばで沖縄そばの朝餉。首里人の知人に薦められたイナムルチという白味噌汁は残念ながら品切れ。歩道にむき出しの路面カウンターに座り、赤黄の沖縄箸「うめーし」でそばを啜る。カウンターの中のおじいがおばあに説教しているのを聞き、やっと本気のウチナーグチに接した気がした。

丸安そばから、そのまま休日の農連市場へ進んで見学する。市場を流れるガープ川に架かる人道橋は、一つが朽ちかけて既に閉鎖され、もう一つの橋も12月に閉鎖される旨ハリガミが告げていた。橋上から川を覗きこむと、朝日に照らされた水中に魚がうじゃうじゃいるのが見える。天井の隙間から日の射し込む閑散とした休日の市場は何とも美しい。農連市場は来年度の再開発が決まっているのだという。

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ガープ川沿いに宿の方へ戻り、大平通り商店街のアーケードに入ると、「ここはお国を三百里〜♪」と何故か鶴田浩二の歌声で軍歌が流れてきた。アーケード街の中でも、この大平通り商店街から新天地市場あたりの水上店舗の風情は特に素晴らしいものがある。

部屋に戻って荷をまとめ、10時を過ぎて宿を発つ。モノレールの48時間パスがあるうちに一旦空港まで荷物を預けに行くことにして、市場通りを見ながら牧志の駅に向かう。午後にじっくり見ようと思っていた公設市場がやけに静かなのは、定休の第4日曜に当たっていたことに気付いて少し愕然とした。気分直しに呉屋てんぷら屋まで行き、さかな、いものてんぷらとサーターアンダギーを買い食い。どれも美味い。出来立てなので他と比べるのも申し訳ないが、サーターアンダギーはここのが一番美味かった。

Thursday, November 27, 2014

桜坂

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夕方の那覇市内は酷い渋滞で、バスを途中の安里で諦めて、歩いて牧志を目指す。この日の宿は台北で紹介された桜坂下の三和荘。夕暮れの桜坂社交街をふらふらと宿に向かっているうち、いつの間にか路地に迷い込んでいる。行き止まりかと思って立ち止まると、こっちに来いとネコが言うので、付いていくと大通りに抜けた。宿はやはり台湾コネクションが強いのか、ロビーには中国語が響いている。壁には長年密入国の取締に協力してきたことへの感謝状が掛かっている。

手早く旅装を解いて、あたり一帯に広がる大アーケード地帯へ散歩に出る。まずは18時に閉まってしまう古本屋のうららに急ぎ、凝集された沖縄本を眺める。1冊だけと思って選んだのは昭和58年刊の『沖縄の地理ものがたり』という児童書。シッタンガラガラと走っていた軽便鉄道の古写真と近未来を予想したモノレールの完成予想図が並ぶのが良い。

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公設市場は明日行くのを楽しみにしてやり過ごし、市場本通りをそのまま進む。うずたかく積まれたサトウキビを、その場でガリガリと搾ってもらい、ジュースにして飲んでみる。新鮮な青みがバナナっぽくもあり、なかなか美味い。サトウキビは糸満でその日に取れたものだという。他に大店の製菓店でサータアンダギーやポーポーなどを購う。晩餐には国際通りのA&Wに入り、ハンバーガーとカーリーフライ。ルートビアーがジョッキじゃないのは残念だが、バーガーもフライも悪く無い。店内はほぼ近隣中高生の自習室。店内のBGMにあわせて口ずさみ踊る姿も沖縄の風情だろう。

竜宮通り社交街から桜坂社交街と進んで、映画館の桜坂劇場に赴き、古書や民芸品などを一頻り見て回る。桜坂劇場では、来週には早川義夫の弾き語りライブがあるらしい。夜も更けて人もまばらになってきたアーケード街に戻ると、琉舞の出し物が粛々と披露されている。静まりかえった商店街では、喫茶スワンの灯りがポツンと灯っている。宿に戻ると、カウンターのお兄さんが台湾のカップラーメンをくれた。

