Monday, December 31, 2012

高砂



12月23日。みゆき通りのはまもとコーヒーでアーモンドバタートーストのモーニングをいただき、姫路からは山陽電車で高砂へ。国鉄高砂線の廃線跡を辿って商店街へ向うと、梅ヶ枝湯の煙突が見える。極めて控え目なクリスマスムードを醸す高砂センター街の寂びた佇まいは甚だ素晴らしく、商店街のフラッグで展開している「ぼく、わたしの考えた町を元気にする生き物展」も何気にみせる。カネカの煙突の方へ南下して、僅かに残った古い社宅の名残を見届けてから、運河沿いに北へ戻る。永楽橋から三菱製紙の工場あたりの水辺の風情も一方ならないものがある。



永楽橋のバス停から路線バスに乗り、少し山手側の加古川へ。ちょうど昼時だったので、加古川名物のかつめしを洋食エデンにていただく。駅の売店でおにぎり煎餅銀シャリ味を補充して、ぼんやり列車を待とうとホームに上がってみると、待合室は満席。軽く霰まじりの空模様の下、しばしホームに佇んで加古川線を待つ。そんな訳なので、一両編成の谷川行もあっという間に満席となる。車内は列車無線が無闇に流れ続けて煩い、と思っていたが、よくよく聞いてみれば響いているのはラジオである。どこでもラジオの爺さんは自由なもんだなぁと振り返ってみると、主は意外にも孤高な高校生であった。

ガランとした谷川駅の駅前を乗換の間少しぶらついて戻ってくると、列車の時間にあわせて教習所のバスや路線バスが到着し、続々と人が集まってきて驚く。谷川からは福知山線で福知山を周り、山陰本線で京都へ。京都からはこだまでのんびりと帰路につく。いつもながら泉仙の弁当は本当に美味い。

Sunday, December 30, 2012

加茂橋



津山から先に行く姫新線の発車までかなりの時間があるので、すぐに津山駅を発車する因美線で少しだけ寄り道する。黒地にガイコツプリントというファンキーなジャージのふくよかな黒人女性が高野駅で降りていくのを見送り、昭和3年開業の古い駅舎が残る美作滝尾駅で下車。つかの間、駅を鑑賞する。駅のすぐ手前にある因美線の橋梁と並んで架かる加茂橋の竣工は親柱によると昭和10年。西加茂村で津山事件の起こる3年前ということになる。橋上、甚だ風が冷たかった。

津山に戻る折返しの因美線は無人である。津山駅で下車し、乗ってきた車両を振り返って見ると、列車は姫新線の作用行に変身していた。日が暮れ、県境のトンネルを潜って上月。窓際は厳しく冷え込み、屋根には少し白いものが見える。作用駅、播磨新宮駅と乗継いで姫新線の終点の姫路まで乗車。大普請中の姫路駅を出ると、大修理中の姫路城を囲う四角い箱がライトアップされてますます四角い。おみぞ筋の書肆風羅堂をのぞき、サム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』を購う。えきそばを食いに駅に戻り、スーパーでバッテラ寿司(ハーフ)や淡路島ヨーグルトを買って、姫路の宿に一宿。

Saturday, December 29, 2012

新見



10時過ぎに岡山を後にして、吉備線の田園地帯を進む。総社で伯備線を待つ間、駅前に出てベーカリートングウの「上あん」を買い込む。トングウアパート、サンライズトングウ、トングウIIなど、総社駅前ではトングウさんの勢力が絶大だ。時間的には新見駅で午餐にするつもりだったが、あまり空腹でもないので、アーケードのなくなった新見銀座を3年ぶりに歩いてみることにする。この日はすっかり雨が上がったと思ったのに、屋根の無くなった新見銀座を歩く時だけは雨が降ってくる。ニコニコカメラの頭上にも鈍色の空が広がり、覆いの無くなった突き当たりの大店は立派な石州瓦を露にしている。

新見からは姫新線で山間を東へ進む。一両編成の津山行はクロスシートの4箱が即座に塞がれると、すかさず出発した。岡山に入ってから、なんだか旅の乗客がみな氷結を飲んでいる気がしてしょうがない。山中、ハンガーにかかった肌着が人気のない林間の木の枝にポツンと一枚風になびいている。沿線はなかなか立派な瓦の家が多い。刑部駅を過ぎ、一瞬、虹が見えた。

Friday, December 28, 2012

岡山



12月22日。7時起床。宿を出て歓楽街の田町を歩く。人影のない早朝、「夜寿司」に営業中の看板が掛かっている。田町から西へ表町の飲屋街を抜けて、中島遊郭の跡を歩く。妓楼前、パジャマ姿で川の淵に立ち、悠然と朝の一服を味わうご老人の姿に軽く嫉妬する。東西の中島を一通りそぞろ歩き、京橋を渡って帰ろうとしたところ、後方から『横須賀ストーリー』を派手に鳴らすヤンチャな車が迫ってくる。そっと眼を逸らして川面を見ると、川鵜が魚を嘴で弄び、高らかに獲物を水上に掲げていた。



