Tuesday, May 26, 2015

白馬



梅雨入りまではもう少し猶予がありそうだが、紫陽花は鮮やかに咲いている。大沢の段丘を下りて東大の馬場に通りがかる。白い日射しに白い馬体が一際眩しかった。

Thursday, May 21, 2015

特急にっぽん



歯医者の麻酔を冷ましがてら(?)、中野から高円寺まで歩いていると、レンタルビデオ店のオービスだったと思しき場所に通りがかり、帰ってから少し調べてみる。昔の話だと思って、場所だけ確認するつもりだったが、一昨年の5月までやっていたので驚く。ぶらっと本屋に寄ると、川島雄三の『特急にっぽん』の原作である獅子文六の『七時間半』が文庫になっているので購い帰る。

Tuesday, May 19, 2015

弓隊

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道後の宿は噂通りの素晴らしい朝食で、野菜と柑橘をこれでもかとばかりにいただく。市電で目の前になった乗客の広げた新聞の見出しが、「松山城天守が国宝に」と一瞬見えたが、良く見たら松江城である。午前中は雨の予報だったので、予定を入れ替えて午後に行くつもりだった伊丹十三記念館へ。すると、何故か館長の宮本信子さんご来館のタイミングにあたり、軽く言葉を交わさせていただいた。伊丹十三の展示は全く素晴らしいが、父の万作氏も映画監督になる前に挿絵画家やおでん屋だったということにも驚かされる。

昼は銀天街に戻り、アサヒで鍋焼きうどん。趣味の良さそうなアサヒの横の雑貨屋にふらっと入るとベン・ワットのノースマリンドライブがかかっている。そのまま銀天街を抜けてロープウェイで雑貨店主も激賞する松山城に登る。天気はイマイチ回復しなかったが、霧が吹き抜けて行く山上の天守もまた味わい深い。松山城の足下では、高校のアーチェリー部が熱心に矢を放っていて、これならいつ城が攻め込まれても安心だと思わされる。城を下りて喫茶店のフライングスコッツマンで小憩。愛媛新聞の一面は伊方原発再稼働問題。文芸コーナーの俳句がやはり大充実している。

松山を発つ前に空港の食堂で南予風の鯛めし。今回は無事松山空港を飛び立つことができた。羽田からのリムジンバスは中央環状線トンネルを延々と走り初台に出た。荷を解き、通りすがりに買った150円の鯛めしにぎりを齧る。これもまたさりげなく美味い。

Monday, May 18, 2015

松山

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讃岐の屋根も瓦が黒光りして立派だったが、今治は鬼瓦が凄い。列車はそろそろ下校時間に差し掛かっていると思うのだが、学生は少ししか乗り合わせてこない。西日本では朝靄の光は美しいが、昼間のガスった感じが常態化しているのは少し辛い。伊予北条で20分ほど停車している間についに高校生で溢れ、列車は松山に向かった。

松山駅からは市電で市駅へ。銀天街を歩いて、ぼんやりと坊ちゃん書房という古書店を目指してみるがよくわからず、大街道に突き当たって北上する。閉店間際の作業中にみよしののおはぎを無事ゲットし、出雲屋にて鯛めしとジャコカツを早めの夕食にいただく。サクっと揚がったジャコカツが思いのほか美味い。労研饅頭を少し見繕い、大街道の電停から再び市電に載って道後温泉まで。道後温泉行きの市電は市駅行きと違って大層混んでいる。温泉街を少し歩き、一旦投宿。ウェルカムドリンクに用意された野菜ジュースがやたらに美味い。日暮れ時を待って、道後温泉本館の神の湯にゆっくり浸かり、二階で夕涼みする。隣の白人の男性カップル?が仲睦まじい。六時屋のアイスモナカを食べながら、温泉街をブラブラと宿に戻る。みよしののおはぎもやはり美味かった。

伊予西条

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土讃線で多度津に戻り、予讃線に乗換え。目星をつけていた箕浦駅のうどん屋が休みらしいので、特急しおかぜ5号で西条まで飛ばすことにした。しばし燧灘を眺めウトウトしていると観音寺。観音寺では多くの乗客が降りていく。特急が通り過ぎる箕浦駅は、海を眼前にして、貨車駅舎の感じ良い駅であった。新居浜駅前に派手な箱物が作られている。やはり別子銅山もいつか行きたいと思う。

