Thursday, April 29, 2010

下石原


GR3が来たので散歩。

Wednesday, April 14, 2010

桜川



18きっぷを使い潰しがてら土浦を訪れた。途中、成田で少し寄り道し、成田線の我孫子支線から廻ってみる。桜川も土浦市街は満開を過ぎ、もう桜吹雪のはずだったが、まだまだ咲き誇っていてハズレ。桜川の堤に隣接する広大な歓楽街を抜け、古い木造の店舗を守る保立食堂で天ぷら定食をいただく。食事を終えて、外壁に貼ってあった案内書きを見ると、こちらはかつて予科練の指定食堂だったそうで、二階の座敷で家族と面会していたという。ということはひょっとすると父と祖母がここに来ていたという可能性もあるわけだ。



土浦駅に戻り、バスに乗って旧土浦海軍航空隊の陸上自衛隊土浦駐屯地へ。現存するはずの旧司令部庁舎や士官宿舎のあたりへは平常入ることが出来ないものの、今も残る医務科の跡は見学コースの中に入っている。医務科に関してはまず間違いなく父も世話になったことだろう。土浦の予科練記念館に行ってきたと告げたら、父にどんな顔をするだろうと思わなくもないが、まず行ってきた話なんてしなかっただろうな。

Thursday, April 08, 2010

電波天文台



翌日はバスで軽井沢に抜ける。「カルメン故郷に帰る」の軽便鉄道の跡を辿って、北軽井沢駅の 跡なども見てみたかったが、時間的な都合で西武バスに乗る。雄大な浅間山を過ぎると、西武バスは国土計画の爪痕を縫うように進んで行った。終点の手前の中軽井沢駅で一足先に降り、しなの鉄道に乗って小諸へ。古城をスルーしてほとりの蕎麦が美味い。因に「小諸そば」って殆ど23区の中心にしか無いんですな。寄っていく予定のなかった小諸だが、なかなか味わいのある町だった。そして駅構内で雑然と売っていたパンもまた捨てがたいのだった。



小諸からは小海線で南下。残念ながらハイブリッド車とはすれ違っただけで乗車はできず。列車を野辺山駅で降り、自転車を借りて電波天文台に向かう。日本一標高が高い駅の野辺山なので、軽く高地トレ気分である。天文台ではパラボラ銀座の直径10mのアンテナが6台並ぶ姿も心躍るが、ちっこいアンテナが84台ぷちぷち並ぶ電波ヘリオグラフがどうにもたまらない。高原茶屋すばるが営業してなかったのは甚だ残念。野辺山から小海線を少し乗り足して小淵沢。小淵沢で駅弁を買い込み、だらだら帰るかと思っていたら、「ホリデー快速ビューやまなし」とかいうのが来たので、ありがたく乗せてもらう。草津ではまだ梅と辛夷で、山梨は桜の季節であった。

草津



予定通り18きっぷ期間に吾妻線に乗って草津温泉に行った。吾妻線の上を行く八ッ場ダムの湖面二号橋はもう完全に繋がっている。大前駅で撮影小憩後に折り返し、草津口からバスで温泉街へ辿りつくと、雪が舞っていた。草津の湯はまったく流石。温泉とはこういうもんだという湯であった。


Tuesday, March 30, 2010

古市



三日目。特急南紀で早朝に新宮を出発。朝焼けの熊野灘の入江もなかなか美しい。多気で参宮線に乗り換えて伊勢市駅へ。まだ朝の早いうちに伊勢に辿り着いたつもりだったが、外宮から内宮に向かう頃には人と車でごった返している。お参りを済ませ、おかげ横丁で松坂牛めしの早い昼餉。ついでに赤福も食っておいた。



内宮から五十鈴川駅までちょいとバスに乗り、そこからは古市街道をしばし歩く。妓楼が軒を並べた面影なんてものは無いにしろ、ハイライトの麻吉旅館、旧両口屋以外も素敵な町並みが続いた。近鉄の宇治山田駅も見学して駅前で一服。駅前マーケットもチェックして伊勢市駅に戻り、快速みえで名古屋。リヨンでモーニングをいただいて小憩し、駅弁を買って帰路に。残念ながら、駅弁は海老フライが濃くて食えなかった。墓参のお陰か、お伊勢さんのお陰か、ありがたいことに今回は残念なお知らせは無し。まあ、体調は崩したけどな。

枯木灘



翌朝、早めの新宮行き各停で枯木灘区間の紀勢本線に臨む。運よく夜のうちに嵐をやり過ごせたようだが、風はまだ強く、枯木灘の波はとても激しい。潮岬の東も素敵な駅が続き、ほどなく紀伊勝浦へ。駅前広場の那智黒の看板が眩かった。勝浦からはバスに乗って那智滝。熊野古道をちょっぴり歩くと、熊野の山々は黄砂で白く霞んでいる。柳町光男の「火まつり」なんかも念頭に、嵐の熊野も一興と思ってみたものの、霧のたち煙るではなく黄砂に煙る熊野の山々を見ようとは。お山を降りると勝浦から新宮へ。



