Monday, December 31, 2012

高砂



12月23日。みゆき通りのはまもとコーヒーでアーモンドバタートーストのモーニングをいただき、姫路からは山陽電車で高砂へ。国鉄高砂線の廃線跡を辿って商店街へ向うと、梅ヶ枝湯の煙突が見える。極めて控え目なクリスマスムードを醸す高砂センター街の寂びた佇まいは甚だ素晴らしく、商店街のフラッグで展開している「ぼく、わたしの考えた町を元気にする生き物展」も何気にみせる。カネカの煙突の方へ南下して、僅かに残った古い社宅の名残を見届けてから、運河沿いに北へ戻る。永楽橋から三菱製紙の工場あたりの水辺の風情も一方ならないものがある。



永楽橋のバス停から路線バスに乗り、少し山手側の加古川へ。ちょうど昼時だったので、加古川名物のかつめしを洋食エデンにていただく。駅の売店でおにぎり煎餅銀シャリ味を補充して、ぼんやり列車を待とうとホームに上がってみると、待合室は満席。軽く霰まじりの空模様の下、しばしホームに佇んで加古川線を待つ。そんな訳なので、一両編成の谷川行もあっという間に満席となる。車内は列車無線が無闇に流れ続けて煩い、と思っていたが、よくよく聞いてみれば響いているのはラジオである。どこでもラジオの爺さんは自由なもんだなぁと振り返ってみると、主は意外にも孤高な高校生であった。

ガランとした谷川駅の駅前を乗換の間少しぶらついて戻ってくると、列車の時間にあわせて教習所のバスや路線バスが到着し、続々と人が集まってきて驚く。谷川からは福知山線で福知山を周り、山陰本線で京都へ。京都からはこだまでのんびりと帰路につく。いつもながら泉仙の弁当は本当に美味い。

Sunday, December 30, 2012

加茂橋



津山から先に行く姫新線の発車までかなりの時間があるので、すぐに津山駅を発車する因美線で少しだけ寄り道する。黒地にガイコツプリントというファンキーなジャージのふくよかな黒人女性が高野駅で降りていくのを見送り、昭和3年開業の古い駅舎が残る美作滝尾駅で下車。つかの間、駅を鑑賞する。駅のすぐ手前にある因美線の橋梁と並んで架かる加茂橋の竣工は親柱によると昭和10年。西加茂村で津山事件の起こる3年前ということになる。橋上、甚だ風が冷たかった。

津山に戻る折返しの因美線は無人である。津山駅で下車し、乗ってきた車両を振り返って見ると、列車は姫新線の作用行に変身していた。日が暮れ、県境のトンネルを潜って上月。窓際は厳しく冷え込み、屋根には少し白いものが見える。作用駅、播磨新宮駅と乗継いで姫新線の終点の姫路まで乗車。大普請中の姫路駅を出ると、大修理中の姫路城を囲う四角い箱がライトアップされてますます四角い。おみぞ筋の書肆風羅堂をのぞき、サム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』を購う。えきそばを食いに駅に戻り、スーパーでバッテラ寿司(ハーフ)や淡路島ヨーグルトを買って、姫路の宿に一宿。

Saturday, December 29, 2012

新見



10時過ぎに岡山を後にして、吉備線の田園地帯を進む。総社で伯備線を待つ間、駅前に出てベーカリートングウの「上あん」を買い込む。トングウアパート、サンライズトングウ、トングウIIなど、総社駅前ではトングウさんの勢力が絶大だ。時間的には新見駅で午餐にするつもりだったが、あまり空腹でもないので、アーケードのなくなった新見銀座を3年ぶりに歩いてみることにする。この日はすっかり雨が上がったと思ったのに、屋根の無くなった新見銀座を歩く時だけは雨が降ってくる。ニコニコカメラの頭上にも鈍色の空が広がり、覆いの無くなった突き当たりの大店は立派な石州瓦を露にしている。

新見からは姫新線で山間を東へ進む。一両編成の津山行はクロスシートの4箱が即座に塞がれると、すかさず出発した。岡山に入ってから、なんだか旅の乗客がみな氷結を飲んでいる気がしてしょうがない。山中、ハンガーにかかった肌着が人気のない林間の木の枝にポツンと一枚風になびいている。沿線はなかなか立派な瓦の家が多い。刑部駅を過ぎ、一瞬、虹が見えた。

Friday, December 28, 2012

岡山



12月22日。7時起床。宿を出て歓楽街の田町を歩く。人影のない早朝、「夜寿司」に営業中の看板が掛かっている。田町から西へ表町の飲屋街を抜けて、中島遊郭の跡を歩く。妓楼前、パジャマ姿で川の淵に立ち、悠然と朝の一服を味わうご老人の姿に軽く嫉妬する。東西の中島を一通りそぞろ歩き、京橋を渡って帰ろうとしたところ、後方から『横須賀ストーリー』を派手に鳴らすヤンチャな車が迫ってくる。そっと眼を逸らして川面を見ると、川鵜が魚を嘴で弄び、高らかに獲物を水上に掲げていた。



西大寺町の電停から市電に乗って岡山駅へ戻り、駅前のことぶき食堂に入る。席に着けば、即ち山陽新聞とお茶とが、老主人によって差出される。朝食に玉子丼をいただいてから、駅を西に渡って奉還町を少し廻る。商店街の裏に密かに佇む奉還町のスターハウスは、閉鎖されて警察の管理下にあるのものの、周りはまだ人がお住まいなので、粛然と拝観させていただく。ちらほらとシャッターが開き始めた朝のアーケード商店街には、トーキングヘッズのワイルドワイルドライフが流れている。