伊予西条の発車メロディーは「千の風になって」。駅のホームの湧水「うちぬき」で口を漱ぎ、古いアーケード街を歩く。餅屋で餅。佐野日進堂なる書店が渋い。ティールーム黒猫や天下堂ビジネスマシンも現存していればよかったのだが、つい昨年の末に廃業したようだ。アーケード街を端まで歩いて、突き当たりのスカイロード跡を少し西に進み、トンカツのごかくでかつ丼。海苔を敷いたかつ丼に青のりが良い。アーケードの一本東の筋のスナック街を通って駅まで戻り、駅前の鉄道記念館をざっとみる。プラットホームの湧水をペットボトルに汲み、一両編成の各駅停車松山行きに乗り込んだ。

船々

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よく眠れず。7時に過ぎにこんぴらさんへ参拝に上がる。朝の光と空気が心地よい。石段を登っていると、神馬の月琴号が鼻を鳴らしている音が聞こえた。ここの一年お世話になった金色のお守りを無事更新する。

山を降りて商店街のタモンパンで買い物。そこら中に貼られた長山洋子の金比羅一段というポスターをよく見てみると、この四月にリリースされたばかりの曲のようだ。宿に戻って荷をまとめ、琴平駅に急いだものの、9時の各停に乗り遅れたため、待合室でゆっくりパンを食う。タモンパンのコロッケパンは平岡のコロッケだろうか。菓子パンもサンドイッチのパンもなかなかいける。

Sunday, May 17, 2015

構内食堂

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岡山発のマリンライナーは出発10分前で完全に満席である。20分ほど進んだ児島駅で観音寺行の各駅に乗換えると、こちらは乗り継ぐ人もなく全くガラガラ。貸切の各駅停車の車窓からゆったり眺める瀬戸内の島々が美しい。川崎重工のクレーンが並ぶ坂出のコンビナートに出迎えられて四国に上陸。丸いガスタンクをぽこぽこ載せたタンカーが妙に可愛い。

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予讃線が多度津に到着し、駅に隣接した構内食堂へ向かう。古い給水塔を背に佇む小屋の壁面に唐突に見える食堂のプレートが良い。給水塔の脇に架かる跨線橋から構内を一通り眺め、食堂に入る。本日のメニューはからあげ定食。テレビではヤクルト阪神戦がかかり、先客はJR職員の2人。書棚にあった「せとうち暮らし」という本を開いてみると、カウンターに腕を乗せて待っているご主人の写真が、先ほど戸を開けた瞬間に見た景色そのものであった。揚げたての唐揚げはなかなか美味く、辛子ポン酢のタレもまたいい。

多度津駅の売店で見かけたロゴマーク入りの少林寺拳法ハンドタオルが案外可愛い。多度津は少林寺拳法発祥の地であるという。琴平行きの各停もガラガラであったが、金蔵寺でそのうちのほとんどの乗客が降りて行く。琴平で下車し、セブンの珈琲を買って投宿。道中、川沿いの歓楽街で見たネオンや、ホテルの窓外の焼鳥屋の灯りを見て、夜の散歩もしたくなったが、食い過ぎのため苦しくて動けず。

モトコー

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5月14日。本年も5月の連休を過ぎて、神戸へ墓参に向かった。新神戸に着いて墓苑に向かう前、三ノ宮から高架沿いを元町まで歩き、とんかつ武蔵のミンチカツをいただく。店は昔ながらのお得意さまが多いようで、ご老人のご利用が多い。元町駅からはタクシーで墓苑に向かう。今年は墓苑内の循環バスで帰れる時間に合わせてやってきた。帰りのタクシーを待たせていないと、墓参りも気が楽で良い。小雨交じりの鵯越駅から神戸電鉄で新開地まで下り、地下鉄を一駅戻って高速神戸に出る。マルーンの車体に抹茶色のシートの阪急電車はやはり心和む。残念ながらJR神戸線の荒んだ高架は撤去されていたが、昔ながらの神戸駅の駅舎はやはり素敵だ。

