Thursday, November 27, 2014

コザ十字路

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11月22日。小雨の中、美栄橋駅から国道沿いの三笠食堂松山店まで歩いてポークたまご定食。朝っぱらなこともあって、セルフのバターをライスに投入するのは遠慮しておくが、みなさん朝からわりとガッツリいっている様子だ。食堂からそのままバスターミナルまで歩き、すぐにやってきた具志川バスターミナル行きのバスに乗車。バスが国際通りを過ぎて、泊の交差点で信号待ちしていると、安室奈美恵がレッスンをしていた元アクターズスクールの建物だと喧伝している南風というゲストハウスが見えた。

難読地名で名を馳せる勢理客辺りの渋滞を抜けて、バスはキャンプキンザーの横を過ぎる。ガラガラだった車内は宜野湾市に入ってから少しずつ混み始め、普天間基地とキャンプフォスターの間を進んでいく。キャンプフォスターの丘の斜面に並ぶ米軍住宅を見下ろし、坂を上りきって普天間の交差点を過ぎた辺りで見かけた普天間コーヒーシャープの佇まいが素晴らしい。屋宜原のA&W1号店を過ぎると、次第にプラザハウスのショッピングセンターが見えてきた。

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胡屋の十字路を一旦乗り過ごし、コザの十字路まで進んで下車。真栄原に続いて壊滅状態にあるというコザ吉原の社交街跡をのんびり素見しに訪ねてみると、話は違って殲滅されている気配は微塵もない。朝の10時半過ぎから町の角々に立っている方もいるし、スナック群もドアを空けて準備万端という全くの現役ぶりである。流石に部外者が紛れ込んでしまった緊張感で少し冷や汗をかいた。

足早にコザ十字路に戻り、少し気を落ち着けて、差向いの銀天街に廻る。がらんとしたアーケードの周辺には1日千円という部屋貸の案内がやけに目立つ。1970年の黒人街の地図にあるホテルやテイラーを辿ることは難しいが、僅かにホテルプリンスと上等レストランの名前は建物の壁面に薄らと見える。温泉マークまで添えられたホテルプリンスなどは全く貴重な遺産だろう。当時の地図を見ていると、バーや売春宿の間に散見されるサンドイッチショップも、どんな雰囲気だったのだろうと想像が膨らむ。営業前のコザ琉映を周囲を一廻りして、ディープなコザ十字路周辺を後にゴヤ十字路に向かった。