Saturday, January 29, 2011

只見線



1月5日。5時半に起床。夜中の2時にはまだ啼いていたカラスが消えている。会津若松駅5時59分発の只見線に乗り込み、二輌編成の後ろの車輌は独占。昨年、雪中下ろされた会津坂下で列車交換すると、若松方面は混み合っていた。8分の停車時間でプラットホームに降りたのは一眼の男1人とケイタイの女子1人。前回は代行バスで来た会津川口駅は只見川沿いのプラットホームが良い。壮絶な雪景色が2時間も連続して些か疲れてくるが、只見に向ってさらに雪深くなり、横殴りの雪が車窓を過って息をつかせない。只見駅は少しく平かで、その豪雪ぶりが甚だ際立つ。冬期閉鎖の田子倉駅を通過して次の駅まで30分。道路標識も橋も踏切も道らしき形跡ないほど雪に埋もれている。時折スピードを落として走行するので、立ち往生もあるのかと思いヒヤっとする。魚沼は、打ち捨てられたような奥会津に比べ、まだ手の入っている印象を受けた。後部車輌もようやく利用者が増えてくる。次第に晴れて眩しい雪原を進むと、会津若松から4時間あまりかかって、列車は定刻通り小出に到着した。



国際雪合戦大会の幟はためく小出の街を歩き、パン2コ275円也で年賀タオルをいただいて恐縮する。小出からは上越線で3駅移動して越後川口。駅から少し離れた魚野川沿いの食堂見晴らしで定食をかき込む。正午を過ぎた食堂は地元の人で賑わっていて、痩せた工事現場の方々はラーメン大盛りとココアを頼み、英語を話す白人のキャップには「Niigata Kai Export Service」と書かれている。飯山線の時刻をすっかり勘違いしていて発車寸前まで待合室で惚けてしまい、いいから急ぎなさいと駅員さんに送り出されて改札を素通りしたものの、探ったポケットになかった切符は、やはり失くしていた。しょんぼりと進む飯山線の雪景色もしかし美しい。空はすっかり晴れて、車内でも灼けそうだ。森宮野原駅で列車交換するので、ホームに降りて積雪日本一の標柱を見上げる。長野駅の遺失物係にて荒俣宏似の係の方に検索などしていただいたものの、まあしょうがない。長野からは新幹線。夕暮れの善光寺平は新幹線からでも見応えがある。隣のお婆さんと高崎を通過する不思議について話しながら、うっすら光っている高崎観音を眺める。翌日、只見線は朝から運休していた。

Friday, January 28, 2011

喜多方



1月4日。新潟は仕事始めの朝。村上発の越後線に乗り込むと、新潟駅でほぼ降りるものだと思っていた乗客は、次の白山まで乗って行った。粉雪がちらつき、みな傘を持っている。吉田からさらに越後線を乗り継ぐ予定にしていたところ、追突がどうしたとかで止まっているので、弥彦線に乗り換え。東三条からは信越線の新潟行に乗る。冬休みの盛り場行き列車はどうも喧しく、新津で降りてゆっくり磐越西線を待つことにした。雨の新津を一回りしたが喫茶店見つけられず、駅のデイリーズの喫茶コーナーへ。三色だんごはやはり買うことにした。新津の駅スタンプを押してみると、「花と緑と石油の里」という惹句。油井やぐらの図案が魅力だ。