高架下を三ノ宮方面へモトコーを歩く。狭い通路を挟んで並ぶ商店は閉まっている店が多いなと思ったら、木曜日は公休日ということであった。通りにはホール・アンド・オーツのワン・オン・ワンや、フィル・コリンズのイージー・ラバーが流れている。モトコーは神戸駅寄りの末端部分の古さが特に味わい深い。各種の古道具店を覗いて歩き、アンティークウォッチ屋のオメガに目を惹かれる。雑然と積まれた古いアンプを前にした枯れた店主は、昼から寄って正体不明気味の客をつかまえて、我々のような「オジン」しかこういうのは興味ないんだよと語っている。

とんかつ武蔵と同じ森谷商店ビルまで戻って、エビアンコーヒーでプリンと珈琲。こちらもクラシカルなグリーンの椅子が素敵だ。三宮のアーケード街から地下街を通って地下鉄の三宮駅に戻り新神戸へ。取り急ぎ、新幹線に乗込んで岡山に向かった。

Wednesday, May 06, 2015

天橋上的魔術師



代田橋で沖縄そばを食って、笹塚の台湾物産館へ。台湾情報誌「な~るほど・ザ・台湾」をパラパラめくっていて、天野健太郎氏が紹介していた呉明益の『天橋上的魔術師』という小説が気になる。笹塚から中野まで歩き、吉祥寺までバスに乗ってみた。

Monday, May 04, 2015

映劇大要



昨日の通夜に続いて、叔母の葬儀に参列。気持ちよく晴れた朝だが、午後は雨の予定。告別式を終えると、佐渡島を望む海沿いを通って火葬場まで行く。新潟式では遺骨は壷に入れず、木箱に直接納めるそうだ。

会葬後はタクシーで新潟駅へ。ただし、まだ時間が早いので、ロッカーに荷を預けて、小雨の中をふらふらと町に出た。そのまま歩いて万代橋を渡り、花街の西新道を北に抜ける。更に古町通りの外れを北へ進み、結局、歩いて斎場の辺りまで戻ってしまった。

新潟には葬儀に訪れた訳で、斎場に近いとはいえ行けるはずもない成人映画館の映劇大要だったが、姿だけは拝むことができた。最後に新潟駅に戻り、駅弁の海老千両ちらしと土産の笹団子を買い込んで、帰りの新幹線。立派な会葬御礼は新潟らしく八海山であった。



Sunday, May 03, 2015

宇宙船



叔母の葬儀のため急遽新潟を訪ねた。JR東日本の新幹線は久しぶりで、車内誌のトランヴェールも久しぶり。巻頭のエッセイは山田五郎の「旅先はアート日和」という連載で、第二回にあたる今号は裏磐梯の諸橋近代美術館について書かれている。高崎線が通るあたりから望む、遠くにうっすらと広大な関東平野のへりが見える風情はいい。

北陸新幹線が出来る以前には、長野や直江津まで信越本線の特急に乗って何回か碓氷峠を越えたことはあるが、上越新幹線が出来る前の特急「とき」には残念ながら乗っていない。上越新幹線は清水トンネルを過ぎてもトンネルばかりだなと車窓を眺めているうち、下りの上越新幹線に乗ったのは初めてかもしれないことに気付く。思い返してみれば、乗ったのはいつも夜に東京へ帰る時で、そういえば、車窓の印象も高崎観音ぐらいしかない。越後湯沢のトンネルを抜けて北の斜面を振り返ると、まだ山は雪がちだ。沿線は次第に田植えの風景となった。

新潟の駅前で寿司を軽くつまみ、親類と待ち合わせてタクシーで斎場に向かう。タクシーの運転手によると、この日の新潟の混雑はサザンのコンサートのせいらしい。斎場のすぐ近くには成人映画館の映劇大要があり、その姿を覗き見してきたくなるものの、流石にちょっと抜出してくるわけにもいかない。通夜を終えて、駅前のホテルに投宿。平服に着替えて、駅前をぶらっと歩く。コンビニの本棚の一等地にある雑誌が「財界にいがた」というのが流石に新潟らしい。