Friday, August 10, 2012

羽咋



JRの七尾線を途中下車し、灼熱の羽咋を歩く。遅めの昼食には、ゴーゴーカレーでロースカツカレーのエコノミー。小盛で充分だろうと思って入店してはみたものの、男子としてヘルシーという名前なのがどうしても受け入れ難く、恐れながらも普通盛のエコノミーにしてしまう。どうにかエコノミーを食いちらかし、宇宙科学博物館であるコスモアイル羽咋へ赴く。軽くロズウェル事件の模型をひやかしに来たのに、ボストークやアポロなどの展示が本格的で案外本気に楽しんでしまう。

キオスクで買ったパピコを咥えながら金沢行きの七尾線に再び乗り込み、津幡駅からは北陸本線に乗換える。津幡駅名物のきびあんころは見当たらず、夏季限定の冷やしあんころなるものを変わりに購うが、こちらはどうもいただけない。女の子がその電車止まれ~と叫びながら跨線橋を登って行く。北陸本線も富山行きは空いていたが、混み合っている直江津行きはなんだか車内も暑苦しい。トワイライトエクスプレスが高岡駅で追い抜いて行く。市振を通る時はいつも夕日な気がする。地下駅の筒石駅には「青春18きっぷ完売しました」との張り紙が見える。ここでは昔ながらの紙の18きっぷが買えるのかと気づくものの、初日の数十分で売り切れるそうだ。直江津からは、特急はくたかと新幹線を使いつつ本気で上越を抜ける帰路につく。夜の越後湯沢駅は立ち食い蕎麦も見当たらず、弁当も売り切れがちで、笹だんごをつまみつつ帰った。上州の壮絶な雷雨を何事もなく抜けられたので、まあそれで良しとしよう。それにしても、9月にはクリスチーナ・リンドバーグが来るんだなぁ。

Thursday, August 09, 2012

輪島



7月28日。6時起床。テレビをつけるとロンドン五輪の開会式で、クルーザーに乗ったデビッド・ベッカムがタワーブリッジを潜り抜けている。仄かに朝餉の昆布出汁の香りが漂う早朝の宿を立ち、浅野川橋から金沢駅に向かうバスに乗る。車内には「こんな時代だからこそ労働組合が必要です。連合石川は〜」と放送広告が流れている。金沢駅前は、今日もあつうなるぞというより、朝の6時から32℃である。能登もずく海苔の佃煮のおにぎりなどを買い込み、輪島行の特急バスに乗って日本海沿いを進む。おにぎりはどうということもなかったが、加賀棒茶がどこでも飲める環境は羨ましい。車窓を眺めていると、どの行先案内板も最終目的地が輪島なのに、それでも輪島に行く鉄道は無くなってしまったのだと痛感する。輪島駅前から歩いて朝市通りに向かうと、オリカ・グリーンエッジ・ジャージのサイクリストが蕎麦屋に入って行った。「朝市だけですよ暑いの。後はどこも涼しい。エアコンが効いてて。」とは、お婆ちゃんらに混じって比較的若手で元気の良い売り子のおばちゃんの弁である。流石に輪島の朝市通りは、良さ気な漆器屋も数多並んでいるが、つい賑やかに通りは避けて海辺に向かってしまう。航空写真で見て気になっていた大テトラポット地帯は国土交通省の立ち入り禁止区域であった。



輪島からの帰りはバスで七尾線の穴水駅へ向う。暇つぶしに先ほど朝市で貰ったチラシを取り出してみると、「輪島で13代続く小西家の小西由香が漆器に名前をいれます」と、可憐な作業風景が写されている。ちょっと嫌々ながらに撮られている感じがなかなか好印象で、そんなことなら入れてもらえば良かったか、とも思ってしまう。穴水駅からはのと鉄道の七尾線。二両編成ののと鉄道は、先頭が貸切の永井豪記念館車輌で、後ろは『花咲くいろは』なる萌えアニメのラッピング車両というなかなか痛い編成である。花咲くいろは号が駅を出ると、アニメ声の車内アナウンスが流れ、駅間ではちょっとした寸劇が繰り広げられる。列車は七尾湾沿いを進む。穏やかな七尾湾を向こうに、稲が風になびき、さざ波が田んぼを伝っていく。遠くに見えたボラ待ちやぐらは、観光用のものだそうである。七尾駅に着くと、今度はJRの「国宝長谷川等伯号」とかいうラッピング列車の到着記念式典が開かれており、ブラスバンドがディキシー風の「線路は続くよどこまでも」を吹き鳴らしている。こちらのラッピングは少しカッコいい。