キャンパスレコード

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中の町社交街も端まで来て、コザの陸上競技場に続くグラウンド通りに出る。つい先週にFC琉球が今シーズンのホーム最終戦をここで戦ったばかりだと思うのだが、辺りにFC琉球の気配はない。結局、コザで見たサッカーの気配はコザ十字路のスポーツショップ「ヤングスポーツ」ぐらいであった。FC琉球のJ3最終節は福島で明日行われるらしい。

南下する国道から少し東に逸れて、歓楽街の名残を少し残すパラダイス通りに入り、どんつきの山羊料理屋の横を分け入ると、年金通りに抜ける。年金を受給するぐらいのママが多いからというのが名前の由来であるそのスナック街は、まだ長閑な昼下がりである。

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合流した国道を暫く行くと、次はビセカツ氏のキャンパスレコード。探しているものは無いかとお姉さんに声をかけていただくものの、こちらに薦めてもらう手掛かりがほとんどなく、とりあえず『キャンパスレコードオモテベスト』と気になっていた登川誠仁の『ハウリングウルフ』を購い、シーサー根付をいただく。キャンパスのレーベルであるンナルフォンに嘉手苅林昌が録音した「ンナルフォン全曲」はひとまず保留。しかし嘉手苅林昌Tシャツとかあればいいのにな。

プラザ通りをショッピングセンターまで歩いて、5時間ほど徘徊したコザを後にする。途中、普天間の丘を下りきった伊佐でバスを下車。那覇に戻る前に、少しだけタコスのメキシコへと寄り道する。メキシコのモッチリとしたタコスの皮の美味さには、タコスというモノへのイメージが変えさせられる。そしてビンのペプシがまた最高に合うのである。

マルフクレコード

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コザからゴヤの十字路に向かう途中、沖縄県最後の銭湯である中乃湯の前を通る。営業時間までは数時間あるので、ひとまず渋い事務所だけでも覗いていく。かつてのBCストリートであるパークアベニューまで進み、大衆食堂ミッキーで午餐。BGMにかかるバングルズや、ポーラ・アブドゥルのストレイト・アップにあわせ、先客の米兵たちが「oh oh oh」と間の手を入れながら口ずさんでいる。米兵は皆オリオンのジョッキを前にしていたが、作業着姿の人々も正午からオリオンを飲んでいてなんだか羨ましい。

照屋楽器店などを眺めてパークアベニューを少し歩き、中古レコード店の'69を脇に入って、バルミラ通りからアーケードの一番街に入る。アーケードの下ではアメリカ人の少女たちがワンツスリーと唱えながらステップを踏み、街をグルグルとパレードしている。アーケード街の中にあるらしいダンス教室の行進を見守る一番街のご主人たちの表情は、温かいような苦いような微妙な感じである。

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ゴヤ市場を抜けると、嘉手納基地第2ゲートに連なる「ゲート通り」に出る。基地からズドンと突き抜けてくる大通りのアメリカっぷりはなかなかの見物である。少し戻って普久原楽器を訪ね、1927年創立の自社琉球民謡レーベル、マルフクレコードのカセットテープ『沖縄民謡大会1』をコザ土産にもとめる。楽器エリアでは基地のガキ連が賑やかに素見している。

国道のスーパーサンエーで自家製のサーターアンダギーや郷土菓子のタンナファクルー、ローカルパンのなかよしパンを買い込み、中の町の社交街を通って公園で小憩。暫し佇んでサーターアンダギーをつまむ。いつの間にかすっかり晴れ上がった空の下、ジャンパーを羽織った関西弁のオッチャンが半袖で歩くナイチャーを見つけ、「真夏の格好やな。さぞかし今晩は燃えるんやろな」みたいな艶笑噺でもてなしてくれた。

コザ十字路

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11月22日。小雨の中、美栄橋駅から国道沿いの三笠食堂松山店まで歩いてポークたまご定食。朝っぱらなこともあって、セルフのバターをライスに投入するのは遠慮しておくが、みなさん朝からわりとガッツリいっている様子だ。食堂からそのままバスターミナルまで歩き、すぐにやってきた具志川バスターミナル行きのバスに乗車。バスが国際通りを過ぎて、泊の交差点で信号待ちしていると、安室奈美恵がレッスンをしていた元アクターズスクールの建物だと喧伝している南風というゲストハウスが見えた。

