Sunday, March 06, 2011
Sunday, February 27, 2011
パール座
2月13日。泊まった部屋の臭さに耐えきれず、寒さをこらえて窓を空けたまま寝ていると、早朝、けたたましいサイレンに叩き起こされる。思わず生まれて初めてホテルの御意見用紙というものを利用して、この部屋が臭いことを謹んでお知らせする。朝6時のひっそりとした歓楽街に逃げ出すつもりで宿を出ると、まだ薄暗い川反の町には激しくタクシーが行き交い、徹夜明けを蕎麦屋で締める方々で賑わっている。ぶらぶらと秋田駅に辿り着き、再び鶏めしに挑んで見つけられずに羽越本線に乗込むと、ロングシートで鶏めしを食う乗客を発見した。窓の外では、雄物川の鉄橋から見える朝焼けが重層的な朝靄と相俟って素晴らしい。『砂の器』の羽後亀田が雪原の中に現れ、車窓に案外面白い象潟の島々が通り過ぎる。酒田駅で次の陸羽西線を待つ間に米沢牛まんをイートインした土産物屋では、ニューオーダーのリグレットが流れている。陸羽西線の車窓は真っ白で最上川もへったくれもなく、新庄に着いても凄い雪で、陸羽東線は少し遅れて入線。車内の放送では、踏切を一時停止しながら進むので、遅延が発生するかもしれないと告げている。窓際はしんしんと寒い。短い間隔でブレーキがかかると少し不安になるが、列車はほぼ定時で鳴子温泉駅に到着した。大雪の鳴子の駅前に出て、DX劇場跡など少しだけ町を見て廻る。
そのまま陸羽東線を乗り継ぎ、列車は山間を抜けて小牛田に着く。空はすっかり晴れ上がっていて、積雪もほとんど見えない。小牛田からは、がら空きの石巻線で石ノ森キャラに溢れる石巻の街へ。駅前でフランソワーズ・アルヌールを拝み、寂びた歓楽街を抜けて、成人映画館の日活パール座に参じる。日活パール座のある風景はあまりにも素晴らしいため、表に裏にと執拗にうろついて、少々営業を妨害してしまったかもしれない。劇場の裏には結構な喘ぎ声が漏れているのは、老婆心ながらもつい心配してしまった。旧北上川沿いに出て、中州に見えた石ノ森萬画館もせっかくなので寄っていく。サイボーグ戦士の姿をした萬画館員のお姉さんの目を盗みつつ、破れた障子の穴を覘くと、大人でなければ背の届かない高さの穴から見えるのが行水する女、という仕掛けが良い。旧北上川を眺めながらハカイダーのコーヒーフロートをいただき、お土産には珈琲文庫版の『龍神沼』を購入した。北上川の中之島には岡田劇場という芝居小屋系の映画館もあり、そちらも少し様子を伺っていく。最後に笹かまを買い漁って石巻を後にして、仙石線の快速で仙台へ。仙台では蕎麦で軽くしめて帰途についた。翌日、また東京は雪だった。
Saturday, February 26, 2011
鶏めし
2月12日。6時15分起床。前夜おやつに摘んで美味かった相馬屋のあんぱんをおみやげに補充。花輪線に乗って食すクリームパンも美味かった。閑散とした渋民駅に啄木の顔出し看板が見える。大更で列車交換。上り下りとも乗客多し。雲がかかっている八幡平を眺め、松尾鉱山を想う。松尾八幡平を過ぎて少し線路が登りはじめると、安比高原あたりで粉雪が舞い始めた。スイッチバックの十和田南駅で下車し、小坂町に向かうバスに乗る。毛馬内という街で乗客を全員降ろすと、後は小坂まで一人。毛馬内は良さそうな町だ。現存する最古の芝居小屋があることで知られる小坂は鉱山で栄えた町。さっそく廃線の鉱山鉄道の小坂駅を発見するが、雪に埋もれていて近づけない。お囃子の流れる明治百年通りはさらっとやり過ごし、川沿いにある映画館の花園館へ。ここは完全な廃館なのかと思っていたが、子供映画などをやっているようだ。ついでに製錬所の方にも近づいてみると、こちらもなかなか素敵な鉱山ぷり。どこか我が谷は緑なりき的な構造物も遠くに見える。残念ながら近づけないので、彼方に吹き出す煙をみて胸を躍らせる。