Thursday, December 27, 2012



呉に到着すると、心配していた雨はまだそれほどでもない。中通に向かって北口を出て、自衛隊御用達の制服店や帽子店の店先を素見す。このあたりでは、美容院の店先にも「自衛隊歓迎・おしゃれ坊主・ソフトモヒカン」などという惹句が踊っている。中通の商店街に差し掛かると早速見目麗しい中ビル。呉名物のメロンパン中通支店で、どっしり重いメロンパンと平和パンをもとめ、はす向かいの福住フライケーキでは、揚げたてのあんドーナツを買って歩き食いする。自分の後に並んでいたトレンチコートの紳士は、2コばかりのフライケーキを買いもとめ、颯爽と街へ消えていった。麗女通、新天街と、開店前のスナック街を流し歩き、海軍珈琲の昴珈琲喫茶部にて少憩。



商店街を堪能した後は、両城地区の急傾斜地帯を西愛宕町からアタックする。微かに段々の形跡が残るガレ場を抜けると、尾根伝いには古い墓が並び、ぽこっと空いた更地に、今後一切ここに住居は建設できないとの標が立てられている。一度谷戸に下って、両城の主稜へは北壁から挑む。山上でしばし軍港を望み、難所の200階段を下山する。激しい雨の中、下の見えない断崖に足がすくみ、誰もいないのを良いことに、よちよちと手すりを握って降りてきた。そういえば、階段上を曲がったところですれちがったお婆さんはあの壁を登ってきたのだろうか。



二河川を渡り、海沿いを駅方面に帰りがてら、宙に浮ぶの潜水艦のあきしおを見上げる。家路を急ぐ人々で混雑していた夕方の呉線も、広駅を過ぎると徐々に空き始め、安芸津駅ぐらいではかなりガランとする。冬至なので当然窓の外はもう真っ暗である。隣の車両では「君が望むなら〜」「ヒデキ!」とがなる学生たちで騒がしいが、若者の間においても、まだまだヒデキの絶唱が広島県人の嗜みであることに少し心がなごむ。呉線を終点の三原で下車し、駅前の食堂でハンバーグ定食。味噌汁の具にスパゲッティというのは初めてである。三原からの夜の山陽本線はゆったりしている。岡山に到着すると結構しっかり雨なので、寄り道せずに市電に乗って宿へ。夜食の平和パンが美味い。

Wednesday, December 26, 2012

岩国



12月21日。北に向かって羽田を離陸した機体が岩国に向けて右へ旋回すると、眼下には猿島、江ノ島、初島に続いて、芦ノ湖が現れた。機内のアナウンスはこの日が冬至であることを告げている。米軍基地と滑走路を共用にして開港した岩国空港は、開港から既に1週間が経過し、もうすっかり落ち着いたように見える。迷彩の人が一人突っ立っている姿を滑走路に見かけたが、他に全く軍の気配は無く、空港全体は大普請中である。こじんまりしたターミナルの売店には地酒の獺祭がずらりと並んでいた。

バスで至近の岩国駅に出て、駅前の寿栄広食堂にて中華そば。呼出マイクで注文を伝えるおばさんの棒読みな具申が、賑わう店内で虚ろに響いている。電車に乗る前に、少しだけ駅周辺のスナック街を廻ると、米軍を歓迎する看板がちらほら見える。わざわざ「日本人は3000円で飲み放題」という設定があるのは、米兵だとそんなもんでは間尺にあわないということなのだろう。錦帯橋と白蛇はまたの機会ということにして、広島方面へ向かう山陽本線に乗り込む。純喫茶パールのなくなってしまった広島は素通りし、そのまま呉線に乗換えて軍港呉へ向かった。

Wednesday, December 05, 2012

Tuesday, December 04, 2012

純喫茶パール



広島の純喫茶パールが11月25日をもって閉店したという。個人的には、広島駅前には純喫茶パールがあるという絶大な安心感があった。閉店は猿猴橋町全体の再開発に伴うものだそうで、已むを得ないことだとは思うが、あの素晴らしい街並もごっそり失われてしまうことになる。

Sunday, November 25, 2012

怪獣殿下



ぶらっと多摩川まで歩いて、多摩川住宅からバスに乗って帰った。家に帰り、ゴモラの回だというので、ウルトラマンのリマスター放送を見てみると、つい先ほど見上げた給水塔が映っている。ウルトラマンの第26話『怪獣殿下』は、南の島で眠っていた恐竜ゴモラが万博の見せ物にされるために日本に運ばれてくるという金城氏らしい物語で、団地の設定も関西ではあるはずだが、その容姿は紛うことなき多摩川住宅であった。昭和39年に着工されたマンモス団地の多摩川住宅は、日活撮影所のお膝元にありながらも、ウルトラシリーズ御用達の団地でもあるようで、セブンやタロウなどにも登場するらしい。ちなみに成田亨にデザインされたゴモラの頭は黒田長政の兜を模したものであるという。そして来週放送される後編でゴモラは大阪城を破壊することになる。

Tuesday, November 20, 2012

Monday, November 19, 2012

六曜館



「六曜館さん江」と添書きのある高峰秀子の色紙を六曜館珈琲店で見て思ったのは、何の撮影で甲府に来た時なのかなということだった。甲府のバス会社の話とはいえ『秀子の車掌さん』は戦前なので流石に古すぎるし、深沢七郎の『笛吹川』の撮影の時にでも寄ったのだろうかと思い、甲府でロケしたかもしれない高峰秀子の映画を調べてみると、木下惠介監督の『二人で歩いた幾春秋』という映画がある。この映画の中には、甲府市内にある岡島デパートの食堂で高峰秀子がカツ丼か親子丼を悩むシーンがあるそうで、六曜館の建物の経年ぶりからしても、昭和37年の映画なら、その可能性も無くはないように思えた。

また、岡島デパートと聞いて思い出したのは、市内を散策していた時に当のデパートあたりで見かけた六曜館という骨董屋が、駅前の珈琲店となんらかの関係があるのだろうかと思ったことで、そこで六曜館骨董店についても少し調べてみた。しかして、骨董店と珈琲店のオーナーは同じ方のようである。色紙の「六曜館さん江」というのは、骨董好きの高峰さんが岡島デパートの撮影についでに骨董店に寄って…ということは多いにありうる。後は六曜館骨董店が当時から岡島デパートあたりにあったのかなど、六曜館の創業について調べてみると、喫茶店の方が昭和48年、骨董店は昭和51年のオープンということがわかった。つまり、残念ながら昭和37年の『二人で歩いた幾春秋』の撮影には全く間に合っていないことになってしまった。