難読地名で名を馳せる勢理客辺りの渋滞を抜けて、バスはキャンプキンザーの横を過ぎる。ガラガラだった車内は宜野湾市に入ってから少しずつ混み始め、普天間基地とキャンプフォスターの間を進んでいく。キャンプフォスターの丘の斜面に並ぶ米軍住宅を見下ろし、坂を上りきって普天間の交差点を過ぎた辺りで見かけた普天間コーヒーシャープの佇まいが素晴らしい。屋宜原のA&W1号店を過ぎると、次第にプラザハウスのショッピングセンターが見えてきた。

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胡屋の十字路を一旦乗り過ごし、コザの十字路まで進んで下車。真栄原に続いて壊滅状態にあるというコザ吉原の社交街跡をのんびり素見しに訪ねてみると、話は違って殲滅されている気配は微塵もない。朝の10時半過ぎから町の角々に立っている方もいるし、スナック群もドアを空けて準備万端という全くの現役ぶりである。流石に部外者が紛れ込んでしまった緊張感で少し冷や汗をかいた。

足早にコザ十字路に戻り、少し気を落ち着けて、差向いの銀天街に廻る。がらんとしたアーケードの周辺には1日千円という部屋貸の案内がやけに目立つ。1970年の黒人街の地図にあるホテルやテイラーを辿ることは難しいが、僅かにホテルプリンスと上等レストランの名前は建物の壁面に薄らと見える。温泉マークまで添えられたホテルプリンスなどは全く貴重な遺産だろう。当時の地図を見ていると、バーや売春宿の間に散見されるサンドイッチショップも、どんな雰囲気だったのだろうと想像が膨らむ。営業前のコザ琉映を周囲を一廻りして、ディープなコザ十字路周辺を後にゴヤ十字路に向かった。

Wednesday, November 26, 2014

Aランチ

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美しい石壁に囲まれた琉球王国の陵墓を拝し、雄大な首里城の内郭をぐるりと廻る。守礼門からは城の南側にも足を伸ばし、金城町に残る石畳の道も歩いてみる。途中、大アカギを案内する手作りの看板が何度もあらわれるので寄り道。「ただならぬ霊気に村人が王府に願い出て拝所を置いた」と史書にある通り、気配のある大樹である。樹々に囲まれて老人が一人ひっそりベンチに座っている様もまた良い。道を戻り石畳を更に下っていく。畳敷きの集会所では小中学生が一緒になって遊んでいる。

厳しい坂道の石畳を往復して汗を流し、自販機のさんぴん茶をゴクゴクと飲む。坂を上った帰りにぜんざいで一服しようと目を付けていた甘味処が、無情にも閉店しているので、首里城のレストハウスまで戻ってシークワサーアイス。怪鳥のバリケンが屯する龍潭を抜け、芸大の間を縫って首里駅まで歩いた。

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モノレールで牧志に出て、国際通りをずんずんと歩く。通りには三線を弾く客引きが並び、高良レコード店ではエレキ三線のデモを行っている。真新しい市庁舎を過ぎた辺りで道を逸れて久茂地川を渡り、ジャッキーステーキハウスへ向かう。ジャッキーステーキハウスは名前の通りステーキハウスだが、ここは沖縄名物のAランチで晩餐。サラダが別皿ということもあって、メインのプレートは雑然とした風情を醸しつつ、トンカツ、フライドチキンは勿論、海老フライまで美味い。ダイナー調の店内は、慌ただしくも居心地が良い。オリジナルTシャツは少し恥ずかしいので自重する。

腹ごなしに少し歩いて国際通りまで引返す。琉球新報のカルチャーセンターを、琉球芸能系と思われる生徒がぞろぞろと出てくる。県庁前のリウボウまで戻って、デザートにブルーシールのサトウキビアイス。これがまた極めて美味い。県庁前からはモノレールに乗込んで、おもろまちの宿に向かう。モノレールは何時乗ってもずっと混んでいる。昨日はテレビ東京の『網走番外地 南国の対決』を見て健さんを偲び、那覇では沖縄テレビの『南極物語』を見る。CMは時折いい感じにローカルだが、番組自体ローカルなものは見当たらない。途中コンビニで買ったゼブラパンは食う余裕無く終了。

