Thursday, July 25, 2013

ペチカ



北海道から戻って知ったことなのだが、稚内のロシア料理店ペチカの店長である兵頭ニーナさんは、体調の都合で7月15日をもってペチカを退職されたとのこと。ここのところ店を空けたりして、ライブも数日ぶりだと仰っていたが、ブログなどを見るかぎり、遠方の札幌に通院などされていたのかもしれない。今回、歌声を聴くことができたのは、運がよかったのだろう。稚内はすぐにでも再訪したいぐらい気に入ったのだが、全く残念である。また稚内とペチカには行きたいし、札幌でニーナさんが見れるなら、そちらにも伺いたい。ただし、次は自分のノリの悪さが紛れるよう、たくさんの人がいる時に見たい。

Wednesday, July 24, 2013

夕張



帯広から新千歳空港に戻る途中、少し寄り道をして、夕張駅周辺を見て行くことにする。新夕張駅での乗換時間が30分以上もあるので、しばし駅前に出てみると、旧駅名である紅葉山の駅名標などが残されている。夕張支線に入り、南清水沢駅の裏に炭鉱住宅なども見える。清水沢からは沢伝いに進み、終着の夕張駅には4時過ぎに到着した。

新夕張駅や夕張駅ではロッカーなんていうモノの気配は微塵も無く、十勝六花の紙袋をさげたマヌケ姿で、人気の無い街を歩く。映画祭の町でもある夕張には、古い映画の絵看板がポツポツ並んでいるが、絵看板を設置しはじめた当初は、昔ながらの商店街にずらっと看板が並んでいたそうだ。志幌加別川の谷を越ると、夕張本町の商店街に入る。大法寺へ続く急坂に据え置かれた『幸せの黄色いハンカチ』の顔出し看板は、何とも味わい深い風化が進んでいる。古い飲屋跡の残る梅ヶ枝横丁に差し掛かると、熱心に猫の大集会を激写している先客がいたので、遠巻きに盗み見た。軽食&喫茶コンパからは楽しそうな話し声が聞こえてくる。



夕張駅に戻って、駅前の屋台村で名物のカレー蕎麦。シャキっとしたタマネギのカレー蕎麦もまた美味いものである。夕張駅前の屋台村はなかなかの賑わいで続々と人がやってくる。カレー蕎麦ですっかり汗をかいたので、駅舎に併設された喫茶の生メロンクリームソーダで涼をとる。はじめに生メロンソーダを口にした時には思わず唸ったのものの、クリーム分に手を出してから、繊細な生メロン感が飛んでしまった気がするのは些か残念だった。千歳に向かう特急内の電光掲示板に、アシアナの飛行機事故とJR北海道がまた車両火災を起こしたというニュースが流れて、ほんのり嫌な気分になりつつ、オーバーブッキングの便でなんとか無事帰路につくことが出来た。無聊の慰みに『羆嵐』を開いてみると、以前ほど嫌な引っかかりを感じることなく読めそうな気がした。

Tuesday, July 23, 2013

名門通り



7月7日。新世界小路、金春街、八丁堀と昨夜軽く流した帯広の飲み屋街を復習。さらに名門銀河街、遊楽街と横丁を廻る。町中には街路樹のハシドイの花の香りが漂っている。10時を過ぎてかなり危険な暑さになってきたので、ガリガリ君休憩を挟み、無闇な散策は差し控えることにする。この日の帯広の最高気温は32℃。駅前の温度計は37℃を指していたが、何かの間違いだと信じないと心が折れそうだ。11時の開店を待ってカレーショップのインデアンで早めの昼食。添え物に青菜漬けというのがなかなかいい。時間を潰そうと寄った帯広駅内の売店には、あまりそそられるものがなく、名産品コーナーには半端な幸福駅のハリボテが立っている。駅内の書店のベストセラーランキングを見て、北海道でもブラック企業なのかと、少し気が滅入った。



少し腹がこなれたところで、六花亭本店を目指して灼熱の街に出る。六花亭の喫茶室に伺うと、エプロンも包装紙の十勝六花柄である。ホットケーキをいただいてしばし小憩し、店舗に廻っては、数えきれないほどの商品を物色する。店内の奥にあるイートインのスタンドもまたなかなかシックで素敵である。六花柄の団扇がついてくるということで、懸案であった函入の銘菓詰合せである十勝日誌も購入することにした。