六曜館珈琲店は、駅前旅館の萬集閣一階の片隅で営業している。遅まきながら、その萬集閣の玄関のガラスの上隅に古美術古民芸とあったことを思い出し、撮っていた写真をよくよく見てみると、植木に隠れた硝子の部分に「ギャラリー六曜館」の文字が見える。これはおそらく骨董店もこちらで開業したと思っていいのだろう。まあ、珈琲店でも骨董店でもどっちも六曜館は六曜館であるが、映画の撮影と関係は無さそうなのは少々残念な気もする。六曜館珈琲店には、今度、乗継ぐ時にでも寄って行こう。そしてカツ丼か親子丼のどっちかを岡島デパートに食いに行きたいと思う。

Sunday, November 18, 2012

オリンピック通り



11月11日。7時起床。昨日、歓楽街を通りがかった時に見た看板によると、特殊浴場の舞姫さんの早朝サービスが9時からだったので、その前に行けば辺りも少しは静かだろうと思ったものの、朝も7時から早朝サービスしているスチワーデスさんのような店もある。しかし、まあそんな時間の利用者がそうそういるわけもなく、呼び込みの人も出ていないので、ほぼ眠っている朝の歓楽街をぶらぶらと巡る。味わい深い裏路地が続き、オリンピック通りの暗がりに陶然とさせられる。

あたりをつけていた喫茶店が定休日だったので、甲府の駅前に戻る。バスターミナルのベンチでずんちゃんパンを頬張りながら、昇仙峡に向かうバスの行列がみるみる膨らんでいく様を見るにつけ、あれに乗るのは無理だと観念する。昨日回れなかった北口を徘徊すると、駅前では、新山梨県立図書館の開館記念式典が行われようとしている。図書館の新館長は何故だか阿刀田高氏だという。朝日通りの商店街をしばし北に進んだ先で、アーケードの新天街の素晴らしさに思わず息を飲む。



駅に戻りがてら、美味いけれどもセクハラが凄まじいことで評判の焼きいも屋の、見事なまでに廃屋風情を見学に伺った。やっているかわからないというか、どちらかといえばやってるはずのない佇まいなのだが、装飾用に吊られた芋からするとシーズンには入っているらしい。駅に戻り、しばし山交百貨店のスタバでゆるりとして、午前中のうちに特急かいじで帰路についた。車窓の紅葉は、まぁ、はじまりつつあったんではないかと思っている。

Saturday, November 17, 2012

萬集閣



11月10日。正午間際の中央本線の各駅停車に乗って、1時間半ほどで終点の甲府に到着した。甲府は18きっぷの乗継ぎで立寄った時も駅前でほうとうを食べたぐらいで、今までほとんど歩いたことがない。まずは駅前をぐるりとして、蔦に埋もれた六曜館珈琲店で少憩する。あれば軽食でもと思ったが、極めて純粋な純喫茶である。ホットレモネードに魅かれつつ、気候もよく店内も暖かいのでアイスコーヒー。「六曜館さん江」宛てられた高峰秀子の色紙が額装されて壁に掛かっている。一服してからは駅前を南へ進む。荒川に及んで視界が開けると、御坂山地の上からのぞく富士山の冠雪した姿がなんとも美しい。荒川の橋を渡ってほどなく、住宅街の中に「ずんちゃんパン」があらわれる。店内に足を踏み入れると、駅から歩いて来たことに驚かれ、多いに歓待をうける。余所者風情を匂わさずにいられるわけもないのだが、東京から来た者だとか名乗らされるのは、どうにも恥ずかしい。パンとあわせ、無骨で素朴なクッキーにもそそられて大量に買い込み、おまけに柿までいただいてしまった。ありがたく柿を購入したパンの袋に入れて去ろうとすると「パンがつぶれてしまいます」と厳しく戒められたので、あわててカバンに詰め込み、パンの方は大事に持ち帰らせていただいた。

さらに南甲府まで歩くことも考えたものの、そのまま引き返して中央商店街の方に向かう。内藤多仲や山田守による庁舎が取り壊されて普請中の甲府市役所を過ぎ、特殊浴場の呼び込みで賑やかな歓楽街を抜けるとアーケードの銀座通りに出る。銀座通りの春光堂書店のセレクトぶりはあまりにやばいので、ついつい箍が外れそうになりながら、ひとまず大山倍達の『世界ケンカ旅』を購うのに留める。こちらでは、書店オリジナルの印傳ブックカバーもとても素敵だったのだが、文庫の紙のブックカバーは2000年の山梨文学館のモノで少し寂しい。地元の文学館の地味なものとはいえ、広告モノのブックカバーはちょっと残念である。夕食には、昨晩、家でほうとうを食ってしまったので、甲府駅の食堂街で焼き飯。駅前の山交百貨店の食品街で風林火山茶など地産のものを物色し、六曜館珈琲店に戻る。六曜館でもう一杯珈琲を飲んでも良かったが、そのまま二階へ上がって投宿。六曜館喫茶店は、駅前旅館の萬集閣の一角に入っている。

テレビのローカルニュースでは、高校サッカーの山梨県大会決勝で、日本航空高校が初優勝したことを告げていた。山梨学院の4連覇を阻んだ日本航空とはどんな高校かと思って調べてみると、卒業生の中に大山倍達の名がある。大山倍達が山梨に縁があるとは全く知らなかったし、春光堂の棚も特に地元関連棚というわけでもなかったので、『世界ケンカ旅』を手にしたことには奇縁を感じてしまう。そういえば、J2を優勝したヴァンフォーレ甲府の優勝パレードは来週に行われるそうだ。

