Friday, September 28, 2012

マック



またしても完全に失われたと思っていた下北沢の洋食屋マックの暖簾分けをしていた店が笹塚にあると聞いて寄り道。店名もそのまま「洋食屋マック」。こちらはシモキタの厨房の中でも見覚えのある方がやっていて、安心の継承。自分は堅焼きの目玉焼きが好きだったけど、半熟に変えるというささやかな哲学にも好感を抱く。また、付け合わせのサラダの生胡瓜のパキっとした食感がこんなに忠実に守られているというか、守ることができるのだということに感心する。きれいになった店内では、味噌汁のお椀がスライドすることはもうないのだろう。スティーブ・マックイーンのグッズも1個ぐらいはあってもいいんじゃないかな。そして、もちろん、こちらにもまた伺います。

Friday, September 21, 2012

三福林



惜しまれつつ閉店した下北沢の定食屋三福林の味を引き継いだ店があると聞きつけて、早速、新宿に立ち寄った。店内に飾られたトルシエのサイン色紙を見て、シモキタの店にミニコリンシアンが並んでいた記憶が蘇る。メニューには自分の大定番であった肉なす炒めがある。失われてしまったと思っていたあの茄子の食感が、全くもって正当な後継である。相変わらず、ラジオから流れるのはナイター中継で、折しも巨人がセリーグの優勝を決めようとしていた。男だけの世界であった三福林が『傷だらけの天使』のようなホモセクシュアルな空気さえあったというのは言い過ぎかもしれないが、お運びのおばちゃんが入ったことであの結晶度は失われてしまった気はする。でも歌舞伎町の方々にも愛されているようで嬉しかった。ただし、明太子オムレツに添えられたサラダにワカメが無かったのは少し残念である。あとは牛肉ポテト炒めがあったらなぁ。まあとにかく「和食とよま」には、また行きます。

Wednesday, September 19, 2012

新潟



9月9日。枕元に置いていたメガネをぐにゃりと踏んで、鮮烈に目を覚ます。簡単に身支度をして帳場で勘定を済ませ、ご主人から着物の古裂を使ったという楊枝入れを有難くいただく。天気の良いときには、宿の玄関から月山と鳥海山も見えるそうだが、この日は残念ながら靄っている。杉村春子先生が公演で鶴岡ホテルを訪れる度に「絶対に壊さないでください」とおっしゃったという気持ちをしみじみと噛み締め、近いうちにも月山と鳥海山を見に来ようと思う。ただし、近くに見えている母狩山の山影も悪くはない。

朝の羽越線はとてもゆったりとしており、交流のこの区間がキハ40系だというのもまた良い。日本海も今日は穏やかである。鼠ヶ関を越え、新潟に入ると粟島が見えた。村上駅で羽越線を乗継いで、直流区間に入ると電車のクモハ115になる。吉田行の電車を新潟駅で降り、バスで新潟島に渡って古町を少し歩く。古町通を一本裏に入るとジャズ喫茶と並んで、特殊浴場などもあり、なかなか混沌とした風情である。柾谷小路の北側の豪壮な料亭の門の中には人力車の姿なども見えた。

都合良く時間が余って万代橋の水揚場に大友良英氏のインスタレーションを見に行けるなんてはずもなく、万代橋を渡るバスの窓から水揚場のある朱鷺メッセの方を眺める。新潟からは快速くびきのに乗り、長岡から新幹線で帰京する。新潟駅で買った大阪屋のコーヒー白玉が思いのほか美味い。新幹線のシートでうとうとしながら、全国の来夢来人コレクションが壮大な仕事になるのはともかく、「夜来香」コレクションもなかなか立派なものになるだろうなどとぼうっと考えていた。今回見かけた「夜来香」は、花巻と北上で、ぎょうざの店とスナックの「夜来香」なのであった。

Tuesday, September 18, 2012

鶴岡ホテル



鶴岡銀座のアーケードを過ぎ、まだ明るいうちに鶴岡ホテルに投宿する。月山Bという部屋に通されて宿帳に記入する間、こちらを定宿にしていたという杉村春子先生がいつも泊まっていた部屋が隣室の月山Aであること、食堂を進駐軍用にダンスホールとして使っていた話などをご主人から伺う。この日は他に宿泊客もいないから、どこでも開けて見てくれということなので、お言葉に甘えて館内を徘徊させていただく。明治に建てられた純和風旅館である鶴岡ホテルは、食堂、洗面所、廊下と何処を取っても趣深い。今は使われていないであろう厨房の内線電話に添えられた番号表には「4:女中部屋」と書かれているのが見える。さんざん館内を探検して部屋に戻り、広縁の椅子に座って中庭の緑を見ながらお茶を啜っているうち、やはり杉村先生の写真集は買うべきなのではないかと思い直し、再び阿部久書店を訪ねることにする。

