Thursday, December 30, 2010

Saturday, December 25, 2010

本八戸



翌12日。6時過ぎにホテルを出ると、軽く雪が積もっている。向かいのホームで一休みしている急行はまなすを眺めつつ、いまや旧東北本線となった青い森鉄道線で八戸に向かう。昨日買い込んでおいた工藤パンが美味い。浅虫温泉あたりから見える陸奥湾は大いに荒れ、どんより暗い雪の景色はまさに小島一郎の津軽を思わせた。次第に空が穏やかになると八戸に到着し、八戸線に乗り継いで陸奥湊で下車。朝市が休みの朝の陸奥湊をふらふら歩くと、ほやが転がっていた。スナックの長いトンネルを抜け、トタンの住宅の間を抜けると陸奥楼が出現。営業している旅館の新むつ旅館だが、日曜の朝はひっそり閑としている。小中野新地を後にバスで本八戸の中心街まで進み、いくつか横丁を廻り歩く。JRの宣伝で吉永小百合さんの訪れた横丁は、吉永さんが実際来る余地など残さないような深い味わいである。「喫茶ぽん」では日曜でパン屋が遅れてるということでモーニングを食いそびれるが、メシ時に来たらと狙っていたハムカレーに舌鼓を打つ。青森に続いて八戸にも寄るべき喫茶店ができた。本八戸駅の前を通り過ぎて、壕に守られた現役のストリップ劇場である八戸マノン劇場の佇まいをとっぷりと堪能し、折返し青い森鉄道で青森に戻った。



閑散とした青森駅の西口を出て、映画『八甲田山』の青森歩兵第5連隊こと青森市の森林博物館まで、小雪の中を見学に赴く。思わず『飢餓海峡』で使われた森林鉄道の車両まであったのには吃驚した。駅に引き返し、最後に青函連絡船の八甲田丸へ。連絡船の停泊する青い海公園では、休憩所となっていた引退車輛のキハがさらに廃屋となって厳かに眠り、津軽海峡冬景色がとめどなく広場に鳴り響いている。船内では素敵なマネキン船長に誘われ、グリーン席や寝台室を巡る。連絡船にはやはりだだをこねてもガキの時に足を伸ばしておくべきだった気もするが、そのような感じで乗った特急などの記憶も今やまったく曖昧である。船内はブリッジや機関室など見せ場が絶えないが、何と言っても見学コースの最後に控える車両甲板にとどめを刺される。新青森駅の土産売り場は大変な賑わい。おまけに駅弁も完売しているので、駅蕎麦をすすって帰路につく。例によって携行本『八甲田山死の彷徨』は完全に開かず。

Friday, December 24, 2010

新青森



12月11日。新青森駅まで延伸された東北新幹線に乗ってきた。長大な八甲田トンネルを抜けて正午に青森に辿り着くと、予報通り天気は崩れている。真新しい新青森の駅員は、MY FIRST AOMORIキャンペーンなどどこ吹く風で、なかなかのぶっきらぼうぶりだ。新青森からは奥羽本線に乗り換えて青森駅。駅前の埼玉屋食堂へ入り、いくら丼、生たらこ煮付、ほっけすりみ汁などをいただく。ストリップの青森DX劇場跡を過ぎ、昼でも暗い陋巷の第三新興街を見学していると、雨脚がさらに激しくなって、ますます暗然としてきた。味わい深い新町の商店街を抜けて、工藤パンのベーカリーで活イギリストーストなどを買い込んでから、喫茶摩論で小憩。居心地の良い摩論への再訪を誓いつつ、隣の喫茶パルナスも気になる。港に面した物産館のアスパムに行って物産を物色し、ブラックロッジの小人のような爺様から天然ヒバの箸などを買い求めた。



アスパム前から乗ったバスは、新幹線にあわせて運行しているというダイヤが全く機能しておらず、小半時以上遅れて県立美術館に到着。閉館まで30分しか無いと念を押され、駆け足で青森ゆかりの冬のコレクション展を廻った。成田亨のケムール人やダダらの原画で少し歩みを緩め、目当ての小島一郎のプリントをぎりぎりまで眺め悶える。短い時間ではあったが、青森県立美術館はなかなかいい。乱れたダイヤのおかげでちょうど遅れてやって来たバスで新青森に行き、奥羽本線で再び青森駅へ。駅前の民藝店で裂織の筆入れ。夕食はアスパム10階の郷土料理屋に行ってみた。10階から臨む窓の外は、夜の津軽海峡の闇黒だった。食後、軽い気持ちで寄った書店の成田本店しんまち店の棚が素晴らしい。ささやかながら『津軽艶笑譚 第一集』と永山則夫の『木橋』を購入させていただく。永山則夫は五能線板柳駅前のマーケット長屋なるところで育ったという。投宿し、風呂上がりにはやはりシャイニーアップルジュース。夜食にはアップルパイをいただいた。