Tuesday, November 06, 2012

Monday, October 29, 2012

山中商店



芝公園。少し肌寒くなった。

Saturday, October 20, 2012

長津田辻



長津田辻なんていうから、長津田から少し歩けば着くのかと思ったら、東名のインターチェンジの近くだった。さらに八王子街道まで進み、バスでふらっと横浜駅へ。



Friday, October 19, 2012

ガリガリ君



ガリガリ君リッチ プリンプリン。

東京駅



iPhone5のパノラマで撮ってみた。

Saturday, October 13, 2012

折尾駅



折尾駅もついに年内に解体されてしまうらしい。駅舎が立て替えられるのは、残念だけどやむを得ないところもあるのだろうとは思っていたが、「新駅舎で「かしわめし」が販売されるかは未定」というのは意味が分からなすぎる。名物の立ち売りさんは一足先に体調不良で昨年に退社されていたそうな。

Sunday, October 07, 2012

五日市



武蔵五日市駅を降りると、なんでこんなにウォーキングの人がいるんだと思ったら、ウォーキングどころか24時間耐久の日本最高峰のトレイルランニングレースが行われるらしい。蕎麦屋で頼んだまこも茸の天婦羅を美味しくいただきつつ、隣の麦こがしのアイスクリームがひじょうに気にかかる。腹ごしらえをすませてからはバスで檜原村へ。軽い散策路を経て拝す払沢の滝がなかなか素晴らしかった。

Friday, September 28, 2012

マック



またしても完全に失われたと思っていた下北沢の洋食屋マックの暖簾分けをしていた店が笹塚にあると聞いて寄り道。店名もそのまま「洋食屋マック」。こちらはシモキタの厨房の中でも見覚えのある方がやっていて、安心の継承。自分は堅焼きの目玉焼きが好きだったけど、半熟に変えるというささやかな哲学にも好感を抱く。また、付け合わせのサラダの生胡瓜のパキっとした食感がこんなに忠実に守られているというか、守ることができるのだということに感心する。きれいになった店内では、味噌汁のお椀がスライドすることはもうないのだろう。スティーブ・マックイーンのグッズも1個ぐらいはあってもいいんじゃないかな。そして、もちろん、こちらにもまた伺います。

Friday, September 21, 2012

三福林



惜しまれつつ閉店した下北沢の定食屋三福林の味を引き継いだ店があると聞きつけて、早速、新宿に立ち寄った。店内に飾られたトルシエのサイン色紙を見て、シモキタの店にミニコリンシアンが並んでいた記憶が蘇る。メニューには自分の大定番であった肉なす炒めがある。失われてしまったと思っていたあの茄子の食感が、全くもって正当な後継である。相変わらず、ラジオから流れるのはナイター中継で、折しも巨人がセリーグの優勝を決めようとしていた。男だけの世界であった三福林が『傷だらけの天使』のようなホモセクシュアルな空気さえあったというのは言い過ぎかもしれないが、お運びのおばちゃんが入ったことであの結晶度は失われてしまった気はする。でも歌舞伎町の方々にも愛されているようで嬉しかった。ただし、明太子オムレツに添えられたサラダにワカメが無かったのは少し残念である。あとは牛肉ポテト炒めがあったらなぁ。まあとにかく「和食とよま」には、また行きます。

Wednesday, September 19, 2012

新潟



9月9日。枕元に置いていたメガネをぐにゃりと踏んで、鮮烈に目を覚ます。簡単に身支度をして帳場で勘定を済ませ、ご主人から着物の古裂を使ったという楊枝入れを有難くいただく。天気の良いときには、宿の玄関から月山と鳥海山も見えるそうだが、この日は残念ながら靄っている。杉村春子先生が公演で鶴岡ホテルを訪れる度に「絶対に壊さないでください」とおっしゃったという気持ちをしみじみと噛み締め、近いうちにも月山と鳥海山を見に来ようと思う。ただし、近くに見えている母狩山の山影も悪くはない。

朝の羽越線はとてもゆったりとしており、交流のこの区間がキハ40系だというのもまた良い。日本海も今日は穏やかである。鼠ヶ関を越え、新潟に入ると粟島が見えた。村上駅で羽越線を乗継いで、直流区間に入ると電車のクモハ115になる。吉田行の電車を新潟駅で降り、バスで新潟島に渡って古町を少し歩く。古町通を一本裏に入るとジャズ喫茶と並んで、特殊浴場などもあり、なかなか混沌とした風情である。柾谷小路の北側の豪壮な料亭の門の中には人力車の姿なども見えた。

都合良く時間が余って万代橋の水揚場に大友良英氏のインスタレーションを見に行けるなんてはずもなく、万代橋を渡るバスの窓から水揚場のある朱鷺メッセの方を眺める。新潟からは快速くびきのに乗り、長岡から新幹線で帰京する。新潟駅で買った大阪屋のコーヒー白玉が思いのほか美味い。新幹線のシートでうとうとしながら、全国の来夢来人コレクションが壮大な仕事になるのはともかく、「夜来香」コレクションもなかなか立派なものになるだろうなどとぼうっと考えていた。今回見かけた「夜来香」は、花巻と北上で、ぎょうざの店とスナックの「夜来香」なのであった。

Tuesday, September 18, 2012

鶴岡ホテル



鶴岡銀座のアーケードを過ぎ、まだ明るいうちに鶴岡ホテルに投宿する。月山Bという部屋に通されて宿帳に記入する間、こちらを定宿にしていたという杉村春子先生がいつも泊まっていた部屋が隣室の月山Aであること、食堂を進駐軍用にダンスホールとして使っていた話などをご主人から伺う。この日は他に宿泊客もいないから、どこでも開けて見てくれということなので、お言葉に甘えて館内を徘徊させていただく。明治に建てられた純和風旅館である鶴岡ホテルは、食堂、洗面所、廊下と何処を取っても趣深い。今は使われていないであろう厨房の内線電話に添えられた番号表には「4:女中部屋」と書かれているのが見える。さんざん館内を探検して部屋に戻り、広縁の椅子に座って中庭の緑を見ながらお茶を啜っているうち、やはり杉村先生の写真集は買うべきなのではないかと思い直し、再び阿部久書店を訪ねることにする。