Wednesday, August 08, 2012

浅野川



再び自転車に乗って、尾山神社前のスナック街を流し、浅野川まで赴く。泉鏡花記念館で小村雪岱による装丁本などをざっと見て、泉鏡花記念館文庫と小村雪岱の葉書などを購う。主計町を一巡りしてから、浅野川沿いの宿に荷を下ろし、ひがし茶屋町をぶらつく。いい香りに誘われてのぞいてみた糀の店は、 商売っ気よりもギャラリーと憲法9条を守る活動がメインのようで、あまり買物するような雰囲気ではない。夕暮れの浅野川沿いを歩いていると、浅い川底にひっくり返る蟹の死骸が沈むのが見えて、鏡花の金沢を感じた。

日暮れに至り、洋食屋の自由軒にて日替り定食の夕餉。ローストポークと魚のフリッターの日替り定食は、なかなか丁寧な仕事ぶりである。少し混み合ってきた頃合いに、満を持してといった趣で大御所のお婆さんが登場する。暴君らしき大御所の青いトレーナーに黄色で描かれた巨大な文字が、一瞬「Mr.Bater」に見えて目を見開いたが、よく見たら「My Better」だった。どちらにせよ、素敵な着こなしではある。家族連れの常連さんは、教師をしている娘が甲子園予選準決勝の引率に行っていて今日は来れないという話をしていた。試合は残念ながら強豪の星稜高校に負けたらしい。

スーパーで羽咋鳩麦茶と河北潟ヨーグルトを買って宿に戻る道すがら、「働いて飲む、働いて飲むんだ」と噛みしめるように呟いている哲学者とすれ違う。浅野側沿いの宿は、目の前に川床があるなんて風流な宿だなと思ったのは早計で、ひじょうにうるさくて参った。騒音対策がてらにテレビをつけると、折しも「能登金沢ストーカー連続殺人の闇」なる2時間ドラマを放映している。さっき歩いてきた浅野川の橋を安達祐実が渡り、ひがし茶屋の自由軒の前で船越英一郎が聞き込みをしているのを見るのはなかなか楽しい。夜半を前に何とか宴もお開きとなり、9月のカナザワ映画祭に来日するというクリスチーナ・リンドバーグを思いながら、荒木一郎の「りんどばーぐスペシャル」などを聴きつつ眠りにつく。

Tuesday, August 07, 2012

金沢



発車間際に接続する新快速から大量の乗継客が傾れ込み、金沢行の北陸本線はなかなかの混雑である。敦賀を出て南今庄への長いトンネルを出ると、窓がさっと曇る。列車が加賀に至り、小松あたりに差し掛かると、上空にF15戦闘機の編隊が飛び交っているのが見える。金沢の一つ手前の西金沢で混雑する列車を降り、北陸鉄道に乗換えて野町駅からにし茶屋町へ向かう。にし茶屋町の表通りを素通りし、裏の怪しげな路地をふらふらと歩く。カフェー風の素敵な建物を鑑賞しながら、のろのろと路地にお邪魔していると、何かをドンドンと叩かれて威嚇された。犀川大橋を渡り、繁華街の片町に入る。灼熱の街中にシャーデーのスムースオペレーターが流れている。昼食はグリルオーツカで名物のハントンライスをいただく。ハントンライスはボリュームのあるメニューだとはいえ、半分近く残して帰っていく男子学生の軟弱ぶりを苦々しい気持ちで見送るものの、まんまと自分も半分以上残してしまった。片町からは乗り捨てできるレンタサイクルを利用し、旅の目的地である鈴木大拙館を訪ねる。いつもながら谷口吉生の空間は堪らない。そして、まったく鈴木大拙はダンディであった。兼六園の近くの街並を見て、学生時代、すぐに兼六園を見終わって時間を持てあまし、県立美術館でお茶を濁しに行ったという記憶がふと甦った。21世紀美術館の出来るかなり前の話である。



根津にあった時には行ったことのないオヨヨ書林を金沢で、とも思ったが、荷物だし暑いのでパス。片町に戻って、純喫茶フローレンスで小憩する。個性的な女主人によってひとしきりアイスコーヒーの氷分量についての一家言があると、続いては茶菓子を所望するのかを試される。いただけるならと応じれば、「虚しいものばかりですけど…」とハーベストやソフトサラダを供していただいた。「金沢は暑さも余所よりは少しましだし、ひどい天災も人災もあまり無いのよ」とのことだが、「ディズニーランドに行くバスの事故以外はね」というオチが強烈である。音楽のない店内には、ご主人を中心に金沢美大四方山話のサロンと化しており、最近の若者の不甲斐なさみたいな話が少々辛気臭くなってきたところで、店を後にした。

