Thursday, December 29, 2011
石見川本
川本の町は時雨。人気の無い町の中を、クリスマスソングが空しく流れている。江の川の土手から駅を眺め、駅の周りを一周してから、ポツポツと店の開く商店街を歩く。なかなか味わい深い廃屋だな、と思った「喫茶K」をじっくり鑑賞すべく横の路地へ回り込んでみると、思いがけず営業中の札が目に入った。ドアのガラス窓から、幽かに石油ストーブの火が見えたので、迷わずに誘われてみることにする。ストーブの暖かさに包まれつつ、テトリス2の卓子にてドライカレーをいただく。列車の出発の時間になると、三次からの組は誰一人欠けることなく川本駅に集合。再び三江線に乗車する。のんびり戻ってきてボックス席を逃した仙人様は、65+10リットルのドイターを背負って、川戸駅で降りていった。『天然コケッコー』の川平駅を過ぎ、三江線の終点の江津からは山陰本線で浜田。浜田から広島行きの高速バスに乗り込む前に、駅の物産店を素見すつもりが、「のどぐろ御飯売り切れ」なんて目の毒を食らう。広島からは真新しいB787にて帰京してみた。そういえば来年には宇部にもB787が就航するらしい。
Wednesday, December 28, 2011
三江線
12月17日。朝日に照らされる福山城を眼前に福山駅の8番線から福塩線に乗り込む。福山にやって来た列車はロングシートで混み合っているが、三次に向かう下りはのんびりと転換クロスシート。この日も雪まじりながら、朝日を浴びた山々は錦秋本番のように照り映えている。電車は著しく寒い。未電化の府中からはキハ120のセミクロスで、車内の温度が上がる。山間に差し掛かってからは雪模様となり、川鵜の溢れている芦田川沿いを超ゆっくり進む。列車に正対して両羽を広げている鵜は、列車と勝負をしている威勢のいいヤツなのか、はたまた何か汽車に恨みでもあるヤツなのか。山間の川沿いを、恐ろしく低速で進む福塩線の車窓が、思いのほか素晴らしい。
三次からは三江線に乗り換える。いち早くボックス席にどっかと陣取ってノートPCを広げている仙人めいた御仁は、かなり風呂を無沙汰にしているようだ。4つのボックス席に各1名と、自分を含めたロングシートの2名を乗せて、淡々と列車は進む。乗務員は研修中らしい2人連れ。地上30mにホームが浮かんでいる宇都井駅を過ぎ、そろそろ屋根が赤茶色くなってきたなと思ったら、やはり島根県に入っていた。潮から粕淵にかけて「はじめて鉄道に乗って見る地元母子の会」が突如開催され、20人ほどが殺到しては嵐のように過ぎ去って行った。三次から2時間ほど運行してきた三江線のこの列車は、石見川本にて1時間半停車する。
Tuesday, December 27, 2011
徳山
山陽本線を東に進み、徳山駅で下車。徳山港に向ってコンビナートを眺める。回天基地のある大津島へ向う船の乗り場には、人間魚雷の実物大模型が展示されている。駅の北側に廻り、銀南街のカレースタンドでコロッケカレー。マガジンラックに「Mamor」があるのは基地に近い土地故だろう。しばし商店街を散策し、古書店のマツノ書店。中也の評伝でも買うつもりだったのだが、マツノ書店さん自らが復刻出版されている『児玉陸軍大将』を買い求めた。あとは古書で、荻昌弘の『実戦的宿泊論』。瀬戸内もまだまだ雪。
徳山からは山陽本線ではなく未乗の岩徳線に乗り、岩国で山陽本線に戻って更に東へ。岩国あたりから見る車窓のコンビナートもなかなか素晴らしい。宮島口で下車し、駅前のうえのであなごめし。背後では「男一人で宮島を見にくるのが有か無か」話しあわれていて、少し感じが悪い。宮島口に寄ったので、何時か行こうと思っている広島駅前の喫茶パールは、今回もパス。福山に着いた頃には少し腹もこなれ、是非とも純喫茶ルナのプリントップをと勇んで赴くが、店頭で目に入ったサンプルのデカさにいささか胸焼けして断念する。ということで、おやつに生もみじを買って投宿した。
Monday, December 26, 2011
山口線
12月16日。駅前の宿を一歩外に出ると、やはり臭い。西日本はこの冬一番の寒さとなり、益田の駅前も雪がぱらついている。朝のスナック街をひと拝みし、キオスクで「フランス娘」という名のメロンパンを購う。留置線にはフライアッシュ及び炭酸カルシウム専用のタキ1100。通学で混み合う山陰本線を横目に、山口線のキハ47の方はがらんとしている。「フランス娘」をいただきつつ、宿で貰った地元の朝刊を広げると、一面は島根原発の話題だ。列車が津和野を過ぎて国境を越える。辺りはすっかり雪模様である。雪の中を行くディーゼルはやはり素晴らしい。