Saturday, November 20, 2010

Thursday, November 18, 2010

Sunday, October 24, 2010

霜降

Wednesday, September 22, 2010

津山



高松駅から芸術祭ヘッドマークのマリンライナーで瀬戸大橋を渡り、岡山駅からは津山線の快速ことぶきで津山まで。津山は駅前からまず廃映画館がお出迎え。町並み保存エリアをちらっと見て、津山城に赴き、つやま自然のふしぎ館をじっくり観賞する。ミナミゾウアザラシVSホッキョクグマのド迫力のジオラマには、巨鳥アホウドリが花を添えている。ガラスに西村旅館とある美しい建物を町中で見つけて調べてみると、とうの昔に廃業していた。なかなか生き生きした佇まいだったので、津山事件の美作加茂を再訪する際にでも…と目論んでみたのだが残念。駅の南側に廻って訪ねた扇形の機関庫は、機関庫が壮観であるのみならず、キハ58、キハ52、DD51などが収まる大ディーゼル天国であった。ぶらぶらしてるうち、ホルモンうどんを食う時間がなくなったが、まあホルモンうどんはいいか。夕方の津山線上りは立つ人も多数いるぐらいの混みよう。岡山駅でダッシュして最終の空港リムジンバスに乗る。台風が迫って雷も眩い中、飛行機は案外定刻通り羽田に辿り着いた。


Tuesday, September 21, 2010

高松



7日。晴れやかな朝の遊郭街を出て、片原町のカフェー街を抜ける。立ち読みした美術手帖で見つけた喫茶城の眼はやっていない。瓦町まで歩いて汗にまみれてきたので、朝一ながらもフラペチーノ。瓦町から琴電志度線に乗って琴電屋島駅に着くと、駅前に屋島山上行きのバスが待っていた。先客はお遍路さん一人で、自分が乗るとすぐバスが出る。ハンミョウの跳ねる後を追って、人気の無い山道を、屋島ケーブル屋島山上駅跡まで登る。駅跡横の土産品店はてっきり廃屋かと思いきや、仕舞屋には子供もいる大家族がお住まいで、誰もやってこない駅跡前も含めて開放的に暮らしていらっしゃるので、閑散とした廃墟を堪能するつもりが、恐縮しつつお庭を拝見させていただくような感じになる。静粛にバス乗り場に戻り、閉じられたレストセンターをぐるりとして、瀬戸内を一望。残念ながら海上にファスナー船は見当たらない。山を降りて、登山口側の方の駅跡も見た後、昭和4年築の琴電屋島駅でしばし休む。高松駅に戻り、駅近のセルフうどん屋でちくわ天とざる。


Monday, September 20, 2010

予讃線



道後温泉から松山駅に戻る途中で市電を降り、大街道の食堂アサヒで鍋焼きうどんといなりずしをいただく。松山発の今治行はほぼ満席。今治は駅前のカフェー跡の一角がひじょうに素晴らしい。丹下健三づくしの役所街を抜け、ドンドビからのびるアーケード街をぶらつく。かき氷の登泉堂に行くと、今シーズンのいちごみるくが終了したとを知ってショックを受けるものの、いよかんミルクもぞんぶんに美味い。席についた列車が逆向きの列車だと発車寸前に気付いて飛び降り、冷や汗をかきつつ今治を後にする。瀬戸内を望む箕浦駅で夕暮れ。午後8時前に高松駅着。美しい夜の高松駅前広場を抜け、ことでんの高松築港駅へ。瓦町まで2駅乗ってから歩いて戻る途中、手打ちうどん鶴丸でカレーうどん。カウンターの隣になった先客のフランス人がおかわりを何うどんにするか悩んでいる。水面に映る特殊浴場のネオンを眺めながら、遊郭埠頭の城東町に向かい、安宿に投宿。


