Tuesday, March 30, 2010

古市



三日目。特急南紀で早朝に新宮を出発。朝焼けの熊野灘の入江もなかなか美しい。多気で参宮線に乗り換えて伊勢市駅へ。まだ朝の早いうちに伊勢に辿り着いたつもりだったが、外宮から内宮に向かう頃には人と車でごった返している。お参りを済ませ、おかげ横丁で松坂牛めしの早い昼餉。ついでに赤福も食っておいた。



内宮から五十鈴川駅までちょいとバスに乗り、そこからは古市街道をしばし歩く。妓楼が軒を並べた面影なんてものは無いにしろ、ハイライトの麻吉旅館、旧両口屋以外も素敵な町並みが続いた。近鉄の宇治山田駅も見学して駅前で一服。駅前マーケットもチェックして伊勢市駅に戻り、快速みえで名古屋。リヨンでモーニングをいただいて小憩し、駅弁を買って帰路に。残念ながら、駅弁は海老フライが濃くて食えなかった。墓参のお陰か、お伊勢さんのお陰か、ありがたいことに今回は残念なお知らせは無し。まあ、体調は崩したけどな。

枯木灘



翌朝、早めの新宮行き各停で枯木灘区間の紀勢本線に臨む。運よく夜のうちに嵐をやり過ごせたようだが、風はまだ強く、枯木灘の波はとても激しい。潮岬の東も素敵な駅が続き、ほどなく紀伊勝浦へ。駅前広場の那智黒の看板が眩かった。勝浦からはバスに乗って那智滝。熊野古道をちょっぴり歩くと、熊野の山々は黄砂で白く霞んでいる。柳町光男の「火まつり」なんかも念頭に、嵐の熊野も一興と思ってみたものの、霧のたち煙るではなく黄砂に煙る熊野の山々を見ようとは。お山を降りると勝浦から新宮へ。



中上健次生家跡の改良住宅街を軽く流し、商店街を歩いて一休みしたくなってきたところで、喫茶バンビに到着。なかなか一歩を踏み出すのに勇気を要する店構えなんだが、うろうろ看板の写真を撮ったりしてたら、おばちゃんが素敵な看板の人気ぶりを話しに出てきてくれて、やっぱり珈琲をいただくこととなる。カウンターの常連さんたちと新宮や祖師ケ谷大蔵の話をして、ひじょうに楽しい時間を過ごすうち、お燈まつりにもまた来なければならない気持ちになってしまった。この日の夕食は昨日の教訓を踏まえ、賑わっている町の中華屋へ。唐揚げやら焼きそばやらなんか妙に美味い。新宮の和菓子屋、香梅堂もなかなか訪れる人が途切れない店で、鈴焼も美味かった。またしてもスーパーで紀州の柑橘類を買い求め、新宮にて投宿。ロビーにスペイン語が渦巻いている。

彼岸



春分の連休初日、彼岸の墓参りを無事につとめ、紀伊半島をぐるっと回って帰ることにした。新大阪で飛び乗った特急オーシャンアローにパンダシートはなく、後に遭遇したスーパーくろしおもパンダシールばかりで、パンダのシートは見当たらない。阪和線の車窓から見える大阪も味わいが深過ぎて、ここらも歩いて廻らなければと思いながら、味わいのレベルを落とすこと無く和歌山市街を進み、電車は紀勢本線に入る。和歌山市も多いに気にかかりつつ、蜜柑の山間を縫って紀伊田辺まで特急で飛ばす。



田辺は南方熊楠の町。岡茂雄が通っていた当時の大変な僻地ぶりも羨ましいが、紀伊半島をぐるっと廻る紀勢本線は誠に有り難い。紀勢本線はその全通からまだ50年しか経っていない。駅から熊楠の旧居に向かう途中、熊楠も贔屓にしていたという辻の餅で和菓子を買い込む。彼岸の小振りな老舗和菓子屋は大変な賑わいで、声を荒げる強面の客が恐ろしい。熊楠の旧居は中央に佇む巨大な楠木が穏やかな音を奏していた。浜に出ると合気道の始祖植芝盛平翁像の前で外国のおっさん二人がポーチ小脇に延々とフォトセッションしていてとても和む。夕食は地のものを食ってみたが、いささか店を外し気味。スーパーで地元の柑橘類など買って田辺にて投宿。夜食には辻の餅の菓子。こちらはひじょうに美味い。あの強面がいなければ、あれもこれも買っていたのに。

Thursday, March 11, 2010

伊那谷



静岡の島田みのる座が閉館してしまうということで、週末に飯田線経由で東海道をぐるっと廻ってきた。中央線から飯田線に入り、伊那市をぶらり。伊那市の旭座は末永く存続して欲しいが、念のため、早いうちに映画を見に再訪せねばなるまい。先を急ぐため、明るいうちにワイドビュー伊那路などに乗ってしまったが、小和田あたりはやはり各駅で行くべきだ。豊川でうなぎを食って投宿。


翌朝、ホテルの愛知モーニングの後、豊川を少し散策。圓福荘の跡など、このあたりも花街の名残が薄くなってしまったようで無念。お稲荷さんに参って、豊橋からは東海道を東に島田へ。島田みのる座はこの日の午後、奈落などの見学会を行い、三日後に最後の上映を行うようだった。富士駅で身延線に乗換えて、富士宮で焼きそば。甲府からは中央線で意外に早く帰った。東京は寒い。