Monday, December 30, 2013

青梅線



余る予定の18きっぷで、ちょっぴり奥多摩の方にでも行ってみようと三鷹駅に入場してみると、人身事故で1時間ほど電車が動かないというので、出場して久しぶりに喫茶リスボンでランチバスケット。タマゴサンド、ハチミツトーストにフルーツは柿で、ヨーグルトは柚子シャーベットがけ。常連の方々が年末の挨拶をして帰っていく。ランチバスケットをいただいて、スポーツ新聞をパラパラと眺め、そろそろほとぼりがさめただろうかと駅に戻る。とりあえず最初にやって来た列車に乗込んでみると、青梅行の青梅快速の行き先は、途中で立川行に変わり、なぜか最終的に青梅快速高尾行になっていた。冬晴れの中、高架を走る中央線から見える富士山がどうにも美しい。

立川から乗込んだ青梅行の電車では、英語を話す若者たちが、スマートフォンで読んだ辺野古の記事を話題にしている。奥多摩行への乗継ぎには20分ばかり時間があったので、駅前のセブンイレブンで青梅せんべいなるものを購入。この歳末、レジでは振込用紙を携えた人々が並んでいる。店員さんは宅配のお兄さんとおせちの配達が忙しいという話。青梅駅の発車メロディはひみつのアッコちゃんである。青梅から先に乗ったのは今日がはじめてで、日向和田あたりの素晴らしい山里感に多いに驚かされる。車内には、いかにも昔ながらの出稼ぎ帰り的な雰囲気を漂わせている方がいるが、このご時世に奥多摩から出稼ぎに出る方もいるのだろうか。終点の奥多摩駅を降りて、駅の周辺を歩く。駅を出てすぐ、谷底に多摩川が流れていた。

奥多摩は3時過ぎに後にして、帰路には福生で降りてみる。駅の西側を少しだけ見た後、東にまわって八高線を越え、基地前の16号線まで歩く。基地沿いに16号の店をひやかしながら南へ歩き、しばらくして牛浜駅に方に戻った。牛浜駅のホームからも夕焼けの中に富士山の姿が浮かんでいるのが見える。久しぶりに立川でオリオン書房を見て帰る。

Tuesday, December 24, 2013

清水橋



野川にこんな人なつこいネコがいたのか。

Monday, December 23, 2013

光の国



花巻からは、上りの東北線に1時間ほど乗車して、終着の一ノ関で下車。しばらく降りていなかった一ノ関にも少しばかり立寄り、北側のスナック街を縫うように進んで、名ジャズ喫茶との誉高いベイシーまで歩いてみる。もちろん、朝っぱらからジャズ喫茶が営業している訳はなく、ここがベイシーかと思いながら、終わったばかりの坂田明ライブのチラシなどを眺める。駅までの戻りを大通りに回ってみると、地主町は商店街全体がトリコロールに彩られている。一ノ関駅の売店で、ひっつみを見つけたので購入。



一ノ関からはさらに東北線を上り、仙台行に乗車する。正午を過ぎて仙台駅に到着すると、毎度お世話になる立食い蕎麦でカレー南蛮の小憩。さらに何時も混み合う快速ラビットにて福島駅まで進み、即ち郡山行に乗継ぐ。雪の気配がなかった仙台を過ぎると、福島に近づくにつれてまた少し雪原も見える。雪景に柿というのは如何にも福島らしい冬の景色だ。郡山は雨。堂前町まで出張してたけやのおにぎりを大量に買い込み、すぐに駅まで戻る。帰り際、駅のコンビニで酪王カフェオレを買おうと思ったら、お土産の酪王カフェオレサブレしかないなんて、なんだか馬鹿らしい。

郡山からは、何故か宇都宮駅のBECK'Sでジビエカレーなど食ったりしつつ、黒磯、宇都宮と乗り継いで帰京。そういえば、郡山を出るとすぐ、何事かと思うような巨大なウルトラマンのポスターがあり、よく見てみると「須賀川市はM78青雲・光の国と姉妹都市になりました」とのことであった。それにしても、たけやのおにぎりは全く美味過ぎます。