首里劇場

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市民病院前からモノレールに乗って隣の儀保で降り、首里城の方へと進む。街中には先週末に行われた知事選のポスターがまだ残っている。安谷川坂を南に歩いていると、細い石段の脇道が見える。谷底には閑寂とした史跡の井戸があり、しばし佇んで蚊に刺されまくる。道に戻って琉球王家御用達であったという醤油蔵を過ぎ、坂を登りきったあたりで安谷川の御獄を拝む。

安谷川坂を逸れ、続いて成人映画館の首里劇場を拝す。唐破風調の屋根に、幾重にも塗装の剥落した劇場のファサードが甚だ美しい。劇場前の医院の門前には、熟れきったラフレシアのような色をした花が、今にも腐り落ちそうになって垂れ下がっている。元を辿っていくとバナナの若い実がなっているのでつい目を疑った。幼児が遊んでいる児童所のすぐ隣で、喘ぎ声が響き渡る首里の長閑さには心和む。63年続いたフィルムでの上映を終了する首里劇場は、来月からデジタルでの上映に移行してしまう…という情報を帰京後に知り、激しく機を逸した感を噛み締める。

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しむじょう

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11月21日。連休前の沖縄便は全くの満席で、隣のお嬢さんがパラパラとめくっている『情報通信産業立地ガイド』のパンフがふと目について気にかかる。モノレールのフリー切符を買って空港駅のホームに出ると、日米野球のラッピングが施された車輌が止まっている。那覇では、昨日、セルラースタジアムで日米野球が行われたらしい。混雑した列車が空港駅を出て那覇基地の間を抜けていく。国際通り口の牧志でようやく車内が落ち着き、末吉宮の丘を臨む市民病院前駅で下車。甚く高所に設けられた駅のホームから眺める緑の丘は濃厚な南国であった。

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各戸に鎮座するシーサーを眺めつつ、住宅街を丘の方へ歩く。霜月も下旬ながら、庭先に咲く花は鮮やかで、立派なドラゴンフルーツの実なども見える。丘の麓で森にさしかかると「ハブに注意」の札に迎えられる。昼食にと向かったしむじょうは築百五十年余の石垣に囲まれた古民家。午後も二時を過ぎてジューシーが完売し、セットメニューは終了しているので、三枚肉そばをいただく。紅く無い生姜がワイルドで美味い。畳敷きの古民家は開放的でまったく気持ちが良い。置いてあった琉球新報を畳の上で広げてみると、「金口木舌」という天声人語的なコーナーに、長寿ラジオ番組「民謡で今日拝なびら」の上原直彦氏の言葉が引かれていた。

Tuesday, November 18, 2014

決闘零下30度

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夕張本町。ほか健さんの映画に関する場所など。やはりどうしても寒いところになる。(高倉健 1931年2月16日 - 2014年11月10日)

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網走監獄

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青森森林博物館(『八甲田山』青森歩兵第5連隊庁舎)

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増毛町 国稀酒造(『駅』)

Saturday, November 15, 2014

西郷山



西郷山でしばし読書。富士山に夕陽が沈んでいった。



Monday, November 03, 2014

阿部Q

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d design travelの山形篇をパラっと見ていたら、鶴岡の阿部久書店のことが載っていた。一昨年に鶴岡を訪ねた時に、70年代の『月刊庄内散歩』と杉村春子先生の写真集を購入した書店で、昨年改築して、現在は喫茶スペースまであるとのこと。丸谷才一も鶴岡だったんですな。

Sunday, November 02, 2014

小田原邪宗門



引続き大磯から旧東海道。二宮町に入る目前、街道の食堂でアジフライ。地元の方々はラーメンやカツ丼を食べている。なかなか見事な近代建築物が残っている国府津の駅前を過ぎ、小田原市に入って高岡以来となる邪宗門で小憩。鎌倉から移転した小田原邪宗門は、三寶寺の境内にあってモダンな店であった。見事なこけしを持参された老師と会話する住職に合掌で見送っていただいて店を後にする。酒匂川を渡り小田原宿を目前に、正月以来のあじわい回転寿司禅で少し寿司をつまむ。夕刻、小田原城まで進み、本日の行程は終了。愈々次は箱根ということになる。

