Friday, May 25, 2012
ぶらくり丁
5月17日。例年通り立夏を過ぎたところで神戸の墓を掃いに出かける。並んで拝した者が当の墓に納まったりしながら、年中行事となった墓参もかれこれ6年目となる。翌日に予定している墓参を前に関空に降り立ち、まずは阪和線を南下する。泉南を進む紀州路快速が俄に渓流の趣を見せはじめると、列車は山中渓駅に差し掛かり、駅前には「国鉄推奨ハイキング」の古い看板が見える。流石に国鉄に推奨されたままとなると、辺りは見事な廃墟の装いである。国境の渓谷を越えて次の駅はその名も紀伊駅で、ほどなくして和歌山駅に到着。しばし駅前の美園商店街を徘徊すると、重厚な紀の国屋書店が役目を終えて佇んでいた。
和歌山駅周辺はそこそこに、和歌山市駅まで和歌山城を北西に回る。途中、年季の入った瓦屋根の並ぶ紀和駅の辺りもやはり気にかかる。市駅に着いて、脇の小路を歩くと、スイカズラが獰猛な香気を放っている。早めの昼食に、市堀川を渡ってすぐのカレーヤ食堂に入る。定番だという「バラホル」と「ギョクスイ」を注文すると、作業着の人も若いビジネスマンも、訪れる人はみんなバラホルとギョクスイの人である。甘辛の豚バラ炒めである「バラホル」は、確かに癖になりそうな味である。食堂のテレビではダルビッシュがメジャーリーグの6勝目を挙げようとしていた。
寄合橋を渡り、市堀川に沿って歩く。意外に流れの早い市堀川を、手足をばたつかせながら喘ぐ亀やバナナの皮が流れて行く。川を離れ、ぶらくり丁を抜けると築地通りに出る。枯れた有蓋の歩道と、真田堀に面する裏路地が風趣に溢れ、ひっそりとした人道橋の何とも心細い欄干がまたすばらしい。そろそろ歓楽街の雑賀町に辿り着こうかというところで、和歌山は時間切れ。遠くに望んだ病院トルコ跡を目に焼き付けつつ、徳川トルコ旧跡などの大門川トルコ跡郡はビルの谷間に垣間見るだけに終わり、再訪を期すことになる。