先週、記録的な豪雪に見舞れた会津なので、些か運行を危惧していた磐越西線もとりあえず無事。キハ47のボックス席に陣取って新発田三新軒の「くるまえびとさんまのすしあわせ」を早速開く。新津を出てすぐ、製油なんとかいう石碑が見えた。東新津駅の案内版に見えた煮坪とかいう文化財もまた石油関連なのだろうか。線路は山間に入ってからは阿賀野川にそって延びていく。深緑色の阿賀野川の水量は豊か過ぎる。次第に雪も深くなり、雪原に残された柿の木の橙い実が鮮やかだ。山都駅から一ノ戸川橋梁を渡り、視界に会津盆地が拓ける瞬間にはっとした。久しぶりの喜多方は母の故郷で叔父の大家族もいるのだが、ひっそりとぶらつく。和菓子の田原屋で「ゆべし」や「ここのえ」などを買い込むんで、御年賀の手拭をいただいく。思いがけず新年を慶んだが、帰って開いたら2010年のカレンダー手ぬぐいだった。駅前の珈琲煉瓦で小憩し、会津若松へ。「あれは観光さん?」とか聞こえよがしに言ってくるから通学列車は疎ましい。会津若松は昨年行けなかった七日町あたりを。素晴らしい佇まいのハトヤ分店にて、東野英治郎の御老公様を見ながら、ソースカツ丼をいただく。美味い。会津若松駅に戻って土産屋で一目惚れした柿渋のべこを購入し、駅前にて投宿。夜空の暗さに目が慣れるとカラスの大群が飛んでいた。遠くには鶴ヶ城が光っている。

Thursday, January 27, 2011

時刻表昭和史



1月3日。正月三日の朝のバスは無人で、中央線でさえ人が疎らだ。今回はとにかく乗りっぱなしの旅。まずは常磐線のグリーンに乗ってのんびり水戸駅に着くと、安いよ安いよホリデー料金でグリーン席が上野までたった750円というアナウンスが構内に響いている。水戸はボイス展以来ちょうど1年ぶり。今年の方が芸術館に行かねばならないのだが、本日までは休館。休日仕様の水郡線郡山行は7割ほど席が埋まっていた。少し賑やかな常陸大宮駅では、涙を拭いながら別離を惜しむ女子のいる光景などを拝む。卒業シーズンにはまだ早いし、フラの町ももう少し海の方だ。玉川村で上下交換すると、水戸行きは大変混みあっている。袋田駅にて枯れたミニ袋田の滝。これぐらいの気候だと氷瀑は望めないだろう。降りる人の多い東館は茨城の最北端かと思ったら、もうすでに福島に入っていた。水戸駅で買った軍鶏じゃないそこらの鶏弁当をつまむ。この辺りはそれほど寒さが厳しくないのか、ドアの閉じるボタン押す人がいない。川辺沖駅の長椅子にはネコ。終点の郡山からは東北本線の福島行に乗り継いだ。間近に迫る安達太良山が美しい。さらに奥羽本線に乗り継いで、板谷峠を越えると雪の世界へ。本日も峠の力餅は立売している。



夕闇迫る米沢からは米坂線へ。束の間、薄暮の車窓が美しい。すっかり日も暮れ、今泉駅にて下車。山形鉄道との乗り換え駅でもある今泉駅だが、宮脇俊三が玉音放送を聞いた駅前広場には全く何もない。夏の日射しの中で茫然と聞く玉音放送はいかにも敗戦を迎えるにふさわしい時候だったのだろうと思いを馳せつつ、雪の夜のそれもまた凍みるだろうなどと思ってみる。今泉駅周辺は全く地図に忠実に閑散としており、国道のラーメン屋も正月休み。駅に戻って、待合でストーブにあたっていると、ふいに女の子が入って来た。新潟方面の次の列車まで1時間を一人ゆっくり過ごせるものと思っていたので意外だったが、15分ぐらいして他の方面の列車もある。と思いきや、それにも乗らず、そろそろ声でも掛けないと少し気まずいかと思いはじめたところで、約束より遅くなったらしい迎えの友人の車で無事帰っていった。新潟に向かう快速べにばなはなかなかの賑わい。ロングシート対面の窓の外は闇黒なので嘘寝。車内の何処かにさかったネコがいる。ディーゼルはうなりをあげて国境の峠を越えていく。山形から新潟に行く人は案外多い。新潟駅前のビジネスホテルでチェックイン済ますと、後から来た飛び込みのビジネスマンの三人連れが満室で断られていた。居心地のいいホテルは駅周辺の整備に伴う道路拡張のあおりを受け、ほどなく廃業してしまうらしい。