薄暮の鶴岡上空をカラスの大群が飛んで、嵐のような絨毯爆撃を開始すると、アーケードには糞宿りをする人もちらほら見える。閉店間際の阿部久書店に駆け込んで、無事に写真集を購い、そのまま夕食に出掛ける。宿に近い湯殿山食堂というところに入ってみると、一階は座敷の2卓とカウンターで静かなものだが、二階には生ジョッキが次々と運ばれ、「11人始まりました」「8人始まりました」との号令がかかる大繁盛ぶりであった。焼肉定食についてきた小鉢の「だだちゃまめおろし」がなんとも良い。夕食を終え、ふらふらとあたりを逍遥する。夜の庄内と言ったら酒田なのかと思っていたが、鶴岡も案外盛んで、艶やかな女性がちらほらと歩いている。宿に戻る前にスーパーに立ち寄り、地元で作られたパックの黄奈粉団子などを購う。黄奈粉団子は素朴な味でなかなか美味かった。



宿に戻って風呂。『おくりびと』の撮影に使われて今はなくなったという同じ町内の鶴乃湯も、地下水を焚いた良い湯だったという話だが、アールデコな鶴岡ホテルの湯もたまらない。風呂上がり、『月刊庄内散歩』をぱらっと眺める。購入した二冊は76年の4月号と8月号で、特集はそれぞれ「庄内の怪談」「庄内路に性神を探る」というもの。巻頭、地元の名店を紹介した庄内百選店のリストには、レストラン欅や純喫茶ケルン、阿部久書店の名が見える。鶴岡ホテルは広告も出しており、そのコピーは当時からして「古い宿に泊まりたい〜できたら何かある小さな町の古い宿に…」ということであった。また、同じく広告によれば、伝説の映画館、グリーンハウスの4月の上映作品は『O嬢の物語』である。酒田はこの76年の10月にグリーンハウスの出火から酒田大火を起こしてしまうことになる。

夜も更けて、突如、大嵐が襲った。夏の雷ではあるが、日本海側の雷鳴の迫力はやはり格の違いを感じさせるものであった。

Monday, September 17, 2012

しめぎモカ



鶴岡駅を出て、まず珈琲店のコフィアへ。いろいろ尾鰭が付いたものの、今回の旅回りは、中近東文化センターで催された「珈琲がやってきた」展の企画「もかリバイバルカフェ」でいただいた門脇氏の珈琲を飲みに鶴岡へ来ただけなのである。「エチオピア産モカ輸入停止のため、誠に残念ながら、しめぎモカ終了させていただきます」ということなので、「ほろ苦さとコクをいかした味わい」というアマレットブレンドをいただく。やはり美味い。果たして門脇氏は白衣を着ている。レジの前には師匠である標氏の評伝『コーヒーの鬼がいく』が積まれていた。

少し殺風景だった駅前を離れ、山王日枝神社あたりから旧来の商店街に入る。なかなか味わいのある阿部久書店にて『月刊 庄内散歩』という庄内の歴史小冊子を二冊購入。無造作に積まれていた杉村春子先生の写真集にも心引かれるが、荷物になるのでスルー。外堀のように鶴岡城を囲んで流れる内川を渡って、鶴岡銀座商店街を歩く。裏のスナック街を歩いていると、ビルの壁面に「銀映」とあり、ここも映画館だったのだと気付く。

Sunday, September 16, 2012

黒沢尻



9月8日。空が白みはじめて5時を過ぎると、外は人の動く気配もする。半睡の中、滔々と流れる水音を聞きながら、花巻市内は祭りの朝なんだなと考えていると、『ロシュフォールの恋人たち』の冒頭が思い浮かんだ。5時半に布団をたたんで朝湯につかり、宿のまわりを軽く散歩する。7時にはお膳が配られて、久しぶりに『デザインあ』を見ながらの朝食。8時のバスで鉛温泉を後にして、花巻駅から東北本線を北上駅まで戻る。駅の周りを少しだけ散策してみると、地味ながら、北上の街もこの週末は祭りのようであった。

北上駅に戻ると、すでに入線していた1両編成の北上線の席は7割方埋まっている。はじめて乗車した北上線だが、シェードがかかってあまり外も見えず、つい眠気に誘われた。ふと目を覚ますと、後から乗ってきたと思われる幼気な女の子が、始発からいた両脇のおじいさんとおばさんにアメちゃんを配っている。ニコニコしたおじいちゃんはすぐに飴を口にしたものの、無邪気な感じで早々に吐き出してしまうので少しヒヤヒヤする。横手からは奥羽本線に乗り換え、山間の国境を越えて山形に入る。新庄からは陸羽西線に乗り換えて日本海へ。奥羽線の車内でふわふわ漂っていたのは羽毛かと思ったが、陸羽西線でも派手にさまよっているので、何かの綿毛なのだろう。最上川沿いに陸羽西線を進み、余目で更に羽越本線に乗り換え、奥羽山脈を越えてなんとか鶴岡に到着する。そういえば、北上駅で買ったシライシパンのコーヒーあんぱんは案外美味かった。

Saturday, September 15, 2012

鉛温泉



鉛温泉へ向う岩手県交通バスは、相変わらず床が板敷きのバスである。大沢温泉までに他の乗客全員を降ろし、バスは鉛温泉に到着する。がらんとした真冬の凍えそうな湯治部でこたつに齧りついていた前回の一宿も良かったが、開けた窓から川のせせらぎが聞こえる残暑の湯治部がまた素晴らしい。前回は夜遅くに着いて、見ることの出来なかった売店をじっくりと物色し、お宝を発見してレジに持って行くと「これなんていうんだっけ?」などと仰るので、「ペナントです」と教えて差し上げる。湯治客の夕食は5時早々に各部屋へ配膳され、立ち所に平らげては腹ごなしに館内をうろつく。一休みして温泉につかり、風呂上がりに買ったかき氷の蓋をあけると、このレモンスライスの入ったかき氷は温泉津温泉で朝湯につかった時以来だと思い出した。自炊棟の窓の外からはシチューの良い匂いがする。アナウンスが入って9時に棟内が消灯すると、静まった部屋に流れる豊沢川の水音は、せせらぎというより轟々と響くようであった。