Sunday, September 19, 2010

道後



6日。なかなか布団を抜け出せずに、名物?の早朝やまこうどんは挫折。宇和島駅のベンチには年季の入ったてんやわんやの善助餅の広告が見える。焼きたての宇和島あんぱんを買って、6時17分発の松山行各停に乗車。キハ185系特急型気動車の2両編成である。宇和島からの乗客は3人。最短ルートの内子線経由で松山に向う列車を伊予大洲駅で降り、海沿いを行く予讃線の本線に乗り継ぐ。1両の気動車は数駅進むとジャージの女の子一人だけになった。海の見える駅として名高い下灘駅も、上りの車内から見ると案外面白味に欠ける。過ぎ去る旅客上屋のベンチを見てみると、女子3人で鉄の会らしきものが催されていた。松山からは市電に乗って道後温泉へ。道後ミュージックの「お盆特別企画・怪談ストリップ」に魅かれつつ旧ネオン坂を散策し、びっしり汗をかいて道後温泉本館へ向かう。湯籠で湯に通う老人の渋さに唸らされ、開放的な二階の大広間で寛ぐ。二階席はお茶菓子つきだが、暑いので湯上がりにはサイダーをいただいた。土産用のタオルも忘れずに購入。


Saturday, September 18, 2010

宇和島



予讃線の終点宇和島に着き、駅前にとった宿で自転車を借りる。駅の売店で「四国キヨスク天然水」というペットボトルの水を買ったが、あまり好きじゃない。自転車を漕ぎだすと、駅からほどなくして大竹伸朗のアトリエを過ぎる。アトリエ前を流れるこじんまりした辰野川は無機質に護岸されてるくせにカワセミなんかがいて驚く。しばらく川沿いを遡って行くと清家新一の宇宙研究所があり、なおざりにされたガラスケースには砥部焼のメビウスの輪や「超相対性理論」が飾られている。宇和島を一望しようと城山を登りかけたところ、自転車を降りた途端にコワイぐらい汗が噴き出してきたので自重。コンビニで買った冷凍のペットボトルをタオルで首裏に巻き付け、宇和島港でしばし佇んで少し持ち直す。ここだけは外せないと思っていた多賀神社の世界一の性資料館こと凸凹神堂を訪れて、大いなる感動に打震える。これはパンフ1万円でも買って帰りたい。最後に駅の北側の転車台を少しだけ眺め、自転車での周遊を終えて宇和島駅に帰還。『てんやわんや』の岩松に向うバスに激しく引かれながら、晩飯にいただいた宇和島風の鯛めしも美味い。宿に落ち着いて凸凹神堂で買った凸凹よろこびおみくじを開く。「よろこびの舟を操り竿立ててさし引きてこそ夜々は甘美しき~小吉」とのこと。


Friday, September 17, 2010

豊後水道



5日。昨晩の到着は別府ニュー南映の終映に間に合っていたのだろうか、などと思いながら、朝の別府をぶらぶらする。別府の町はどこまで行っても途切れない広大なスナック街であった。コンビニのエブリワンでパンを買い、バスで別府港へ。豊後水道を渡るために、運送申込書を記入する。二等船室でゴロ寝していると、常連さんの御一行様がやってきて、テレビのスイッチを入れた。細長い佐田岬半島には延々と風力発電の風車が並ぶ。気候も空も甚だしい。二時間半ほど乗船し、正午を過ぎて八幡浜に入港。八幡浜は街からすぐに段々畑がせり上がっている。八幡浜第一防空壕というのが残っているというので見に行ってみると、入り口のクモの巣にナナフシが絡まって干涸びていた。屍骸ながらも天然のナナフシは初めて見たので、心中密かに興奮する。防空壕の隙間を漏れてくる冷気も何とも心地いい。当てにしていたちゃんぽん屋が臨時休業だったので、早めに特急宇和海に乗車し、じゃこ天をかじりながら予讃線を南へ進む。列車から見る『大番』の伊予吉田の入江もまた美しい。宇和海の深くて細いリアス式海岸は、何度地図で見ても見惚れてしまうばかりだ。