Sunday, December 22, 2013

銀心中



12月21日。夜通し川端で廻っている水車の水音でわからなかったが、雨はどうやら上がっているらしい。朝湯に露天へ行くと、早朝からしてなかなかの賑わい。昨日、花巻駅前のコンビニのスピードくじで当たった黄粉味のアルフォートをつまんで宿を出て、8時のバスで花巻駅へ向う。大沢温泉バス亭の小屋の中で目についたのは、新藤兼人監督の『銀心中』を大沢の公民館で上映するという岩手日々新聞の記事。そういえば、以前の鉛温泉湯治の供に携えて行ったのは『銀心中』が所収されていた『心中小説名作選』だったことを思い出す。映画には軽便鉄道の花巻電鉄の姿も見られるようで、それは是非とも見なくてはなるまい。

Saturday, December 21, 2013

湯治部



北上線に1時間ほど揺られて終点の北上駅へ辿り着き、北上駅からは東北本線を10分ばかり北上して花巻駅で降りる。午後の三時半を過ぎた冬曇りの花巻の空は、ずいぶん暗くて重たい。駅のコンビニで南部煎餅のバリエーション各種を贖い、四時のバスで大沢温泉に向かう。ペパーミントグリーンのジャージを着た湯口の中学生がパラパラと降りていなくなると、バスは大沢温泉に到着。以前、二度ほど伺ったことのある鉛温泉は、このさらに奥で、そこまで行く頃にはだいたい乗客がいなくなるのだが、大沢あたりまではまだ少し人気もある。



鉛温泉と同様、大沢温泉でもお世話になるのは自炊部。数年前の鉛温泉湯治部で、冬の湯治部の寒さは骨身に沁みたので、今回は「冬の湯治部プラン」という炬燵とファンヒーターこみのプランにしておいた。案内された中舘の角部屋は、眼下の豊沢川を挟んで水車小屋と茅葺き屋根の菊水館を見下ろすなかなかの眺め。館内は鉛温泉ほどの遺跡感は無いが、生き生きした売店と食堂が嬉しい。食堂の開店を待って、まずはひっつみの定食で腹拵えをする。食休みしてからは露天にゆっくりとつかり、後は延々と炬燵に入ってうつらうつらした。

Friday, December 20, 2013

なまはげ



7時発の男鹿線はキハ48の4両編成。奥羽本線と分岐する追分あたり、薄く積もった雪が林間に覗く冬木立感がとても良い。船越で八郎潟の水門を過ぎ、しばし進むと男鹿駅。男鹿駅からは、そのまま折り返して戻ろうと思っていたのだが、雨もそう酷くは降っていないこともあり、少々駅の廻りをぶらついて行くことにした。とりあえずは、駅前を真直ぐ進み、ひっそりとした朝のスナック街を歩く。暇つぶしに入った街道のコンビニでは、たけやのアベックトーストと工藤パンのイギリストーストが並んいるのを見かけ、つい秋田のたけやではなく青森の工藤パンを手に取ってしまった。一頻り歩いて駅に戻り、列車の出発まで待合室のストーブにあたる。待合室のテレビを見れば、まだ『アサイチ』の時間である。帰りはキハ40で2両。この時間は主にご老人で秋田まで満員であった。

秋田駅前は殆ど再開発されつくした味わいの少ない町で、次には寄っていきたいと思っていた老舗喫茶の「やちよ」までも、この6月に閉店していた。かろうじて駅の南側に残された古い飲屋街を歩きながら、中通の春駒食堂に赴くと、11時を回ったばかりの食堂は、まだ薄暗い様子。暖簾は掛かっているので伺ってみると、ちょっとした珍客に、少し戸惑わせてしまったようではあるが、ひとまず入れてもらうことができ、待望の秋田名物肉鍋定食をいただく。熱々の肉鍋で体も芯から温まり、そろそろ駅に戻ろうかと店を出ると、雨は雪に変わりかけていた。秋田駅では、積年の課題である花善のとりめし弁当も見つけるが、今日は食う余地がないので残念ながら見送り。