十和田南に戻ってからは花輪線で大館へ。大館はアメッコ市という祭りのようで、改札を出た所で白髭の神様にあめっこをいただいた。大館駅周辺の味わい深い経年ぶりは素晴らしい。ただし、目当てだった名物駅弁の鶏めしが完売だったのには呆然とした。大館からは奥羽本線で弘前に向う。天候はすっかり良い。弘前駅前でバスを待っていると、ガイドの方がどこに行くか聞いてくれるが、成人映画館とはなかなか言えない。バスから見て、何このパリと思ったのはメゾンマルタンマルジェラだった。秘した行先のテアトル弘前にも無事辿り着き、あたりの歓楽街をぶらついてから、高砂という評判の蕎麦屋で食い逸れた昼食をいただく。これが甚だ美味い。前川國男の弘前こぎん研究所もやはり行って良かった。名曲喫茶ひまわりで小憩し、夕焼けの岩木山を背に弘前を後にする。通路の向かいの夫婦がおつかれとかいいながらプシュッとやっていると思ったら、鶏めしを食っていやがった。秋田に到着し、七代佐藤養助で稲庭うどんをいただく。駅からはふらふらと川反の歓楽街を少しかすめて歩いて投宿。なんだかホテルが臭い。
Friday, February 25, 2011
三陸
2月11日。大荒れの予報の中、本年度も紀元節の連休を使って雪見を敢行した。一面雪景色の関東平野を臨み、これから向かう北の厳しさは如何ばかりかと気を引き締めるものの、連休初日の新幹線内はすっかり行楽ムード。車内販売の弁当は売り切れ、食いっぱぐれた若者が饅頭でお茶を濁している。一寝入りして仙台で目覚めると、空はまるっきり晴れていた…。一ノ関から大船渡線の快速スーパードラゴンに乗継ぎ。摺沢駅の乗降客がずいぶん多いので調べてみると、政友会が我田引鉄で大迂回をさせた町であった。気仙沼からは昨季シカと接触したエリアを過ぎ、陸前高田で下車。廃映画館の高田交友館が残っていればと思ったものの、やはり全然間に合っていない。高田の町は思っていたよりもひっそりしていて、旧年中に閉店した旨の張り紙が目立つ。高田からは再び大船渡線に乗り込み、終点の盛駅へ。楽しみにしていた蕎麦屋の保原屋本店は「臨時休業」の札の横にでかでかと「当分休みます」の張り紙。大盛況の支店に回り、油揚を刻んだ志乃だそばをいただく。地元の方々が「今、床屋行ってきた」と休日の社交をしている。
盛駅から三陸鉄道に乗って次は釜石へ。1両編成の南リアス線の乗車率は2〜3割ながら、アテンダントさんも同乗している。大観音が見えて来ると、ほどなく釜石に到着。観音方面のバスに乗っているリュックのご老人たちは観光ではなく、観音様はあさっての方を向いている。遥か彼方に大観音が見えるので、思わず停留所を運転手さんに確認してしまうが、それにしても圧倒的な寂れっぷりだ。エスカレータで観音様の足下に辿り着き、観音様の胎内をぐるぐると螺旋状に昇る。張り出す腕の上を歩くと足がすくんだ。バスで商店街に戻り、名所呑兵衛横丁を少し素見すものの灯りは少ない。工藤精肉店食堂部にて唯一人ポークソテーを待つこと25分、列車の時間も迫り、5分弱で食べられたのは半分ほどだろうか。盛岡直通の釜石線は人も疎ら。通路を挟んで反対のボックス席の女子は睡眠用のあったか靴下を履き足し、トロ箱オットマンですっかりくつろいでいる。車窓から見えた葬儀の花環には、新日鉄鉄友会と記されていた。遠野駅で交換した快速はまゆりは回転クロスで快適そう。花巻からは少し混むものとと思っていたが、全くゆったりしたまま3時間かけて盛岡に到着した。盛岡駅で宮古のパン屋だという相馬屋のパンをパッケージに魅かれ買い込む。ついでにテトラパックに入った南部煎餅ミミも二種類ほど求め、駅前にて投宿。
Saturday, January 29, 2011
只見線