Thursday, September 16, 2010

べっぷ



熊本からは九州横断特急で九州を横断して別府まで。夕闇の阿蘇山に後光が射している。大凡の乗客が大分で降り、別府に行く人は少ない。駅の食堂でとり天定食。サラダのごまドレッシングの味付けがいかにも九州らしい。駅前の通りからは、キャバ嬢の小隊が続々とつかまえた客を歓楽街に運んで行く。駅前通りのビジネスホテルに投宿すると、部屋に直接お嬢さんとかを部屋に呼ばないでくださいとのお願いなど。ただし、ロビーで待ち合わせればいいらしい。旅装を解いて、ふらっと外の温泉に出かける。風俗街の真っ只中にある竹瓦温泉には、もちろん呼び込みの林を抜けねばたどりつけない。これが張り店ならいいのにと思ったりする。

Wednesday, September 15, 2010

肥薩線(川線)



SL出発の少し前に人吉駅に戻ったものの、既にSL祭りは華々しく開催中で、立売りの弁当売りも忙しい。なんとか獲ってもらった全席指定の列車は、勿論ぎっちり満席なので、展望車両に避難して窓に張りついた。人吉から北の肥薩線は、球磨川沿いに渓谷を縫って進む。橋梁を渡る際に、大人げない感じで写真を撮っていると、光栄にも仲間と思って下さったのか、50代ぐらいの白人男性が1/10クラスの自作蒸気機関車のアルバムを誇らしげに見せてくれた。それにしても、SL人吉はあまりに沿線中の人が手を振って歓迎してくれるので、心の閉じた自分みたいなものでさえ、最後はなんだか楽しくなってくる。ただ、軽自動車に乗ったおばちゃんが小旗を降りながら延々と並走してくるのには閉口した。八代でドサっと乗客を降ろしたSLは遠くに雲仙を望みながら熊本駅に入線し、ここで友人とのツアーは終了。近い時期の上京と、各自ツアーの報告会を約束して別れた。


Tuesday, September 14, 2010

肥薩線(山線)



4日。天文館から市電で鹿児島中央駅に出て、黒い特急の「はやとの風」に乗り込む。駅売店で買ったまるはちふくれ菓子が美味い。錦江湾越しに桜島を回り込み、隼人から肥薩線に入る。いにしえの木造駅舎が残る嘉例川駅・大隅横川駅ではしばし停車して、乗客総出の大撮影大会。吉松駅からは観光普通列車「しんぺい」に乗継ぎ。待機中のキハ47のモーターが、ホースからの散水で冷却されている。肥薩線のしんぺいエリアは日本三大車窓の矢岳越えに、ループとスイッチバックの連続がある大サービス区間であった。人吉では「SL人吉」の発車まではしばらく時間があるので、市街を少し散策する。この日にNHKが走らせていたBSデジタル号という企画列車とかち合ってしまったせいか、当たりをつけていた鰻屋は満席。ふらふらと人気の無い新温泉を覗いていると、向かいの家から「BSの人?」と声をかけられる。肥薩線を南下して人吉にやってきたBSデジタル号の生中継をつい今し方まで見ていたとのこと。時間つぶしに入った喫茶店でいただいた長崎風ミルクセーキが何とも美味かった。


Monday, September 13, 2010

両棒餅



鹿児島市内に戻って、まずは両棒餅。磯浜に並ぶ「男はつらいよ」の舞台である中川家と、向田邦子のエッセイでも有名な平田屋の両店で購入して持ち帰ると、客引きに熱心な中川家の視線が冷たい。磯浜の向こうでは桜島がバフバフと灰を吹き出している。桜島フェリーに乗って、両棒餅をむさぼる。平田屋圧倒的。両棒餅は、今宮神社のあぶり餅を素朴にした感じでとても美味い。それにしても桜島西側の降灰凄まじい。市内に戻り、寂れた名山堀の飲屋街をきょろきょろしていると、二階から飛んできた冷や水が目の前をかすめた。晩は天文館でせいろ蒸し料理。デザートに安納芋のアイスが出ていたけど、帰りにローカルアイスだというブラックモンブランも食う。はずれたけどくじ付き棒がかわいい。この日は天文館の安宿。


Sunday, September 12, 2010

007は二度死ぬ



3日。旅館の朝食はよくあるバイキングだが、あくまきという当地の餅菓子がなかなかいい。宿を後にすると薩摩半島を西岸に向かう。池田湖でイッシー像と戯れ、巨大うなぎを見て歩く。開聞岳が見事だ。リアス海岸沿いに車を進め、絶景の丸木崎展望台で小憩する。案内板にある憧れの甑島は海上に望めなかったが、眼下に見える美しい入江の丸木浜に降りてみる。薩摩半島西岸の目的地は『007は二度死ぬ』の秋目浦。後年建てられたロケ記念碑は勿論、浜美枝と新婚生活を送るジェームズボンド邸が現存している。入江にある食堂兼売店で少し話を伺い、懐かしい感じのパインキャンデーで涼む。秋目浦からは吹上浜は経由せず、薩摩半島を突っ切って鹿児島市内に向かう。途中、九州ローカルのファミレス、ジョイフルでざっと昼飯。