Friday, September 14, 2012

花巻まつり



9月7日。のんびり進む新幹線のやまびこは白石蔵王だけを通過して仙台に10時に着いた。白謙でかまぼこを購い、東北本線に乗り継いで、更にのんびり北を目指す。瞬間松島を垣間見て、東北本線を仙台平野に進むと、次第に田圃が黄色がかっていくのが見える。仙台から乗り合わせた行者風の人がひどく念入りにストレッチしているので、長く電車に乗った体を解しているのだろうと思ったが、植芝盛平翁を思わせる行者様は、終始延々とストレッチをし続けて、伊豆沼の新田駅で降りて行った。伊豆沼はまだまだ蓮の花盛りである。解体されかけているホーム跡に引込線が続いているのが見える石越駅のことを調べてみると、伸びているのは引込線ではなく、かつて営業していた栗原田園鉄道の跡のようである。栗原鉄道保存活動中の学芸員の方が亡くなったのは、確か大震災の3年前の岩手宮城内陸地震の時であった。



花巻はこの日から花巻まつりで、跨線橋には花飾りがずらりと垂れ下がり、駅から祭り気分で溢れている。駅を出れば、中心街の上空と思われるあたりにアドバルーンが浮かんでいるのが見え、号砲の花火がドドンと鳴った。行きがけに照井だんごで経木団子などを購い、まずは腹ごしらえにマルカンデパートへ向う。マルカンランチは軽くやり過ごし、メインのソフトクリームを堪能する。マルカンデパートの大食堂では、刺青柄の鯉口シャツを着た少しやんちゃな若衆がさっそく酒盛りをはじめている。デパートを出て、寂れたスナック街でも廻ろうと路地に入ってみると、祭りの準備をする方々の予想外の人出に面食らう。スナックから顔を出して様子を伺うおばちゃんに、祭りを見に来たのかというようなこと聞かれるが、残念ながらいまいち聞き取れない。祭り初日の平日ということで、昼間は試運転程度の山車の行軍だったが、通りがかった巨大な龍の山車に近づいてみると、首がニョキっと伸びては目を光らせ、おまけにぶはっとシャボン玉まで吹き出していた。大通りにはすでに場所取りのビニールシートの姿も見え、夜はさぞやと思わされつつ、花巻市街を後にして、バスで鉛温泉に向かう。

Tuesday, September 11, 2012

安房



吉祥寺の妹妹でとりそばを食ったり、西荻のはつねでタンメンを食ったり、杏林病院のあたりや、烏山住宅あたりをぶらぶら歩いたのを武蔵野篇。動坂食堂で野菜炒めを食ったり、晩菊の小路を歩いたり、不忍の書店を素見したり、染井の霊園で猫と戯れたりしたのを本駒込篇。そして、北陸本線をぶらぶらする北陸篇ときて、「hayakarを歩く」も一周忌を迎えての房総篇で、いよいよ位牌と墓を前にする。それにしても、なんとも美しい町である。そういえば、「ノース・マリン・ドライブ」とか「スケッチ・フォー・サマー」とかのプレイリストでも作ってくれば良かったな。晩年にお盆を過ごした実家の目の前に臨む傾城島の灯籠流しを氏は窓から見たのだろうか。来年は灯籠流しの日にでも行けるといい。ちょうど実家の目の前に海と夕日の展望風呂を売りにするほどの民宿がある。鋸南の干物がなんともいえず美味いなぁ。

Friday, August 10, 2012

羽咋



JRの七尾線を途中下車し、灼熱の羽咋を歩く。遅めの昼食には、ゴーゴーカレーでロースカツカレーのエコノミー。小盛で充分だろうと思って入店してはみたものの、男子としてヘルシーという名前なのがどうしても受け入れ難く、恐れながらも普通盛のエコノミーにしてしまう。どうにかエコノミーを食いちらかし、宇宙科学博物館であるコスモアイル羽咋へ赴く。軽くロズウェル事件の模型をひやかしに来たのに、ボストークやアポロなどの展示が本格的で案外本気に楽しんでしまう。

キオスクで買ったパピコを咥えながら金沢行きの七尾線に再び乗り込み、津幡駅からは北陸本線に乗換える。津幡駅名物のきびあんころは見当たらず、夏季限定の冷やしあんころなるものを変わりに購うが、こちらはどうもいただけない。女の子がその電車止まれ~と叫びながら跨線橋を登って行く。北陸本線も富山行きは空いていたが、混み合っている直江津行きはなんだか車内も暑苦しい。トワイライトエクスプレスが高岡駅で追い抜いて行く。市振を通る時はいつも夕日な気がする。地下駅の筒石駅には「青春18きっぷ完売しました」との張り紙が見える。ここでは昔ながらの紙の18きっぷが買えるのかと気づくものの、初日の数十分で売り切れるそうだ。直江津からは、特急はくたかと新幹線を使いつつ本気で上越を抜ける帰路につく。夜の越後湯沢駅は立ち食い蕎麦も見当たらず、弁当も売り切れがちで、笹だんごをつまみつつ帰った。上州の壮絶な雷雨を何事もなく抜けられたので、まあそれで良しとしよう。それにしても、9月にはクリスチーナ・リンドバーグが来るんだなぁ。

