Tuesday, January 31, 2017

アマゾン



夜食に入った牛浜のファミレスで、南米人らしきお爺さんが、アジア人らしきお婆さんに、つたない日本語でスペイン語を教えている。あまりに慎ましく仲睦まじい様子に思わずジンとする。

福生に越すことになって、牛浜に「アマゾン」という面白い店があるという話を聞いた。ただ、下戸としてはなかなか敷居が高い店で、足を踏み入れられる気がしない。

Wednesday, January 25, 2017

プロパン



福生に住んで、生まれて初めてプロパンの世話になり、特に何も考えずにガス屋と契約していた。町中で各戸のボンベを見るにつけ、よくこれだけ色々な会社がプロパンで商売しているものだと感心させられるが、それぞれガス代が全然違うのだという。ネット上では、安い値段で契約をとって値上げしていく例も多々報告されているが、実際かなりの価格差があって驚かされる。

古い福生新聞を見ていると、「マルヰのプロパン」というガス屋の広告があった。マルヰというのは、このあたりでは古いガス会社なのだろうと思ったら、元々は岩谷ガスのブランド名から由来しているものらしい。

家庭用のプロパンはシェアトップの岩谷ガスが、昭和20年代に「マルヰプロパン」として日本初の家庭用LPGを販売したことに始まる。全国のマルイと名のつくガス会社は、必ずしも岩谷の子会社というわけではなく、代理店みたいなところも多いのかもしれない。また、岩谷創業家の長男が別途設立したのが、関東でシェア2位のニチガス。2009年に兄弟会社の岩谷から、ガスの供給を止められるという複雑な関係でもある。ちなみに、福生の都市ガスは、東京ガスではなく、武陽ガスによるもの。

不意にガスボンベの交換に遭遇すると、『海炭市叙景』のことを思い出したりする。そして、切なさにおそわれながら、思わず足の指を縮こませてしまう。そういえば、函館にはもう10年行っていない。

Saturday, January 21, 2017

いこい



八王子の憩にて小憩した後、南口に渡って山喜でトンカツ。八王子に行く機会が増えた半年前の2015年末にフランクが閉店していたのは返す返すも残念。

Tuesday, January 17, 2017

牛濱驛



拝島駅のコンコースほどではないが、牛浜駅の橋上からも富士山がよくみえる。青梅線初の橋上駅舎の面目躍如である。

Monday, January 16, 2017

氷鉢



水道が凍らないように水を少し出したままにするという雪国の話があるが、氷点下5度の夜を明かした給湯器がお湯を出してくれなくなった。商店街が開くぐらいの時間まで様子をみていたら、なんとか復活していたのだが、このぐらいの気温はまだ続きそうなので少し不安である。

一方、室外の睡蓮鉢は、数センチにもなる厚い氷がはっている。流石にメダカも氷漬けになってしまったのではと一瞬危惧したが、底の方で何事もなかったかのように漂っていた。

Sunday, January 15, 2017

霜焼け



週末を前にした牛浜駅が、簡易Suica改札機の準備をしていた。牛浜で簡易Suicaを見るのは友好祭以来で、そんな人出の見込まれるイベントは何かと思ったら、フロストバイトロードレースなる横田基地内を走るマラソン大会らしい。大会当日となり、混雑の予想される青梅線沿線を離れることにして、武蔵村山のイオンシネマで『アイ・イン・ザ・スカイ』を観賞。夕方、拝島に戻って上水ぞいの銭湯に寄ってみると、はるばるやってきたマラソン帰りの人で大変なことになっている。

以前、ふらっと武蔵五日市駅に行った時、町中が市民ランナーだらけで参ったなと思ったら、ハセツネと呼ばれる日本最高峰のウルトラマラソンが行われるところだった。そんなものが毎年五日市で行われているのかと驚いたが、71キロの山道を24時間かけて走る人たちだったと分かっていれば、畏敬の目で見送っていたことだろう。一方、フロストバイトは、成人でハーフと5キロの2種目。参加賞のアメリカンなトレーナーも人気を呼んでいるらしい。

Wednesday, January 11, 2017

福生町営と場



福生の東口にはハム工場が2つある。1つはレストランも併設した大多摩ハムで、もう1つは木曜だけ直売をしている福生ハム。この段階で何か気づくところがあっても良さそうなものだが、こんな近くに二軒もハム屋があるんだなぐらいの意識で福生ドッグを食っていた。

先日、福生新聞という昭和40年代に廃刊したローカル新聞をネットで見ていると「福生町営と場」という広告があった。一瞬「賭場」かと思ったが、そんなものが町営である筈もなく、屠殺場の「屠場」である。古地図などを見ると、所在地は現在のセントラルフィットネスクラブの駐車場あたり。これは大多摩ハムと福生ハムの中間にあたるといってもいい場所だ。

戦後、本場品川のローマイヤー氏のもとで修行したという小林氏が、福生屠場の高橋氏から用地を紹介されて設立したのが大多摩ハム。続いて、屠場の高橋氏自ら設立したのが福生ハムであるという。ちなみに、福生の屠場は多摩川の河原の方に建て替えらえれた後、昭和47年に廃止された。当時は東京で芝浦に次ぐ歴史ある屠殺場とのことであった。

Tuesday, January 10, 2017

都市再生機構



冬になってから、ずっと富士山が見える。多摩川越しの富士山を眺めながら、団地が並ぶ土手を歩いていると、多摩川の流れに沿ってC-130輸送機が一機また一機と飛んでいき、6両編成の五日市線が多摩川の鉄橋を渡って行く。このあたりは河口まで50キロのあたりで、国道16号だと横浜まで50キロぐらいになる。

Wednesday, January 04, 2017

元服



奥多摩街道沿いにある貸衣裳店のショーウインドウがきらびやかな新成人の姿に彩られている。本場沖縄ほどではないにしろ、基地の町として福生の成人式もそれなりの雰囲気はあるのだろう。件の貸衣装店は日本で初めてカラー紋付を開発したというのだが、基地の町からヤンキー文化を発信したということになれば、それは正統という気もしなくはない。

Monday, January 02, 2017

カモフラージュ



初詣に神明社へお参りして、裏参道の階段を下りると、隣接した長徳寺前の六地蔵さまが迷彩の上着をお召しになっていた。