Saturday, September 11, 2010

指宿



宮之城から曽木発電所に辿りつくのに手間取ったため、他の寄道は自重して、宿をとっている指宿に直行する。一旦宿に入り、外にある砂蒸し風呂の砂楽へ向かう。砂蒸し風呂なんかと思っていたが、ズシリとくる砂の重さがなかなか気持ちいい。iPhoneやらケイタイやらよろず撮影機器全般を手慣れた感じで次から次と取り替えて撮影していた砂掛けの兄ちゃんが撮ってくれた写真の仕上がりの投げやりぶりには感心させられた。宿で供された季節の懐石プランの夕食は、残暑激しい秋懐石で若干季節を早どりし過ぎた印象を残しつつ、薩摩焼の器が美しい。食後は旅館の大浴場へ。バカバカしいまでの規模を誇る元禄風呂を楽しむ。もちろん花魁風呂も。

Friday, September 10, 2010

宮之城



9月2日。鹿児島の友人を訪ね、友人3人と飛行機に乗った。しばし友人との再会を祝し、出迎えてもらった車で、空港からさつま町へ向う。廃線となって久しい旧宮之城線の宮之城駅跡を軽く素見し、生家の製麺所を見学する。これがまったく素晴らしい産業遺産だった。午前の作業を終え、蕎麦粉と切れ端とが散乱した床に射し込む光が美しい。婆さまにアイスやサイダーをふるまっていただき、歓待を受ける。製麺所を出てからは、曽木発電所の遺構を見に大鶴湖へ。鶴田ダムが出来て水没した旧曽木発電所は、夏の間だけ姿を見せる。曽木発電所に来たついでに寄った、東洋のナイアガラこと曽木の滝も存外に見事だった。曽木の滝のレストランで黒豚カツ丼。


Saturday, August 21, 2010

天城街道



沼津から高速船で土肥に行って魚を食う。幼い頃に泊まった土肥グランドホテルはかなり年を召していたものの、こんな入江で過ごす夏休みもたまにはいいかと思う。土肥からは山中をバスで修善寺に向った。バスに揺られるうち、これは『ありがとうさん』だなと思い出す。花火大会の準備に追われ、そわそわする街の雰囲気はいい。屋台にはブブセラ。修善寺でひとっ風呂浴びて、涼みに入った喫茶店で『秀子の車掌さん』を見てからどうしても食べたかったラムネかき氷をついに食す。どうしたって美味い。帰途に熱海で食ったアジフライが、これまたひじょうに美味いのだった。


Thursday, August 12, 2010

南極・北極科学館


オーロラを見に、立川の南極・北極科学館へ赴く。オーロラ上映が終わり「これはまだまだ改善の余地があるなぁ」なんて思っていたところ、目を輝かせて出てきた女の子の「凄いね!」という無邪気で弾んだ声を耳にして、なんか反省する。生憎の雨だったが、シネマ通りや錦町ものぞいていった。

Saturday, July 31, 2010

小姓町


三日目。山形の街をぶらぶら歩く。途中、みやげにもとめた山田家のふうき豆がすばらしかった。七日町あたりは今度もう少しじっくり歩き回ってみよう。かみのやま温泉駅の浴衣ガールズも気になったので、そちらにも伺わねばならないし。米沢では牛を食らうために下車し、峠駅では駅売りの峠の力餅を目の当たりにすることができた。快速ラビットで落ち着いて峠の力餅をいただく。美味い。

Friday, July 30, 2010

奥羽


二日目。乗り継ぎの合間にちょっとだけ大曲駅前を素見してから、奥羽本線を横手へ。横手では名物のやきそばをいただき、街を軽く散策。暑い横手盆地の散歩には、虫菓子で名を馳せる小松屋のアイスドリアン。横手からは奥羽本線をさらに南へ院内まで。駅併設の院内銀山異人館に伺い、銀山の説明をしていただく。賑やかな銀山の街が鳥居のみを残して森に飲み込まれてしまう様は凄まじい。異人館では自転車もお借りして、田園風景をさわりだけ味わう。奥羽本線を山形まで上り投宿。街の郷土料理店で、だし豆腐や芋煮などで晩餐。