Thursday, August 09, 2012

輪島



7月28日。6時起床。テレビをつけるとロンドン五輪の開会式で、クルーザーに乗ったデビッド・ベッカムがタワーブリッジを潜り抜けている。仄かに朝餉の昆布出汁の香りが漂う早朝の宿を立ち、浅野川橋から金沢駅に向かうバスに乗る。車内には「こんな時代だからこそ労働組合が必要です。連合石川は〜」と放送広告が流れている。金沢駅前は、今日もあつうなるぞというより、朝の6時から32℃である。能登もずく海苔の佃煮のおにぎりなどを買い込み、輪島行の特急バスに乗って日本海沿いを進む。おにぎりはどうということもなかったが、加賀棒茶がどこでも飲める環境は羨ましい。車窓を眺めていると、どの行先案内板も最終目的地が輪島なのに、それでも輪島に行く鉄道は無くなってしまったのだと痛感する。輪島駅前から歩いて朝市通りに向かうと、オリカ・グリーンエッジ・ジャージのサイクリストが蕎麦屋に入って行った。「朝市だけですよ暑いの。後はどこも涼しい。エアコンが効いてて。」とは、お婆ちゃんらに混じって比較的若手で元気の良い売り子のおばちゃんの弁である。流石に輪島の朝市通りは、良さ気な漆器屋も数多並んでいるが、つい賑やかに通りは避けて海辺に向かってしまう。航空写真で見て気になっていた大テトラポット地帯は国土交通省の立ち入り禁止区域であった。



輪島からの帰りはバスで七尾線の穴水駅へ向う。暇つぶしに先ほど朝市で貰ったチラシを取り出してみると、「輪島で13代続く小西家の小西由香が漆器に名前をいれます」と、可憐な作業風景が写されている。ちょっと嫌々ながらに撮られている感じがなかなか好印象で、そんなことなら入れてもらえば良かったか、とも思ってしまう。穴水駅からはのと鉄道の七尾線。二両編成ののと鉄道は、先頭が貸切の永井豪記念館車輌で、後ろは『花咲くいろは』なる萌えアニメのラッピング車両というなかなか痛い編成である。花咲くいろは号が駅を出ると、アニメ声の車内アナウンスが流れ、駅間ではちょっとした寸劇が繰り広げられる。列車は七尾湾沿いを進む。穏やかな七尾湾を向こうに、稲が風になびき、さざ波が田んぼを伝っていく。遠くに見えたボラ待ちやぐらは、観光用のものだそうである。七尾駅に着くと、今度はJRの「国宝長谷川等伯号」とかいうラッピング列車の到着記念式典が開かれており、ブラスバンドがディキシー風の「線路は続くよどこまでも」を吹き鳴らしている。こちらのラッピングは少しカッコいい。

Wednesday, August 08, 2012

浅野川



再び自転車に乗って、尾山神社前のスナック街を流し、浅野川まで赴く。泉鏡花記念館で小村雪岱による装丁本などをざっと見て、泉鏡花記念館文庫と小村雪岱の葉書などを購う。主計町を一巡りしてから、浅野川沿いの宿に荷を下ろし、ひがし茶屋町をぶらつく。いい香りに誘われてのぞいてみた糀の店は、 商売っ気よりもギャラリーと憲法9条を守る活動がメインのようで、あまり買物するような雰囲気ではない。夕暮れの浅野川沿いを歩いていると、浅い川底にひっくり返る蟹の死骸が沈むのが見えて、鏡花の金沢を感じた。

日暮れに至り、洋食屋の自由軒にて日替り定食の夕餉。ローストポークと魚のフリッターの日替り定食は、なかなか丁寧な仕事ぶりである。少し混み合ってきた頃合いに、満を持してといった趣で大御所のお婆さんが登場する。暴君らしき大御所の青いトレーナーに黄色で描かれた巨大な文字が、一瞬「Mr.Bater」に見えて目を見開いたが、よく見たら「My Better」だった。どちらにせよ、素敵な着こなしではある。家族連れの常連さんは、教師をしている娘が甲子園予選準決勝の引率に行っていて今日は来れないという話をしていた。試合は残念ながら強豪の星稜高校に負けたらしい。

スーパーで羽咋鳩麦茶と河北潟ヨーグルトを買って宿に戻る道すがら、「働いて飲む、働いて飲むんだ」と噛みしめるように呟いている哲学者とすれ違う。浅野側沿いの宿は、目の前に川床があるなんて風流な宿だなと思ったのは早計で、ひじょうにうるさくて参った。騒音対策がてらにテレビをつけると、折しも「能登金沢ストーカー連続殺人の闇」なる2時間ドラマを放映している。さっき歩いてきた浅野川の橋を安達祐実が渡り、ひがし茶屋の自由軒の前で船越英一郎が聞き込みをしているのを見るのはなかなか楽しい。夜半を前に何とか宴もお開きとなり、9月のカナザワ映画祭に来日するというクリスチーナ・リンドバーグを思いながら、荒木一郎の「りんどばーぐスペシャル」などを聴きつつ眠りにつく。

Tuesday, August 07, 2012

金沢



発車間際に接続する新快速から大量の乗継客が傾れ込み、金沢行の北陸本線はなかなかの混雑である。敦賀を出て南今庄への長いトンネルを出ると、窓がさっと曇る。列車が加賀に至り、小松あたりに差し掛かると、上空にF15戦闘機の編隊が飛び交っているのが見える。金沢の一つ手前の西金沢で混雑する列車を降り、北陸鉄道に乗換えて野町駅からにし茶屋町へ向かう。にし茶屋町の表通りを素通りし、裏の怪しげな路地をふらふらと歩く。カフェー風の素敵な建物を鑑賞しながら、のろのろと路地にお邪魔していると、何かをドンドンと叩かれて威嚇された。犀川大橋を渡り、繁華街の片町に入る。灼熱の街中にシャーデーのスムースオペレーターが流れている。昼食はグリルオーツカで名物のハントンライスをいただく。ハントンライスはボリュームのあるメニューだとはいえ、半分近く残して帰っていく男子学生の軟弱ぶりを苦々しい気持ちで見送るものの、まんまと自分も半分以上残してしまった。片町からは乗り捨てできるレンタサイクルを利用し、旅の目的地である鈴木大拙館を訪ねる。いつもながら谷口吉生の空間は堪らない。そして、まったく鈴木大拙はダンディであった。兼六園の近くの街並を見て、学生時代、すぐに兼六園を見終わって時間を持てあまし、県立美術館でお茶を濁しに行ったという記憶がふと甦った。21世紀美術館の出来るかなり前の話である。