小雪が混じる山口駅で下車し、駅前を歩く。駅前通りのビルがなんだかこぞって可愛い。純喫茶コティでモーニング。山口市街はなんとか小路というのがたくさんあるので、いくつか訪ねてみたのだが、それほどでもない。「12月、山口市はクリスマス市になる。」とかいう寝惚けたポスターがそこかしこに見える。アーケード街の文榮堂書店で宮本常一の『私の日本地図 芸予の海』を購入。御堀堂の外郎は美味い。再び山口線に乗って終点の新山口駅。小郡にはずっと来たかったんだけど、新山口と言われるとどうでも良くなる。山頭火さん佇む小郡駅前はやや時雨れて行くか。あとは一応、小郡饅頭。
Sunday, December 25, 2011
仙崎
仙崎まで通しで乗る人はいない。駅を出ると竿竹屋の売り声が響き、傾きつつある陽の光も相俟って、金子みすゞの町にやってきた気がした。駅前のみすゞ通りを進み、金子みすゞの生家である書店を継いだ木村聖文堂に立ち寄る。どうしたって今年のポエムは「いいえ誰でも」なので、何かしら関連書籍でも買おうかと思っていたのに、どうしても買う気になれなくて退散してしまった。おまけに珈琲屋が定休なら、食堂も閉まっている始末で、いたたまれずに駅前に戻ってみる。次の列車まではまだしばらく時間があったが、ちょうどバスがやって来たので山陰本線の長門市駅まで乗ってみた。夕暮れの長門市駅のまわりを少し見て回り、山陰本線で益田。益田駅前は臭い。地図でみて気になっていた「キャバレー赤玉」あたりをふらりと歩いてみると、ドレッシーな女性が街を闊歩している。予定より早く投宿したので、CWCのバルサ戦をだらっと見る。
Saturday, December 24, 2011
宇部炭鉱
宇部新川から新山口行の宇部線に乗車。会社員が、巨大な設計図を開きながら大声で電話をしている。いつの間にか静かになったと思ったら、ポケット瓶のウイスキーをクイッとやり、続いてペットボトルの水を流し込んだ。宇部線を床波駅で降りて海岸沿いを歩く。海面から突き出している海底炭鉱の排気口が遠くに見える。海岸通りに面した炭鉱住宅と思われる住宅からおじいさんが出てきた。薮の奥に黒い石が積み上がっている。炭鉱の浜辺を歩くと「S60.2.16・¥141,000」とマジックで書かれたナショナル製テレビのキャビネットが転がっていた。常磐駅に辿り着いて、次の電車を待つ。ときわ公園の「蟻の城」や「Villa TORAYAN」と石炭記念館は次の機会に。新山口から山陽本線を西に厚狭まで。厚狭からは、仙崎直通の美祢線で北上する。崖や川沿いでかなりの徐行をするのは、復旧に一年あまりを要した昨年の洪水のせいだろう。美祢線は、二級河川ながら深緑色の厚狭川沿いなのもいいし、秋吉台や湯本温泉もあるのだから、定期的な観光列車があってもいいのにと思う。秋吉台の美祢駅で少し乗客が減り、重安のセメント工場を過ぎてから、少し屋根が赤くなってきた。残ったおばさん連は湯本温泉で降りていった。
Friday, December 23, 2011
宇部
12月15日。閑散とした早朝の飛行機は、強い向い風のため、僅かに遅れて宇部空港に着いた。路線バスですぐの宇部新川に出てからは、駅周辺の飲み屋街をブラブラとひとしきり次の小野田線の出発まで時間を潰す。スナック街の谷間からは宇部興産の煙突がのぞき、そこから煙の白くたなびく様が詩情溢れることこの上ない。工業地帯を行く小野田線は、小野田港あたりの車窓が甚だ素晴らしい。小野田駅の観光案内の看板には、周辺の雀田駅の名物として、クモハ42を描いたものが残されている。小野田駅からは山陽線で宇部駅に出て宇部線に乗り、再び宇部新川駅へ戻る。
そろそろ昼時だというのに、アーケードの銀天街はあまりにも薄寂しい。これでは当たりを付けていた食堂もやっていないだろうと、歩みをゆるめて商店街をゆっくり進む。アーケードを抜けて、いよいよ寂寥としてきた辺りで辿り着いた食堂は意外にも暖簾が下がっていた。ただし、まだ準備中の風情でもあるので、やっているのか尋ねてみる。どうも肯定はしているようなのだが、おかみさんが何と言っているのか全くわからない。何となく興奮したやりとりが落ち着いてみると、自分を親類のなんとかちゃんの彼氏と見間違えたらしいことがわかった。ご近所さんらしい婆ちゃんも一緒になり、ビールジョッキ片手に「よう似とる」とひたすら繰り返す。昨日倒れたとか言いながらビールを飲んでる婆ちゃんを少したしなめると、「仕事中じゃなければあんたにも一杯おごっちゃるのに」と一向に気にしない。おかみさんは注文したヤキメシを焼く間中もずっと「よう似とる人がおるもんじゃのう」と一人ごち続けているので何だかコワイが、おそらく善く善く似ているのだろう。ついつい話の流れでU興産の人ということになり、今度は飲みにきますということになってしまった。
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