Thursday, July 29, 2010

黒湯


18きっぷシーズンがはじまったので、早速、涼をもとめて北へ。当初、松尾鉱山から尾去沢鉱山へと花輪線を辿るルートを目論んでいたんだけれども、乳頭温泉から奥羽本線を戻るルートに縮小してしまった。それはともかく、山間深く分け入った黒湯温泉は涼しくてひじょうに気持ちが良い。

Saturday, June 19, 2010

尾道



3日目。福山駅前には鞆の浦行きのボンネットバスがとまっているが、ポニョ景気に沸いているという鞆の浦はパス。この日は山陽本線を戻って尾道へ。坂対策のため、リュックをコインロッカーに預けてみる。土堂の商店街を抜け、久保の飲屋街を歩く。フリーで流している犬がやってきたので、ちょっと気を許すとまんまと盛りつかれた…。竹村家、浄土寺など東京物語の地を詣で、時かけの梶山時計店も覗いてみる。長江からは千光寺へ坂をずんずん登る。休み休み登る老人の姿は、ここで暮らすことの大変さを感じさせるが、坂はもちろん素晴らしい風情で、見おろす尾道水道もまた良い。



土堂方面に下る途中、ネコノテパン工場というところでパンを買い込む。商店街まで降りると山本モナがバイトしていたことを売りにしてる店なんかもあったりするが、大和湯という銭湯跡の喫茶店でカレー。渡船で向島へ渡ると、兼吉の桟橋では、ゲゲゲに次ぐ朝ドラ「てっぱん」の撮影をしている。一瞬、賑やかさに戸惑うものの、向島捕虜収容所跡まで行く頃にはすっかり平常であった。島から戻り、からさわのアイスモナカで一休み。駅西側のガウディ・ハウスなる古民家を眺め、駅前の桟橋にしばし佇んで帰路についた。ネコノテパンもっと買えばよかったな。あと、にしき堂の生もみじも美味い。

芸予の島々



せっかく瀬戸内を望んでいるので、「綺麗な夜明けじゃった」の会を開いて二度寝。朝食に出たさよりの一夜干しがまた良い。10時に出る竹原行の船が出るまで再び御手洗を徘徊し、芝居・映画小屋跡の乙女座を拝見する。待合跡の若胡子屋は残念ながら無期限閉館中。「えっ乗るの?」と驚かれつつ船に一人乗り込み、隣の大崎上島の木江まで。木江もまた遊郭のあった港で、短いながらも天満の通りは本格的に素晴らしい町並み。商店に集うおばちゃんたちから「またリュックなんかしょったヤツが写真撮りにきやがった」って感じのささやきも聞こえて恐縮する。ひとしきりぶらつき、木江港の土手に座って、バスを待ちつつボーっとしていると、乗ろうとしていたバスが無情に通り過ぎて行った。フェリーの切符売り場のおばちゃんに「バスってもうしばらく無いですよね」と分かりきったことをぼやかせてもらう。大阪出身だという優しそうなおばちゃんは、何かと不便な環境について「島はダメ」と繰り返しつぶやいていた。



諦念してタクシーの電話番号を教えてもらい、気のいい運ちゃんに白水港までひとっ走りしていただく。白水港からは竹原へ。寄って行く予定のなかった竹原の町並み保存地区はちょっと上品過ぎた。1日ぶりに呉線に戻り次は忠海港へ。ここからは大久野島に渡る。週末の毒ガス島は、毒ガス施設跡に集う廃墟ファンがあふれるということはなく、うさぎの歓迎も早々に、船客は島に着くなり休暇村へ直行していく。おかげで発電所跡も毒ガス貯蔵庫跡も一人ゆっくり過ごした。忠海に戻ってからは再び呉線を東へ。今日の仕事を終え、乗り込んできた造船所の男たちがどうにも男前だ。三原からは山陽本線に乗り継いで福山へ。大衆食堂稲田屋で肉丼と関東煮をかっこみ、福山にて投宿。