奥羽本線の新庄行はクハ700で、何故かラッピングが「もやしもん」仕様。列車は次第に奥羽山中に至り、降雪も激しさを増して来る。奥羽本線を横手駅で下車すると、横手駅では駅舎までも「もやしもん」仕様である。いい加減、少しく調べてみると、横手市が「発酵文化のまち」だということで「醸」しているそうだ。横手駅からの北上線には、特に良い印象がなく、ただの繋ぎ区間のつもりだったが、望外に車窓の雪景が素晴らしい。中でも、シャーベット状の錦秋湖から疎らに覗く木立の風景は、幻想的ですらあった。

あけぼの



12月19日。いまや風前の灯火となってしまった夜行列車の「あけぼの」の乗納めに出掛けた。野暮用を早めに切り上げると、万難を排し、午後5時には上野に向う。空は生憎の雨模様だが、無事に上野駅に辿り着き、駅を出てすぐの黒船亭で洋食弁当の夕食。向かいの旦那は、悠然と「底ぬけ」なる清酒を召し上がっている。それにしても、真面目なスープというのは全く良いものだ。カニコロッケ、タンシチュー、オムレツの洋食弁当を堪能した後は、愈々迫った夜行列車の乗車に備え、同ビル地下のカフェ・ルノワールにて小半時ばかり電子機器の充電休憩をとる。

入線の時間に合わせて駅に戻り、夜食の買い出しも終えていざ13番線へ。つい入線に見蕩れて無防備なところをつかれ、ふいに取材記者の方から「乗られるんですか」と声を掛けられたので、カメラがこちらを向く前に「写真だけ」としょうもない嘘をついて逃げる。残念ながらこの日の個室は取れなかったため、開放のB寝台ということになってしまったものの、その古さはかえって味わい深い。列車は定時に上野を出発。乗りなれた皆様は、すぐさまカーテンの内側に入り、すっかりしんとして夜行モードになる。こちらも見倣って、カーテンを引いて、少し旅装を解いた。

幾度乗っても、寝台に寝そべって眺める夜の車窓はやばい。10時を回ったあたりで列車が熊谷を過ぎると、だんだんと窓際から冷気が押し寄せてきた感じがしたので布団をかぶり、少しうつらうつらしてきたところで、ガタンと停車して零時前に水上駅。外を覗くと積雪があり、小雪がちらついているのも見える。この揺れっぷりだと、個人的には全く熟睡は望めないのだが、やはり夜行寝台という空間の旅情といったらない。長岡での長い時間調整が終えて発車すると、浅い眠りながらもだらだらと休むことは出来た。車内はかなり寒いが、小さい布団でもかぶると暑いぐらいであった。

12月20日。あけぼのが秋田駅へ到着する時間に先駆けてセットしていた目覚ましが鳴る前に起きだすと、6時過ぎに羽後本荘に到着。こちらもまた雨のようで、外はまだ真っ暗だが、線路わきには白い雪が見える。ようやく空が明るみはじめたのは、もう秋田も目前になってからで、秋田駅の自販機によれば当地の気温は4度。向かいのホームには、東京行きのスーパーこまちが止まっているのが見え、あれだと何時間で東京に戻ってしまうのだろうかと、つい考えてしまう。E3系のこまちは5日ほど前にラストランをしたそうだ。

Saturday, December 14, 2013

ライオン



忘年会で渋谷へ。少し早く着いたので、リブロで小沢昭一の写真集『昭和の肖像』を購い、何時以来になるのかわからないぐらい久しぶりに名曲喫茶ライオンで小憩する。席にコンセントがあるのに驚いたが、いざ使わせていただくと、電力が異常に弱いことに何故か安心させられるのだった。

Saturday, December 07, 2013

神明山



皇太子時代の昭和天皇がお召し列車を長津田駅でお降りになって、陸軍の大演習をご覧になった高台の奥に、さらに裏山を抜ける道が続いていた。それにしても、四日続いたこの大演習を見るために、関東一円から数十万人が見物に訪れたのだという。