薄暮の鶴岡上空をカラスの大群が飛んで、嵐のような絨毯爆撃を開始すると、アーケードには糞宿りをする人もちらほら見える。閉店間際の阿部久書店に駆け込んで、無事に写真集を購い、そのまま夕食に出掛ける。宿に近い湯殿山食堂というところに入ってみると、一階は座敷の2卓とカウンターで静かなものだが、二階には生ジョッキが次々と運ばれ、「11人始まりました」「8人始まりました」との号令がかかる大繁盛ぶりであった。焼肉定食についてきた小鉢の「だだちゃまめおろし」がなんとも良い。夕食を終え、ふらふらとあたりを逍遥する。夜の庄内と言ったら酒田なのかと思っていたが、鶴岡も案外盛んで、艶やかな女性がちらほらと歩いている。宿に戻る前にスーパーに立ち寄り、地元で作られたパックの黄奈粉団子などを購う。黄奈粉団子は素朴な味でなかなか美味かった。



宿に戻って風呂。『おくりびと』の撮影に使われて今はなくなったという同じ町内の鶴乃湯も、地下水を焚いた良い湯だったという話だが、アールデコな鶴岡ホテルの湯もたまらない。風呂上がり、『月刊庄内散歩』をぱらっと眺める。購入した二冊は76年の4月号と8月号で、特集はそれぞれ「庄内の怪談」「庄内路に性神を探る」というもの。巻頭、地元の名店を紹介した庄内百選店のリストには、レストラン欅や純喫茶ケルン、阿部久書店の名が見える。鶴岡ホテルは広告も出しており、そのコピーは当時からして「古い宿に泊まりたい〜できたら何かある小さな町の古い宿に…」ということであった。また、同じく広告によれば、伝説の映画館、グリーンハウスの4月の上映作品は『O嬢の物語』である。酒田はこの76年の10月にグリーンハウスの出火から酒田大火を起こしてしまうことになる。

夜も更けて、突如、大嵐が襲った。夏の雷ではあるが、日本海側の雷鳴の迫力はやはり格の違いを感じさせるものであった。

Monday, September 17, 2012

しめぎモカ



鶴岡駅を出て、まず珈琲店のコフィアへ。いろいろ尾鰭が付いたものの、今回の旅回りは、中近東文化センターで催された「珈琲がやってきた」展の企画「もかリバイバルカフェ」でいただいた門脇氏の珈琲を飲みに鶴岡へ来ただけなのである。「エチオピア産モカ輸入停止のため、誠に残念ながら、しめぎモカ終了させていただきます」ということなので、「ほろ苦さとコクをいかした味わい」というアマレットブレンドをいただく。やはり美味い。果たして門脇氏は白衣を着ている。レジの前には師匠である標氏の評伝『コーヒーの鬼がいく』が積まれていた。

少し殺風景だった駅前を離れ、山王日枝神社あたりから旧来の商店街に入る。なかなか味わいのある阿部久書店にて『月刊 庄内散歩』という庄内の歴史小冊子を二冊購入。無造作に積まれていた杉村春子先生の写真集にも心引かれるが、荷物になるのでスルー。外堀のように鶴岡城を囲んで流れる内川を渡って、鶴岡銀座商店街を歩く。裏のスナック街を歩いていると、ビルの壁面に「銀映」とあり、ここも映画館だったのだと気付く。

Sunday, September 16, 2012

黒沢尻



9月8日。空が白みはじめて5時を過ぎると、外は人の動く気配もする。半睡の中、滔々と流れる水音を聞きながら、花巻市内は祭りの朝なんだなと考えていると、『ロシュフォールの恋人たち』の冒頭が思い浮かんだ。5時半に布団をたたんで朝湯につかり、宿のまわりを軽く散歩する。7時にはお膳が配られて、久しぶりに『デザインあ』を見ながらの朝食。8時のバスで鉛温泉を後にして、花巻駅から東北本線を北上駅まで戻る。駅の周りを少しだけ散策してみると、地味ながら、北上の街もこの週末は祭りのようであった。

北上駅に戻ると、すでに入線していた1両編成の北上線の席は7割方埋まっている。はじめて乗車した北上線だが、シェードがかかってあまり外も見えず、つい眠気に誘われた。ふと目を覚ますと、後から乗ってきたと思われる幼気な女の子が、始発からいた両脇のおじいさんとおばさんにアメちゃんを配っている。ニコニコしたおじいちゃんはすぐに飴を口にしたものの、無邪気な感じで早々に吐き出してしまうので少しヒヤヒヤする。横手からは奥羽本線に乗り換え、山間の国境を越えて山形に入る。新庄からは陸羽西線に乗り換えて日本海へ。奥羽線の車内でふわふわ漂っていたのは羽毛かと思ったが、陸羽西線でも派手にさまよっているので、何かの綿毛なのだろう。最上川沿いに陸羽西線を進み、余目で更に羽越本線に乗り換え、奥羽山脈を越えてなんとか鶴岡に到着する。そういえば、北上駅で買ったシライシパンのコーヒーあんぱんは案外美味かった。