安芸



6月4日、雰囲気に流され広島に来てみた。山間の空港から広島駅に着くと、まずは駅前の愛友市場や京橋会舘などを堪能。駅の西側にひっそり佇む大須賀町の飲屋街もまた捨て難い魅力だ。ただし、残念ながら広島日劇は跡形も無い。駅前で広島焼きをちゃちゃっと食べてと思いきや、やたら時間が掛かって少しあせる。市電を比治山下まで行き、広島太郎さんじゃなくて、都築響一の展示を鑑賞する。まあ、やはり結果的に精子宮を中心に…。皆実や流川あたりもフラつきたかったけど、それはまた今度。ちから広島駅店でおはぎを買い込み、呉線で安芸川尻へ。



川尻からは今治行きの高速船で大崎下島の御手洗まで乗船する。重伝建地区の街並は常にそれなり。投宿前に高台から瀬戸内を眺めておこうと、おいらん公園という所へ上る。この日の宿は、かつて遊郭として町を盛り上げた船宿だったという建物。とにかく夕食が凄くて、あなきゅうやたこの先付けから、鯛の活造り、メバルのあんかけ、かれいの唐揚げ、穴子蒲焼、たいそうめん、はまち寿司といった次第(予め貝はパス)。長い食事が終わってとっぷり日も暮れると、長屋にはべっぴんさん(花魁)の打掛と自分一人が残され、椋鳩十の離島ものがたり「黄金の島」を読みつつ床についた。

Thursday, April 29, 2010

下石原


GR3が来たので散歩。

Wednesday, April 14, 2010

桜川



18きっぷを使い潰しがてら土浦を訪れた。途中、成田で少し寄り道し、成田線の我孫子支線から廻ってみる。桜川も土浦市街は満開を過ぎ、もう桜吹雪のはずだったが、まだまだ咲き誇っていてハズレ。桜川の堤に隣接する広大な歓楽街を抜け、古い木造の店舗を守る保立食堂で天ぷら定食をいただく。食事を終えて、外壁に貼ってあった案内書きを見ると、こちらはかつて予科練の指定食堂だったそうで、二階の座敷で家族と面会していたという。ということはひょっとすると父と祖母がここに来ていたという可能性もあるわけだ。



土浦駅に戻り、バスに乗って旧土浦海軍航空隊の陸上自衛隊土浦駐屯地へ。現存するはずの旧司令部庁舎や士官宿舎のあたりへは平常入ることが出来ないものの、今も残る医務科の跡は見学コースの中に入っている。医務科に関してはまず間違いなく父も世話になったことだろう。土浦の予科練記念館に行ってきたと告げたら、父にどんな顔をするだろうと思わなくもないが、まず行ってきた話なんてしなかっただろうな。

Thursday, April 08, 2010

電波天文台



翌日はバスで軽井沢に抜ける。「カルメン故郷に帰る」の軽便鉄道の跡を辿って、北軽井沢駅の 跡なども見てみたかったが、時間的な都合で西武バスに乗る。雄大な浅間山を過ぎると、西武バスは国土計画の爪痕を縫うように進んで行った。終点の手前の中軽井沢駅で一足先に降り、しなの鉄道に乗って小諸へ。古城をスルーしてほとりの蕎麦が美味い。因に「小諸そば」って殆ど23区の中心にしか無いんですな。寄っていく予定のなかった小諸だが、なかなか味わいのある町だった。そして駅構内で雑然と売っていたパンもまた捨てがたいのだった。



小諸からは小海線で南下。残念ながらハイブリッド車とはすれ違っただけで乗車はできず。列車を野辺山駅で降り、自転車を借りて電波天文台に向かう。日本一標高が高い駅の野辺山なので、軽く高地トレ気分である。天文台ではパラボラ銀座の直径10mのアンテナが6台並ぶ姿も心躍るが、ちっこいアンテナが84台ぷちぷち並ぶ電波ヘリオグラフがどうにもたまらない。高原茶屋すばるが営業してなかったのは甚だ残念。野辺山から小海線を少し乗り足して小淵沢。小淵沢で駅弁を買い込み、だらだら帰るかと思っていたら、「ホリデー快速ビューやまなし」とかいうのが来たので、ありがたく乗せてもらう。草津ではまだ梅と辛夷で、山梨は桜の季節であった。

草津



予定通り18きっぷ期間に吾妻線に乗って草津温泉に行った。吾妻線の上を行く八ッ場ダムの湖面二号橋はもう完全に繋がっている。大前駅で撮影小憩後に折り返し、草津口からバスで温泉街へ辿りつくと、雪が舞っていた。草津の湯はまったく流石。温泉とはこういうもんだという湯であった。