Monday, July 22, 2013

狩勝



気持ちよく列車に揺られながら、留萌本線を半睡状態で深川へ進む。恵比島駅の古びた駅舎は、ドラマセットの明日萌驛として作られたもののようだが、駅前旅館もあわせてなかなかの佇まいである。まっぷ駅や北一已駅など留萌本線は全線通じてなかなか素晴らしい印象なのだが、なにしろ半ば睡っていたので、些か記憶はあやしい。終点の深川駅にてウロコダンゴをゲットし、上りの函館本線に乗換えて、滝川駅まで少し南下する。

滝川からは根室本線の快速狩勝で帯広へ向う。滝川ー釧路間を結ぶ最長の普通列車である2429Dには及ばないものの、池田まで行く快速の狩勝でも帯広まで4時間11分の行程だ。かつては貨物取扱いが全国一だったこともあるという炭鉱の町の赤平駅を過ぎたところで、「さようならありがとう住友赤平小学校」の横断幕が見える。芦別の遠くにそびえる大観音は北海道大観音というものだそうで、かなりの秘宝ぶりを誇る施設らしい。開けた窓から紛れ込む栗の花の匂いが臭い。野花南駅を過ぎて長いトンネルを抜けるとほどなく富良野駅に到着。ここで客の大入替となる。日が長いとはいえ、富良野を出てしばらくすると外も闇に包まれて何も見えない。幾寅駅で概ね高校生は下車。八時を過ぎる辺りからのローカル線の寂寥感は本当に堪らないものがある。ただし、一組だけの相客が中国人母子だというのは、なかなか不条理な感じがした。



22時を回ってようやく帯広に到着。素早く宿に荷を降ろし、名門通りに並ぶ横丁のにぎわいを素見す。夜食には蕎麦の長寿庵に伺い、かしわせいろを啜る。帯広の飲屋街一帯の活気にも目を見張ったが、夜中の蕎麦屋が昼のオフィス街のような戦場ぶりで喫驚する。ぼけっと夜の町を廻りながら二匹ほど虫を口にして、久々に自分が口を空けて歩いていることを教えられた。セイコーマートの店頭では虫がバチバチ焼かれる音がしている。

Sunday, July 21, 2013

風待食堂



羽幌を出たバスは、正午過ぎに留萌駅前へ到着。駅前から飲屋街の有楽トンネルを抜けて、留萌十字街のバス停まで歩く。流石というべきか、留萌の町中のシャッターにはあちらこちらに萌えキャラが描かれている。留萌でも、もう少しゆっくりしたかったのだが、バスでそのまま増毛町に向かう。バスが海沿いに出ると、『平成ニシンの群来』を伝える看板が見える。心なしか何ともニシンが襲来しそうな沖だ。



留萌からは30分ほどバスに揺られて増毛駅前へ到着。軽く駅蕎麦で昼を済まそうと思っていたのだが、今年の営業予定は不明との張り紙が張られている。駅前には1981年の映画『駅 STATION』で殺人犯の兄を待つ烏丸せつこが働いていた風待食堂が残されている。倍賞千恵子の居酒屋「桐子」があったあたりの路地などをそぞろ歩き、最北の酒蔵だという国稀酒造の古い酒蔵を見学する。しきりに試飲も行っているが、つくづく飲めないのが口惜しい。酒造内にも映画『駅』のコーナーが設けられ、しばしパンフレットなどを眺める。酒蔵の前には国稀の酒粕を使った酒蔵ラーメンの店があったので、昼食に美味い味噌ラーメンをいただいた。腹ごなしに道内で最大最古だという木造校舎の残る増毛小学校跡を見学し、灯台から港を見下ろして増毛駅に戻る。どこかのレビューに載っていたのだが、駅の売店でタコザンギを売っている方は確かに美人さんだった。

Saturday, July 20, 2013

オロロン



7月6日。稚内は祭り二日目の朝、静まり返った屋台の間を、ゴミにたかったカラスが大騒ぎしている。喫茶店の挽香も朝の6時から大変な賑わいだ。稚内駅を6時台の列車で立ち、幌延駅まで1時間ほど宗谷本線を進む。この日は利尻富士の姿は全く見えない。宿でもらった新聞を開くと、ウラジオ沖のピョートル大帝湾で中露海軍が大規模演習するという記事が載っている。稚内から見れば、ウラジオストックのニュースは南の出来事ということになる。兜沼駅で交換した列車を見ると、稚内行きの乗客はたった一人だった。

