Saturday, June 19, 2010

尾道



3日目。福山駅前には鞆の浦行きのボンネットバスがとまっているが、ポニョ景気に沸いているという鞆の浦はパス。この日は山陽本線を戻って尾道へ。坂対策のため、リュックをコインロッカーに預けてみる。土堂の商店街を抜け、久保の飲屋街を歩く。フリーで流している犬がやってきたので、ちょっと気を許すとまんまと盛りつかれた…。竹村家、浄土寺など東京物語の地を詣で、時かけの梶山時計店も覗いてみる。長江からは千光寺へ坂をずんずん登る。休み休み登る老人の姿は、ここで暮らすことの大変さを感じさせるが、坂はもちろん素晴らしい風情で、見おろす尾道水道もまた良い。



土堂方面に下る途中、ネコノテパン工場というところでパンを買い込む。商店街まで降りると山本モナがバイトしていたことを売りにしてる店なんかもあったりするが、大和湯という銭湯跡の喫茶店でカレー。渡船で向島へ渡ると、兼吉の桟橋では、ゲゲゲに次ぐ朝ドラ「てっぱん」の撮影をしている。一瞬、賑やかさに戸惑うものの、向島捕虜収容所跡まで行く頃にはすっかり平常であった。島から戻り、からさわのアイスモナカで一休み。駅西側のガウディ・ハウスなる古民家を眺め、駅前の桟橋にしばし佇んで帰路についた。ネコノテパンもっと買えばよかったな。あと、にしき堂の生もみじも美味い。

芸予の島々



せっかく瀬戸内を望んでいるので、「綺麗な夜明けじゃった」の会を開いて二度寝。朝食に出たさよりの一夜干しがまた良い。10時に出る竹原行の船が出るまで再び御手洗を徘徊し、芝居・映画小屋跡の乙女座を拝見する。待合跡の若胡子屋は残念ながら無期限閉館中。「えっ乗るの?」と驚かれつつ船に一人乗り込み、隣の大崎上島の木江まで。木江もまた遊郭のあった港で、短いながらも天満の通りは本格的に素晴らしい町並み。商店に集うおばちゃんたちから「またリュックなんかしょったヤツが写真撮りにきやがった」って感じのささやきも聞こえて恐縮する。ひとしきりぶらつき、木江港の土手に座って、バスを待ちつつボーっとしていると、乗ろうとしていたバスが無情に通り過ぎて行った。フェリーの切符売り場のおばちゃんに「バスってもうしばらく無いですよね」と分かりきったことをぼやかせてもらう。大阪出身だという優しそうなおばちゃんは、何かと不便な環境について「島はダメ」と繰り返しつぶやいていた。



諦念してタクシーの電話番号を教えてもらい、気のいい運ちゃんに白水港までひとっ走りしていただく。白水港からは竹原へ。寄って行く予定のなかった竹原の町並み保存地区はちょっと上品過ぎた。1日ぶりに呉線に戻り次は忠海港へ。ここからは大久野島に渡る。週末の毒ガス島は、毒ガス施設跡に集う廃墟ファンがあふれるということはなく、うさぎの歓迎も早々に、船客は島に着くなり休暇村へ直行していく。おかげで発電所跡も毒ガス貯蔵庫跡も一人ゆっくり過ごした。忠海に戻ってからは再び呉線を東へ。今日の仕事を終え、乗り込んできた造船所の男たちがどうにも男前だ。三原からは山陽本線に乗り継いで福山へ。大衆食堂稲田屋で肉丼と関東煮をかっこみ、福山にて投宿。

安芸



6月4日、雰囲気に流され広島に来てみた。山間の空港から広島駅に着くと、まずは駅前の愛友市場や京橋会舘などを堪能。駅の西側にひっそり佇む大須賀町の飲屋街もまた捨て難い魅力だ。ただし、残念ながら広島日劇は跡形も無い。駅前で広島焼きをちゃちゃっと食べてと思いきや、やたら時間が掛かって少しあせる。市電を比治山下まで行き、広島太郎さんじゃなくて、都築響一の展示を鑑賞する。まあ、やはり結果的に精子宮を中心に…。皆実や流川あたりもフラつきたかったけど、それはまた今度。ちから広島駅店でおはぎを買い込み、呉線で安芸川尻へ。



川尻からは今治行きの高速船で大崎下島の御手洗まで乗船する。重伝建地区の街並は常にそれなり。投宿前に高台から瀬戸内を眺めておこうと、おいらん公園という所へ上る。この日の宿は、かつて遊郭として町を盛り上げた船宿だったという建物。とにかく夕食が凄くて、あなきゅうやたこの先付けから、鯛の活造り、メバルのあんかけ、かれいの唐揚げ、穴子蒲焼、たいそうめん、はまち寿司といった次第(予め貝はパス)。長い食事が終わってとっぷり日も暮れると、長屋にはべっぴんさん(花魁)の打掛と自分一人が残され、椋鳩十の離島ものがたり「黄金の島」を読みつつ床についた。