中上健次生家跡の改良住宅街を軽く流し、商店街を歩いて一休みしたくなってきたところで、喫茶バンビに到着。なかなか一歩を踏み出すのに勇気を要する店構えなんだが、うろうろ看板の写真を撮ったりしてたら、おばちゃんが素敵な看板の人気ぶりを話しに出てきてくれて、やっぱり珈琲をいただくこととなる。カウンターの常連さんたちと新宮や祖師ケ谷大蔵の話をして、ひじょうに楽しい時間を過ごすうち、お燈まつりにもまた来なければならない気持ちになってしまった。この日の夕食は昨日の教訓を踏まえ、賑わっている町の中華屋へ。唐揚げやら焼きそばやらなんか妙に美味い。新宮の和菓子屋、香梅堂もなかなか訪れる人が途切れない店で、鈴焼も美味かった。またしてもスーパーで紀州の柑橘類を買い求め、新宮にて投宿。ロビーにスペイン語が渦巻いている。

彼岸



春分の連休初日、彼岸の墓参りを無事につとめ、紀伊半島をぐるっと回って帰ることにした。新大阪で飛び乗った特急オーシャンアローにパンダシートはなく、後に遭遇したスーパーくろしおもパンダシールばかりで、パンダのシートは見当たらない。阪和線の車窓から見える大阪も味わいが深過ぎて、ここらも歩いて廻らなければと思いながら、味わいのレベルを落とすこと無く和歌山市街を進み、電車は紀勢本線に入る。和歌山市も多いに気にかかりつつ、蜜柑の山間を縫って紀伊田辺まで特急で飛ばす。



田辺は南方熊楠の町。岡茂雄が通っていた当時の大変な僻地ぶりも羨ましいが、紀伊半島をぐるっと廻る紀勢本線は誠に有り難い。紀勢本線はその全通からまだ50年しか経っていない。駅から熊楠の旧居に向かう途中、熊楠も贔屓にしていたという辻の餅で和菓子を買い込む。彼岸の小振りな老舗和菓子屋は大変な賑わいで、声を荒げる強面の客が恐ろしい。熊楠の旧居は中央に佇む巨大な楠木が穏やかな音を奏していた。浜に出ると合気道の始祖植芝盛平翁像の前で外国のおっさん二人がポーチ小脇に延々とフォトセッションしていてとても和む。夕食は地のものを食ってみたが、いささか店を外し気味。スーパーで地元の柑橘類など買って田辺にて投宿。夜食には辻の餅の菓子。こちらはひじょうに美味い。あの強面がいなければ、あれもこれも買っていたのに。

Thursday, March 11, 2010

伊那谷



静岡の島田みのる座が閉館してしまうということで、週末に飯田線経由で東海道をぐるっと廻ってきた。中央線から飯田線に入り、伊那市をぶらり。伊那市の旭座は末永く存続して欲しいが、念のため、早いうちに映画を見に再訪せねばなるまい。先を急ぐため、明るいうちにワイドビュー伊那路などに乗ってしまったが、小和田あたりはやはり各駅で行くべきだ。豊川でうなぎを食って投宿。


翌朝、ホテルの愛知モーニングの後、豊川を少し散策。圓福荘の跡など、このあたりも花街の名残が薄くなってしまったようで無念。お稲荷さんに参って、豊橋からは東海道を東に島田へ。島田みのる座はこの日の午後、奈落などの見学会を行い、三日後に最後の上映を行うようだった。富士駅で身延線に乗換えて、富士宮で焼きそば。甲府からは中央線で意外に早く帰った。東京は寒い。

Thursday, February 18, 2010

まだかいな


ずっと空が鈍色だな。

Wednesday, February 10, 2010

雪見



今期の雪見は只見線から飯山線へ豪雪地帯中央突破を試みたものの、島津の退き口にはほど遠く、早々と討ち死に。只見線も会津川口までは動くだろうと高をくくっていたのだが、余裕で会津坂下止まり。とりあえず奥会津の宿までは代行バスと車を乗り継いで辿り着き、雪見の湯に溶ける。まず磐越西線からしてあやしい挙動を見せていたので、会津若松でソースカツ丼を食う時間もなかったが、晩飯はこれでもかと地のものをいただく。



翌朝も目覚めてみると猛吹雪で参ったなぁと朝湯につかる。只見線など動くはずがなく、プリキュアなど見ながら、だらだら情報を待っていると10時には嘘のような青空が覗き、会津線沿いまで宿の方に送っていただくことになる。吹雪明けの青空の下はなんだか景色の解像度が違った。気分よく山間を抜け半日ぶりに携帯の電波圏に戻ってみると、大量の留守電メッセージのお知らせ。同行した家人の親族による捜索願のお知らせであった。旅に出ると残念なお知らせが舞い降りるジンクスは殊勝に続く。せっかく会津線方面に来たのだから、雪の大内宿もいいかもと思って行ってみると、どうもただ均一に白かった。会津若松に戻り、さざえ堂を少し素見して、帰りの磐越西線に乗車するもまたちょくちょく止まる。見事引き当てたこの冬一番の雪の週末であった。