幌延からは留萌行の沿岸バスで羽幌線跡を辿り、日本海沿いのオロロンラインを南下する。路線バスとはいえ、長距離にわたる豊富留萌線のバスの中では、ローカルAMのSTVラジオが流れている。猟銃を背負ったハンターが歩いてる国道を三十分ほど進み、手塩高校に着くと乗客が全員おりていく。何となしに手塩高校を検索してみると卒業者にはポール牧とラッシャー木村の名前がある。手塩から乗った二人が遠別で降りて、乗客は完全にいなくなるが、再びぽつぽつと人を乗せて、バスはさらに南へ進む。初山別北原野というバス停の名に衝撃を受けつつ、バスは初山別の町に入る。初山別の町の人は総出で町中を掃除していた。



幌延から2時間ほど進むと羽幌の町。ここで途中下車して少憩する。沿岸バスのターミナルには、羽幌炭鉱をハイヤーで廻るという魅惑的なプランが提案されていて、激しく心が揺れる。タクシーの運転士さんが撮りためたという炭鉱写真のDVDも気になるが、恐らく紙の写真集なら買っていただろう。羽幌の町を少しぶらついて1時間後のバスに乗車。乗車してほどなく三毛別羆事件の苫前町を過ぎる。現場は山側にしばらく入ったところだが、町役場のある国道沿いでは仁王立ちのクマが出迎えてくれる。スピード落とせの看板にもかわいいクマさんが見える。バスは留萌郡に入る。薄もやに消え行く日本海の水平線が杉本博司氏の海景のようだ。

Friday, July 19, 2013

サハリン



日も傾きかかったところで宿に鞄を降ろし、複合商業施設の稚内副港市場へ赴いて、離れのロシア料理店ペチカで晩餐をなす。いただいたのは、代表的なロシア料理を揃えたサハリンという名のコース。とにかくビーツのサラダが美味いし、水餃子のペリメニやボルシチなど、ロシア料理を存分に堪能する。後からやってきたロシア通気取りの客人の失礼ぶりは少々残念だったが、その爺さんのおかげで、「酒田の行商人のおばさんはロシア語を喋る」など、オーナーの素敵な話を伺うこともできた。ということで、むっつり黙しているなら、失礼ぐらいな方がまだいいのだろうかとなどと考えたりしてしまう。

さっさと完食して、グルジアワインのピッチが上がる店を離脱しようと思ったところ、いつもは6時半からだというオーナーの店内ライブを少し早めにやっていただけるとのことで、有難く拝聴した。ロシア通の翁が歌声喫茶で愛唱していたという「鶴」という歌は、1969年の歌だそうだ。また、爺さんが気持ちよく歌ってくれるのがいたく耳障りなのは言うまでもない。1969年の歌もいいが、リクエストが有りならば「カチューシャ」とか「百万本のバラ」も聴いてみたかった。やはりロシア民謡は哀切でたまらない。店内で販売されている巨大な本場物のマトリョーシカもなかなか素敵で、半額セールというのもあわせてかなり心動かされたものの、なんとか踏み止まることができた。



副港市場内に再現された在りし日の稚内桟橋駅や稚内劇場などをひとくさり見て、階上にある温泉施設で湯につかる。宗谷岬の方を眺めては、サハリンに渡る船の汽笛や海鳥の声を聴きながら入る風呂で、しみじみと他所者感について考えた。夏至に近い時期だと、一日が長くて旅も充実するなと思いつつ、のんびり風呂から上がってみると、風呂上がりにと思っていた稚内牛乳のソフトクリームの営業時間が過ぎている。取りも直さず閉店間際の駅売店に駆け込んで、稚内牛乳のアイスだけは何とか確保した。夜風に当たりつつ北防波堤からノシャップ方面をしばし望んで宿に戻る。祭りはまだまだ続いている。

Thursday, July 18, 2013

挽香



音威子府からは特急のスーパー宗谷で稚内まで。この区間は線形が良くないので、特急といえどもあまり時間は短縮されず、2時間ほどを要する。山間はほとんど電波も無い。さきほど乗った各停には若者もいたが、特急の指定席は概ねシニア専用のようだ。何故か特急は二両増結している。幌延を過ぎ、サロベツ原野ごしに利尻富士が見える。列車は何とはなしに10分ほど遅れ、13時に稚内に到着した。

稚内駅では、まず翌日乗る予定の沿岸バスのフリー切符を確保する。沿岸バスのフリー切符は、ルートの留萌にちなんだ「絶景領域・萌えっ子フリーきっぷ」と言い、萌えキャラが派手にデザインされているもの。そのキャラにあわせて切符が何種類かあるようで、購入する際に、どれでもいいですよねと声をかけられる。選ばせてもらえるなら選ばないでも無いのだが、どうでも良い種類の人間に分類していただいて、少しほっとする。稚内は駅の売店もなかなか面白いが、まだ旅も半ばなので自重した。