Saturday, October 18, 2014

大番



辻堂から旧東海道歩きの続き。藤沢市を過ぎ、松並木に迎えられて茅ヶ崎市の駅前あたりで昼食。大賑わいの横浜飯店で肉そばをいただく。相模川を渡って宿場町の平塚に入り、喫茶プランタンで小憩。素晴らしい喫茶店。平塚の街中には其処彼処に和菓子屋があり、どこもなかなか繁盛している。町もはずれになって流石に閑散としている和菓子屋をのぞくと、獅子文六が大磯に住んでいた頃に愛好したというどら焼きがあるので買っていく。名前が『大番』というと、作品の舞台である宇和島の銘菓があるが、ごちゃごちゃは言うまい。大磯宿に向かう化粧坂の風情がなんとも素晴らしい。

Tuesday, October 14, 2014

富士見



恐ろしい目をした台風19号が過ぎて快晴の朝となり、三脚を置いて富士を望むカメラマンが天文台裏に出勤している。わずかに雲がかかり、まだ黒い富士山であった。

Wednesday, October 08, 2014

月蝕



都下は見事な皆既蝕の夕べであった。

Wednesday, October 01, 2014

蜘蛛巣



湧水で蕎麦を食ったあと、開放中の神代植物公園の中を通って帰ると、無聊をかこつ御老人が集っている。自分はあの身分に辿り着けるのだろうか。

Tuesday, September 30, 2014

再見、再会、台湾



松山機場から南の富錦街の方へ少し歩き、台湾一に選ばれた炒飯店の民生炒飯で肉絲炒飯をいただく。これは美味いと唸りつつ、隣の叉燒炒飯がもっとやばそうで目を奪われる。どう頼んだもんかわからないのでスルーしたドキンちゃんの器に入ったスープも美味そうだ。機場までの帰り道、ちょっとスーパーを流して、義美の蛋巻などを買い足した。

やや遅れたエバー航空190便が松山機場を発ち、席のモニターに台湾のグラミー賞こと第25回金曲奨があったのを見つけて再生してみると、JJという男性歌手のステージに何故かジェイソン・ムラーズが参加していた。番組はステージのダイジェストなので、光引擎のコーラスグループ賞受賞の様子を見ることはかなわず。いつものことながら、道中は持っていった本を開かなかったので、帰ってからゆっくり宮脇俊三の『台湾鉄路千公里』を読もう。そしてどうにか翡翠屋の女将の願に応え、近いうちにまた台北を再訪できないものだろうかと思う。

珈琲時光

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9月26日。台北4日目。最後に宿の朝餐を利用し、お粥をいただく。チェックアウトして、金曜朝の通勤電車で一旦空港に向かい荷物を預け、そこから忠孝新生駅に戻り、ようやく華山の1914文創園区へ…。というのも、宿に近い華山1914文創園区は何時でも行けるだろうと思っていたからで、最終的に宿から直接行けないという皮肉なことになった。

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華山入口の巨大なビルボードは、本日から上映予定の山田孝之と藤原竜也の『モンスターズ』。昨日から再映されているはずの『KANO』の方は巨大な広告とポスターも見える。園内では、つい先日ワンピース展が終わったばかりのようで、今は永瀬正敏の写真展をやっているらしい。まだ店舗の開店には早かったので、一回近くの電気街をひとまわりする。iphone6の予約に並ぶ様子を伺ってから華山に戻り、光點珈琲時光にて小憩。

映画館の光點華山の回廊を通ると、役所広司が睨みを利かした中島哲也の『渇望』のポスターがある。この日は久しぶりの晴天となり、そこらじゅうでドレスを纏った花嫁が写真撮影をしているが、天気以外にも何かの特異日なのだろうか。正午過ぎからという好樣VVGは華山の店でも時間が合わずに断念した。