西大寺町の電停から市電に乗って岡山駅へ戻り、駅前のことぶき食堂に入る。席に着けば、即ち山陽新聞とお茶とが、老主人によって差出される。朝食に玉子丼をいただいてから、駅を西に渡って奉還町を少し廻る。商店街の裏に密かに佇む奉還町のスターハウスは、閉鎖されて警察の管理下にあるのものの、周りはまだ人がお住まいなので、粛然と拝観させていただく。ちらほらとシャッターが開き始めた朝のアーケード商店街には、トーキングヘッズのワイルドワイルドライフが流れている。

Thursday, December 27, 2012



呉に到着すると、心配していた雨はまだそれほどでもない。中通に向かって北口を出て、自衛隊御用達の制服店や帽子店の店先を素見す。このあたりでは、美容院の店先にも「自衛隊歓迎・おしゃれ坊主・ソフトモヒカン」などという惹句が踊っている。中通の商店街に差し掛かると早速見目麗しい中ビル。呉名物のメロンパン中通支店で、どっしり重いメロンパンと平和パンをもとめ、はす向かいの福住フライケーキでは、揚げたてのあんドーナツを買って歩き食いする。自分の後に並んでいたトレンチコートの紳士は、2コばかりのフライケーキを買いもとめ、颯爽と街へ消えていった。麗女通、新天街と、開店前のスナック街を流し歩き、海軍珈琲の昴珈琲喫茶部にて少憩。



商店街を堪能した後は、両城地区の急傾斜地帯を西愛宕町からアタックする。微かに段々の形跡が残るガレ場を抜けると、尾根伝いには古い墓が並び、ぽこっと空いた更地に、今後一切ここに住居は建設できないとの標が立てられている。一度谷戸に下って、両城の主稜へは北壁から挑む。山上でしばし軍港を望み、難所の200階段を下山する。激しい雨の中、下の見えない断崖に足がすくみ、誰もいないのを良いことに、よちよちと手すりを握って降りてきた。そういえば、階段上を曲がったところですれちがったお婆さんはあの壁を登ってきたのだろうか。



二河川を渡り、海沿いを駅方面に帰りがてら、宙に浮ぶの潜水艦のあきしおを見上げる。家路を急ぐ人々で混雑していた夕方の呉線も、広駅を過ぎると徐々に空き始め、安芸津駅ぐらいではかなりガランとする。冬至なので当然窓の外はもう真っ暗である。隣の車両では「君が望むなら〜」「ヒデキ!」とがなる学生たちで騒がしいが、若者の間においても、まだまだヒデキの絶唱が広島県人の嗜みであることに少し心がなごむ。呉線を終点の三原で下車し、駅前の食堂でハンバーグ定食。味噌汁の具にスパゲッティというのは初めてである。三原からの夜の山陽本線はゆったりしている。岡山に到着すると結構しっかり雨なので、寄り道せずに市電に乗って宿へ。夜食の平和パンが美味い。

Wednesday, December 26, 2012

岩国



12月21日。北に向かって羽田を離陸した機体が岩国に向けて右へ旋回すると、眼下には猿島、江ノ島、初島に続いて、芦ノ湖が現れた。機内のアナウンスはこの日が冬至であることを告げている。米軍基地と滑走路を共用にして開港した岩国空港は、開港から既に1週間が経過し、もうすっかり落ち着いたように見える。迷彩の人が一人突っ立っている姿を滑走路に見かけたが、他に全く軍の気配は無く、空港全体は大普請中である。こじんまりしたターミナルの売店には地酒の獺祭がずらりと並んでいた。

バスで至近の岩国駅に出て、駅前の寿栄広食堂にて中華そば。呼出マイクで注文を伝えるおばさんの棒読みな具申が、賑わう店内で虚ろに響いている。電車に乗る前に、少しだけ駅周辺のスナック街を廻ると、米軍を歓迎する看板がちらほら見える。わざわざ「日本人は3000円で飲み放題」という設定があるのは、米兵だとそんなもんでは間尺にあわないということなのだろう。錦帯橋と白蛇はまたの機会ということにして、広島方面へ向かう山陽本線に乗り込む。純喫茶パールのなくなってしまった広島は素通りし、そのまま呉線に乗換えて軍港呉へ向かった。

Wednesday, December 05, 2012

Tuesday, December 04, 2012

純喫茶パール



広島の純喫茶パールが11月25日をもって閉店したという。個人的には、広島駅前には純喫茶パールがあるという絶大な安心感があった。閉店は猿猴橋町全体の再開発に伴うものだそうで、已むを得ないことだとは思うが、あの素晴らしい街並もごっそり失われてしまうことになる。