駅前に出ると、行こうと思っていたノシャップ行きのバスがいたので、ひとまず乗り込んでみる。なんだか稚内は祭のようで、パリっとした幟が並んでいる。岬に着き、まずは樺太食堂にて、かにいくら丼を堪能。ただしここでは専用の大用紙にメッセージを書かせられるので注意が必要である。僅かにある岬の浜にはごついウニの殻や、毛蟹の抜け殻が転がっている。薄雲を透かして沖にはかすかに巨大な利尻富士が見える。ノシャップ岬をぐるりとすると、性悪な海鳥に爆撃目標にされるが、露骨に爆撃意思を見せてくれたので避けることができた。岬から微かに見える利尻富士や宗谷岬もいいが、自衛隊分屯地の丘が何気に美しい。



駅に戻るバスを少し手前で降り、樺太連絡船の駅だった稚内桟橋駅跡の稚内港北防波堤ドームを眺める。誰もいない防波堤ドームの前では、止めた車からロマンチックな音楽を流して語りあうやんちゃなカップルを邪魔して申し訳なく見学していたが、ふいに続々と観光バスが来てズカズカ写真を撮りまくって行った。

稚内の町中に戻ってみると、町を挙げての大祭の只中で、確かに特急を2両増結する規模である。アーケードの商店街には車道側に屋台2列が延々と並び、広場では『北酒場』が高らかに流れている。商店街には味わい深そうなファサードの商店も散見するが、祭りの賑わいにすっかり埋没している。ふとアーケードの屋根を見上げると、逐一ロシア語の説明が入っている。最北の書店といわれるクラーク書店にて、何度か立読みしては敬遠していた『羆嵐』を、今だと思って購入し、目当ての喫茶店の挽香へ赴く。素敵な枯れ具合の挽香の店内にも、店の前で繰り広げられる祭太鼓が腹の底まで響いてくる。地元の食品を数多取り揃えた相沢食料百貨店を徘徊し、何気なく丸ヱ寺江食品のいもゴマドーナツを手に持って検討していると、後から来た人が残り全部ごっそり浚えていくので、すかさず追従することにする。その他にも自家製おはぎや地元専門店の菓子や餅など心引かれるものが多々あり、相沢食料百貨店はなかなかやばい店なのであった。

Wednesday, July 17, 2013

音威子府



7月5日。旭川は日中32℃まで気温が上がるということだったが、早朝の街中は18℃でなかなか清々しい。旭川からは6時発の宗谷本線に乗って稚内へ向う。ざっと見たところ乗客は旅の人ばかりのようで、早速駅弁などを広げている。窓から入り込むディーゼルの匂いをかぎながら、朝食にはビタミンカステーラを齧る。夏期休業中の短いラッセル車が北旭川の操車場にずらりと並ぶ様が何だかやけにかわいらしい。蘭留駅を過ぎて山間に至る。徐々に乗込んできた高校生がまとめて降りていった剣淵駅には、町立の農業高校があるらしい。白樺林を抜け、久しぶりに町が開けて士別。士別駅では高校生の大入替。男女ともインテルやミランやユナイテッドやら思い思いのサッカーシャツに思い思いの滅茶苦茶なネームを入れている。名寄で再び客を取替えて、天塩川沿いを進む。名寄からの高校生は美深で下車。列車がさらに北へ進むと、低い山の頂きにもちらっと雪が見えるようになった。

駅蕎麦で有名な音威子府駅には9時前に到着。乗ってきた列車はここで30分ほど停車するが、名物の駅蕎麦が開店する前に出発してしまうので、次の列車まで2時間あまり町をふらついていくことにする。天塩川沿いを少し歩いて村役場に出ると、音威富士に向って真直ぐ延びる道の先に鳥居があり、中腹に祠のようなものが見える。何も無い町の誰もいない町外れの神社でぼけっとするのも良いかとはるばる行って登ってみると、何故か祠の裏にはパイプ椅子がずらっと並んでいる。祠に向う急な階段を迂回する道路には警察関係の車輌などが続々と登ってくるのが見え、どうやら境内でゆっくりするような事態ではないようなので、早々に引き上げる。音威子府も10時前でかなり暑い。