Saturday, September 15, 2012

鉛温泉



鉛温泉へ向う岩手県交通バスは、相変わらず床が板敷きのバスである。大沢温泉までに他の乗客全員を降ろし、バスは鉛温泉に到着する。がらんとした真冬の凍えそうな湯治部でこたつに齧りついていた前回の一宿も良かったが、開けた窓から川のせせらぎが聞こえる残暑の湯治部がまた素晴らしい。前回は夜遅くに着いて、見ることの出来なかった売店をじっくりと物色し、お宝を発見してレジに持って行くと「これなんていうんだっけ?」などと仰るので、「ペナントです」と教えて差し上げる。湯治客の夕食は5時早々に各部屋へ配膳され、立ち所に平らげては腹ごなしに館内をうろつく。一休みして温泉につかり、風呂上がりに買ったかき氷の蓋をあけると、このレモンスライスの入ったかき氷は温泉津温泉で朝湯につかった時以来だと思い出した。自炊棟の窓の外からはシチューの良い匂いがする。アナウンスが入って9時に棟内が消灯すると、静まった部屋に流れる豊沢川の水音は、せせらぎというより轟々と響くようであった。


Friday, September 14, 2012

花巻まつり



9月7日。のんびり進む新幹線のやまびこは白石蔵王だけを通過して仙台に10時に着いた。白謙でかまぼこを購い、東北本線に乗り継いで、更にのんびり北を目指す。瞬間松島を垣間見て、東北本線を仙台平野に進むと、次第に田圃が黄色がかっていくのが見える。仙台から乗り合わせた行者風の人がひどく念入りにストレッチしているので、長く電車に乗った体を解しているのだろうと思ったが、植芝盛平翁を思わせる行者様は、終始延々とストレッチをし続けて、伊豆沼の新田駅で降りて行った。伊豆沼はまだまだ蓮の花盛りである。解体されかけているホーム跡に引込線が続いているのが見える石越駅のことを調べてみると、伸びているのは引込線ではなく、かつて営業していた栗原田園鉄道の跡のようである。栗原鉄道保存活動中の学芸員の方が亡くなったのは、確か大震災の3年前の岩手宮城内陸地震の時であった。



花巻はこの日から花巻まつりで、跨線橋には花飾りがずらりと垂れ下がり、駅から祭り気分で溢れている。駅を出れば、中心街の上空と思われるあたりにアドバルーンが浮かんでいるのが見え、号砲の花火がドドンと鳴った。行きがけに照井だんごで経木団子などを購い、まずは腹ごしらえにマルカンデパートへ向う。マルカンランチは軽くやり過ごし、メインのソフトクリームを堪能する。マルカンデパートの大食堂では、刺青柄の鯉口シャツを着た少しやんちゃな若衆がさっそく酒盛りをはじめている。デパートを出て、寂れたスナック街でも廻ろうと路地に入ってみると、祭りの準備をする方々の予想外の人出に面食らう。スナックから顔を出して様子を伺うおばちゃんに、祭りを見に来たのかというようなこと聞かれるが、残念ながらいまいち聞き取れない。祭り初日の平日ということで、昼間は試運転程度の山車の行軍だったが、通りがかった巨大な龍の山車に近づいてみると、首がニョキっと伸びては目を光らせ、おまけにぶはっとシャボン玉まで吹き出していた。大通りにはすでに場所取りのビニールシートの姿も見え、夜はさぞやと思わされつつ、花巻市街を後にして、バスで鉛温泉に向かう。

Tuesday, September 11, 2012

安房



吉祥寺の妹妹でとりそばを食ったり、西荻のはつねでタンメンを食ったり、杏林病院のあたりや、烏山住宅あたりをぶらぶら歩いたのを武蔵野篇。動坂食堂で野菜炒めを食ったり、晩菊の小路を歩いたり、不忍の書店を素見したり、染井の霊園で猫と戯れたりしたのを本駒込篇。そして、北陸本線をぶらぶらする北陸篇ときて、「hayakarを歩く」も一周忌を迎えての房総篇で、いよいよ位牌と墓を前にする。それにしても、なんとも美しい町である。そういえば、「ノース・マリン・ドライブ」とか「スケッチ・フォー・サマー」とかのプレイリストでも作ってくれば良かったな。晩年にお盆を過ごした実家の目の前に臨む傾城島の灯籠流しを氏は窓から見たのだろうか。来年は灯籠流しの日にでも行けるといい。ちょうど実家の目の前に海と夕日の展望風呂を売りにするほどの民宿がある。鋸南の干物がなんともいえず美味いなぁ。