根津にあった時には行ったことのないオヨヨ書林を金沢で、とも思ったが、荷物だし暑いのでパス。片町に戻って、純喫茶フローレンスで小憩する。個性的な女主人によってひとしきりアイスコーヒーの氷分量についての一家言があると、続いては茶菓子を所望するのかを試される。いただけるならと応じれば、「虚しいものばかりですけど…」とハーベストやソフトサラダを供していただいた。「金沢は暑さも余所よりは少しましだし、ひどい天災も人災もあまり無いのよ」とのことだが、「ディズニーランドに行くバスの事故以外はね」というオチが強烈である。音楽のない店内には、ご主人を中心に金沢美大四方山話のサロンと化しており、最近の若者の不甲斐なさみたいな話が少々辛気臭くなってきたところで、店を後にした。

Monday, August 06, 2012

サラダパン



7月27日。全開に響き渡るクマゼミの声が、どうにも関西の朝である。とにかく朝からめっぽう暑いので、敦賀でカレー蕎麦に挑戦するのは断念し、湖北名物のサラダパンで済ますことにする。長浜~敦賀開通130周年のヘッドマークが掲げられている北陸線を木ノ本駅で下車し、つるやパン店を目指す。木ノ本の路地裏を歩くと、伽羅の香りがそこここから漂ってくる。刻みたくあんをコッペパンに挟んだサラダパンは、予想以上にいける味わいであった。小一時間木ノ本をふらついて、次の敦賀行きに乗ると、先程あれだけいた学生はもうまったくいない。敦賀駅前のメーテル像は、敦賀が欧亜国際連絡列車の港であることから来ているらしい。今年はウラジオ航路開設からも110周年である。もしウラジオに行くことがあるなら、どうしても敦賀から行きたいと思う。

Sunday, August 05, 2012

長浜



岐阜駅からもう少しだけ東海道線を西へ進む。車内では女子大生が「祭りのときの暑さはこんなもんじゃない!」と熱弁をふるっている。てっきり郡上踊りのことかと思ったが、「祭りはやなぱー必須だから」(?) などとも言っているので柳ヶ瀬の祭りのことなのかもしれない。列車が関ヶ原を過ぎる。元々、今回は関ヶ原のウォーランドを見るついでに岐阜に寄っていくことにしたものの、岐阜の見所が多くて逆に関ヶ原をスルーしてしまった。浅野祥雲は五色園とあわせてまた機会を設けようと思う。

米原からは北陸線に乗換。湖東の田んぼ越しに見える琵琶湖はまったくの海である。北陸線を10分ほど乗車して長浜駅で下車。琵琶湖口の旧長浜駅舎と長浜城は遠目に眺めるに留め、市街の伊吹口へ降りる。駅前にやんちゃな高校生たちが屯っているので、あまり関わりあいにならないように横をすり抜けていくと、ポルトガル語が聞こえた。ちらっと盗み見てみると、若かりし頃のクリスチャーノ・ロナウドのような髪型をした男前である。夕日を受ける長浜タワーを仰ぎ見て、堅ボーロ本舗に伺う。古い街並からは木のいい匂いがする。長浜は午後6時で、どこもかしこも店じまいしており、目をつけていた駅前の食堂もすっかり家族団欒の時を過ごしている。代わりに駅の近くで見つけた郷土料理店の焼鯖素麺定食でさっぱりといくかと入ってみると、意表をついて熱い素麺であった。奥で蓮根の蒲焼の話を延々としている役所かなんかの視察旅行っぽい集団は、阿波の国の方々だそうだ。スーパーでおにぎりせんべいなどを買って、商店街にある町家の旅館に投宿した。

Saturday, August 04, 2012

岐阜



7月26日。平日の伊東行521Mは完全に通勤仕様の列車だが、特急車輌のクロスシートに旅の気分は高まる。平塚で通勤モードが一段落すると、海を見下ろす根府川駅にて列車交換が入り、熱海駅で伊東線に進む521Mを見送ると、いよいよ鬱陶しいJR東海の区間に突入する。サッカーどころの静岡を行く東海道線だが、おばあちゃんが付箋を立てて熱心に読んでいるのは週刊ベースボールだ。興津、浜松と余儀なくされる細々した乗継ぎを経て、豊橋の駅そばにてきしめん。おばちゃんに「熱いんでいいの?」と念を押されながら、熱いのがいいんですよとか言って初志を貫徹してみるが、やはり暑すぎる日は冷たい麺をお勧めしたい。

大垣行きの列車を岐阜駅で降り、南口のサカエパンに向かう。臨時休業の張り紙には地元の人も呆然と立ち尽くすタイミングの訪問で、炎天下、並んで張り紙されたアイスクリームパンにそそられる。この日の岐阜は37℃を超え、あまりの暑さには死の危険さえも感じるほどだ。ポン引きのお兄さん方の声をかき分けながら、南口をそのまま西へ金津園を抜けて北側に線路をくぐると、広大な繊維問屋街に出る。ブロックがまるごとごっそり取り壊されて剥き出しになってしまった繊維街のビル裏の、延々と続く無機質な壁の長城っぷりのあまりの美しさにハッとする。



繊維街を抜けて駅前に戻り、ちょうど来たバスに乗って柳ヶ瀬まで足を運ぶ。南口にあれだけの特殊浴場街があるというのに、柳ヶ瀬の歓楽街もなかなか巨大だ。ただし、こちらの昼間は静かなもの。味わい深い路地が続くのだが、あんまり暑くてどうでもいい。いくばくかの涼を望めたかもしれない口裂け女のお化け屋敷が、施設メンテナンスとかで臨時休業なのも何だか恨めしい。口裂け女は岐阜の発祥だという。蒼井優さまのかき氷本で見た赤鰐は、炎暑のもと大行列だったので、今回は見送らせていただく。

Tuesday, July 31, 2012

辛来飯



辛来飯のニューキャッスルが7/31を持って閉店。創業は昭和21年だったそうだ。

Sunday, July 22, 2012

宿河原



先日は調布から登戸まで歩き。今週は登戸から二子まで歩いた。ということは次は新丸子までということになる。果たして、新丸子から六郷の日は大変なことになるだろう。