誰もいない駅に戻り、汗を流しながら念願の黒いかけそば。まだ次の列車まで時間はあるので、辛うじて見つけた商店にて地のものなどを物色しようと思っていたのだが、あまりの暑さに再び外に出る気も起きず、駅舎内にある旧天北線の資料室をぐだぐだと見て回る。本当は隣駅にある砂澤ビッキのギャラリーにも寄って行きたかったのだが、列車で音威子府との両立は難しく断念。窓口では釧路に行くという中年の男性が、急行の切符を注文している。宗谷本線は特急の創設が遅かったので、この辺りでは早い列車は急行という認識がまだ根強いのだろう。

Tuesday, July 16, 2013

美國



南美唄からの帰り、バスから外を眺めていると、先ほどの不機嫌な運転士が、派手に油の跡が残る地点で警察に事情聴取されていた。彼が油をぶちまけて走行した事故の当事者だということなら、あれだけぶっきら棒で不機嫌だったのも止むを得まい。昼に駅前を歩いた時に営業しているのを確認して、後で行くのを楽しみにしていた駅前の純喫茶ドールを訪れてみると、まだ16時にもならないのだが、すっかり閉店してしまっており愕然とする。致し方ないので、銀座街のスナック郡を一頻り鑑賞し、美唄を後にする。美唄駅のホームには「石狩の美國といへる停車場」の句のプレートが掲げられている。



まだ頑張れば悲別ロマン座に行けるかもと思いながら、初日から無茶はし過ぎないことにする。特急に乗車して明るいうちに旭川に到着。ひとまず宿で荷物を降ろし、買物公園に出て洋食屋の自由軒で肉ライスをいただく。店内のモニターにはローカル情報番組が流れ、石屋製菓などのCMが流れている。当夜の日ハム戦は注目のルーキーである大谷が先発だと告げている。往復で3kmあまりの大型書店コーチャンフォーに遠征しようかと思いつつ、やはり足を休めるべく手近のジュンク堂に思い留め、平凡社ライブラリーのアイヌ神話本、『カムイ・ユーカラ』を購う。店内には三浦綾子さんのコーナーもある。この日は『氷点』ゆかりの喫茶店「ちろる」はパス。旅の供にA字フライとえぞ厚焼を買い求め、早めに宿に戻って就寝する。

Monday, July 15, 2013

美唄



岩見沢駅から函館本線を3駅ほど北に進むと美唄駅。正午を過ぎたので、駅前の喫茶店で美唄名物だという「中村のとりめし」のセットをいただく。少しく時間がかかった末に出てきたものが、いたって上品でかわいらしく、一瞬甘くみてしまったものの、なんともしっかりと味わい深いとりめしであった。

美唄の駅前からは三井美唄炭鉱のあった南美唄にバスで向う。ずいぶん遅れたバスの運転士の話に聞き耳を立ててみると、どうやら前のバスが車底を縁石にぶつけたようで、見れば行く道を延々と油の軌跡を残している。殆どの人が降りるかと思っていた南美唄中央では、思いのほか誰も降りず。判然としない運賃を運転士に尋ねると、いたく面倒くさそうで、あからさまな部外者であることに恐縮してバスを降りる。



人気の無い中央通りを外れ、映画館でもあったという互楽館を仰ぎ見て、晩年も間近かと思われる炭鉱住宅街を歩く。草に埋もれてしまいそうな砂利道の住宅街を歩くと、カラスが延々と後を付けてくる。今はほとんど面影もないかつて南美唄駅だったと思われるあたりに差し掛かって突如現れたトラックは、かつて駅前商店だったと思われる商店跡に止り、自販機で缶飲料を買って去って行った。思いのほか機能している自販機群に感心しつつ、いろはすのハスカップで炎天下の喉を潤す。

Sunday, July 14, 2013

岩見沢



7月4日。早朝、百日紅が咲きかけている都内を後に、初夏の北海道へ向う。さっそく空港で補給のおにぎりを調達し、列車で空知方面へ移動。佐藤水産のミックスおにぎりは1コで510kcalなので、6分目ほどでひとまずサコッシュに戻し、岩見沢駅にて降りる。岩見沢のプラットホームにはばんえい競馬の木彫が佇んでいる。駅を出て、小粒ながらも味わい深い三条通りのスナック街をふらっと廻り、街中の炭鉱資料館にてベルギーの炭鉱写真展を拝す。駅に隣接する北炭鉄道工場跡のレールセンターの上に広がる大きな空には、鳶がピーヒョロ旋回している。初夏にもまだ早い爽やかな気候をイメージして訪れた北海道は、どうにもなかなかの暑さで、駅に戻って飲むハスカップ味の野菜ジュースが美味い。