Monday, September 29, 2014

迪化街

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夜市の寧夏路を過ぎ、民生西路をそのまま西へ問屋街の迪化街まで進み、香しい乾物の匂いに包まれた町を歩く。迪化街の南から各種の専門店街が細かくリレーされていく様子を見ながら、台北駅まで戻る。台北駅からは地下鉄の淡水線で東門駅まで。永康街の雑貨などを見つつ、廖家牛肉麺にて晩餐。滋味深いとはこういうもののことを言うのだろうという味わい深い麺である。性懲りも無く歩き通して疲れ果ててしまったので、最後の夜も夜市は諦めて宿に戻る。何たること。

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旅中、やや野菜不足な気もしてきたので、コンビニで三色果物と上等蕉(バナナ)を購い帰る。三色果物は水梨、火龍果(ドラゴンフルーツ)、芭樂(グアバ)の三色。芭樂は何か粉末みたいなものが付いたパックも沢山売られていた。コンビニフルーツは案外美味しくいただいたものの、シールの粘着性など、パッケージの出来に関しては、やはり日本のサービスの徹底ぶりに改めて感心したりする。そういえば「純喫茶」という名の紙パック綠茶は微妙だったかな。

宿の前の空き地に設営していた野外ステージは、3日目にしてかなり出来上がった…と思っていたら、夜の10時を過ぎて不意にリハーサルがはじまった。でも夜の10時に…。 まあ、南国は夜型の生活なのだろう。音はなかなかオルタナティブな感じであった。

沿途風景

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龍山寺駅からは地下鉄を乗り継いで淡水線の中山駅。アメリカ大使邸を改装したという侯考賢プロデュースの映画館施設「台北之家」を訪ねる。まだ休憩には早いので、喫茶室の珈琲時光は様子見して、雑貨店の光點生活をのぞく。誠品でスルーした光引擎のCDはここでも平積みなので、『沿途風景』を買おうかと思いなおす。南京西路の雑貨店を素見しながら歩いていて、気になった路地に入っていくと、奥は素敵な町工場街である。工場に挟まれて並んだ理髪店の店頭で黒い布巾が並べ干されている。

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町工場の並んだ赤峰街を抜けたところで、大通りの民生西路に出て、甘味処の雙連圓仔湯で小憩。名物の燒麻糬(きなこ餅)も良いが、「紅豆・花生・芋塊・湯圓」(温かく汁物の甘味)に思わず唸る。このような落花生と小豆のさっぱりしたぜんざいみたいなものが、どうして日本に無いのか全く理解に苦しむ。

電影主題

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刺青屋の並ぶ西門町紋身街を抜けて、淡水河の方へ映画街を進み、奥まった西門町のグラフィティー群を拝す。西門町を一通り巡回したところで、蜂大咖啡にて小憩。蜂大咖啡は1956年創業の老舗だが、案外スッキリした店構えなので、純喫茶感は老樹咖啡などの方が上であろう。暑い中を歩いてきたのでついアイスコーヒーにしてしまうものの、やはり阿里山の台湾咖啡を飲みたかった。紅楼への抜け道に面した焙煎機の前に座り込み、焙煎をぼうっと見守る男性陣のグダグダ感に心和む。

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西門紅楼へ裏から回って『史上最強の台北カオスガイド』で見たゲイショップ「壞男愛世界」の健在ぶりを確認し、紅樓を出て直ぐの三角埔仙草で再び小憩。三角埔仙草は仙草ゼリーの老舗ということで、あんまり漢方臭いものはどうなのかなと思っていたのだが、仙草ゼリーの他、豆、麦、タロ芋白玉、タピオカなどが入った綜合仙草冰(ミックスかき氷)の美味さに、また一つ目から鱗が落ちた。正午を過ぎ、店内に吊るされたモニターを見上げて、iPhone6予約の行列を報じるニュースを眺める。

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西門から貴陽街、直興市場を通って華西街アーケードへと、繁體字に溢れる美しい街並を歩く。スッポン屋だとか毒蛇研究所などが並ぶ、妖しいと言われた華西街のディープさは昼ということもあってかそれなりである。龍山寺を過ぎ、胡椒餅をつまみながら一服。