Monday, August 06, 2012

サラダパン



7月27日。全開に響き渡るクマゼミの声が、どうにも関西の朝である。とにかく朝からめっぽう暑いので、敦賀でカレー蕎麦に挑戦するのは断念し、湖北名物のサラダパンで済ますことにする。長浜~敦賀開通130周年のヘッドマークが掲げられている北陸線を木ノ本駅で下車し、つるやパン店を目指す。木ノ本の路地裏を歩くと、伽羅の香りがそこここから漂ってくる。刻みたくあんをコッペパンに挟んだサラダパンは、予想以上にいける味わいであった。小一時間木ノ本をふらついて、次の敦賀行きに乗ると、先程あれだけいた学生はもうまったくいない。敦賀駅前のメーテル像は、敦賀が欧亜国際連絡列車の港であることから来ているらしい。今年はウラジオ航路開設からも110周年である。もしウラジオに行くことがあるなら、どうしても敦賀から行きたいと思う。

Sunday, August 05, 2012

長浜



岐阜駅からもう少しだけ東海道線を西へ進む。車内では女子大生が「祭りのときの暑さはこんなもんじゃない!」と熱弁をふるっている。てっきり郡上踊りのことかと思ったが、「祭りはやなぱー必須だから」(?) などとも言っているので柳ヶ瀬の祭りのことなのかもしれない。列車が関ヶ原を過ぎる。元々、今回は関ヶ原のウォーランドを見るついでに岐阜に寄っていくことにしたものの、岐阜の見所が多くて逆に関ヶ原をスルーしてしまった。浅野祥雲は五色園とあわせてまた機会を設けようと思う。

米原からは北陸線に乗換。湖東の田んぼ越しに見える琵琶湖はまったくの海である。北陸線を10分ほど乗車して長浜駅で下車。琵琶湖口の旧長浜駅舎と長浜城は遠目に眺めるに留め、市街の伊吹口へ降りる。駅前にやんちゃな高校生たちが屯っているので、あまり関わりあいにならないように横をすり抜けていくと、ポルトガル語が聞こえた。ちらっと盗み見てみると、若かりし頃のクリスチャーノ・ロナウドのような髪型をした男前である。夕日を受ける長浜タワーを仰ぎ見て、堅ボーロ本舗に伺う。古い街並からは木のいい匂いがする。長浜は午後6時で、どこもかしこも店じまいしており、目をつけていた駅前の食堂もすっかり家族団欒の時を過ごしている。代わりに駅の近くで見つけた郷土料理店の焼鯖素麺定食でさっぱりといくかと入ってみると、意表をついて熱い素麺であった。奥で蓮根の蒲焼の話を延々としている役所かなんかの視察旅行っぽい集団は、阿波の国の方々だそうだ。スーパーでおにぎりせんべいなどを買って、商店街にある町家の旅館に投宿した。

Saturday, August 04, 2012

岐阜



7月26日。平日の伊東行521Mは完全に通勤仕様の列車だが、特急車輌のクロスシートに旅の気分は高まる。平塚で通勤モードが一段落すると、海を見下ろす根府川駅にて列車交換が入り、熱海駅で伊東線に進む521Mを見送ると、いよいよ鬱陶しいJR東海の区間に突入する。サッカーどころの静岡を行く東海道線だが、おばあちゃんが付箋を立てて熱心に読んでいるのは週刊ベースボールだ。興津、浜松と余儀なくされる細々した乗継ぎを経て、豊橋の駅そばにてきしめん。おばちゃんに「熱いんでいいの?」と念を押されながら、熱いのがいいんですよとか言って初志を貫徹してみるが、やはり暑すぎる日は冷たい麺をお勧めしたい。

大垣行きの列車を岐阜駅で降り、南口のサカエパンに向かう。臨時休業の張り紙には地元の人も呆然と立ち尽くすタイミングの訪問で、炎天下、並んで張り紙されたアイスクリームパンにそそられる。この日の岐阜は37℃を超え、あまりの暑さには死の危険さえも感じるほどだ。ポン引きのお兄さん方の声をかき分けながら、南口をそのまま西へ金津園を抜けて北側に線路をくぐると、広大な繊維問屋街に出る。ブロックがまるごとごっそり取り壊されて剥き出しになってしまった繊維街のビル裏の、延々と続く無機質な壁の長城っぷりのあまりの美しさにハッとする。



繊維街を抜けて駅前に戻り、ちょうど来たバスに乗って柳ヶ瀬まで足を運ぶ。南口にあれだけの特殊浴場街があるというのに、柳ヶ瀬の歓楽街もなかなか巨大だ。ただし、こちらの昼間は静かなもの。味わい深い路地が続くのだが、あんまり暑くてどうでもいい。いくばくかの涼を望めたかもしれない口裂け女のお化け屋敷が、施設メンテナンスとかで臨時休業なのも何だか恨めしい。口裂け女は岐阜の発祥だという。蒼井優さまのかき氷本で見た赤鰐は、炎暑のもと大行列だったので、今回は見送らせていただく。