1月5日。5時半に起床。夜中の2時にはまだ啼いていたカラスが消えている。会津若松駅5時59分発の只見線に乗り込み、二輌編成の後ろの車輌は独占。昨年、雪中下ろされた会津坂下で列車交換すると、若松方面は混み合っていた。8分の停車時間でプラットホームに降りたのは一眼の男1人とケイタイの女子1人。前回は代行バスで来た会津川口駅は只見川沿いのプラットホームが良い。壮絶な雪景色が2時間も連続して些か疲れてくるが、只見に向ってさらに雪深くなり、横殴りの雪が車窓を過って息をつかせない。只見駅は少しく平かで、その豪雪ぶりが甚だ際立つ。冬期閉鎖の田子倉駅を通過して次の駅まで30分。道路標識も橋も踏切も道らしき形跡ないほど雪に埋もれている。時折スピードを落として走行するので、立ち往生もあるのかと思いヒヤっとする。魚沼は、打ち捨てられたような奥会津に比べ、まだ手の入っている印象を受けた。後部車輌もようやく利用者が増えてくる。次第に晴れて眩しい雪原を進むと、会津若松から4時間あまりかかって、列車は定刻通り小出に到着した。
国際雪合戦大会の幟はためく小出の街を歩き、パン2コ275円也で年賀タオルをいただいて恐縮する。小出からは上越線で3駅移動して越後川口。駅から少し離れた魚野川沿いの食堂見晴らしで定食をかき込む。正午を過ぎた食堂は地元の人で賑わっていて、痩せた工事現場の方々はラーメン大盛りとココアを頼み、英語を話す白人のキャップには「Niigata Kai Export Service」と書かれている。飯山線の時刻をすっかり勘違いしていて発車寸前まで待合室で惚けてしまい、いいから急ぎなさいと駅員さんに送り出されて改札を素通りしたものの、探ったポケットになかった切符は、やはり失くしていた。しょんぼりと進む飯山線の雪景色もしかし美しい。空はすっかり晴れて、車内でも灼けそうだ。森宮野原駅で列車交換するので、ホームに降りて積雪日本一の標柱を見上げる。長野駅の遺失物係にて荒俣宏似の係の方に検索などしていただいたものの、まあしょうがない。長野からは新幹線。夕暮れの善光寺平は新幹線からでも見応えがある。隣のお婆さんと高崎を通過する不思議について話しながら、うっすら光っている高崎観音を眺める。翌日、只見線は朝から運休していた。
Friday, January 28, 2011
喜多方
1月4日。新潟は仕事始めの朝。村上発の越後線に乗り込むと、新潟駅でほぼ降りるものだと思っていた乗客は、次の白山まで乗って行った。粉雪がちらつき、みな傘を持っている。吉田からさらに越後線を乗り継ぐ予定にしていたところ、追突がどうしたとかで止まっているので、弥彦線に乗り換え。東三条からは信越線の新潟行に乗る。冬休みの盛り場行き列車はどうも喧しく、新津で降りてゆっくり磐越西線を待つことにした。雨の新津を一回りしたが喫茶店見つけられず、駅のデイリーズの喫茶コーナーへ。三色だんごはやはり買うことにした。新津の駅スタンプを押してみると、「花と緑と石油の里」という惹句。油井やぐらの図案が魅力だ。
先週、記録的な豪雪に見舞れた会津なので、些か運行を危惧していた磐越西線もとりあえず無事。キハ47のボックス席に陣取って新発田三新軒の「くるまえびとさんまのすしあわせ」を早速開く。新津を出てすぐ、製油なんとかいう石碑が見えた。東新津駅の案内版に見えた煮坪とかいう文化財もまた石油関連なのだろうか。線路は山間に入ってからは阿賀野川にそって延びていく。深緑色の阿賀野川の水量は豊か過ぎる。次第に雪も深くなり、雪原に残された柿の木の橙い実が鮮やかだ。山都駅から一ノ戸川橋梁を渡り、視界に会津盆地が拓ける瞬間にはっとした。久しぶりの喜多方は母の故郷で叔父の大家族もいるのだが、ひっそりとぶらつく。和菓子の田原屋で「ゆべし」や「ここのえ」などを買い込むんで、御年賀の手拭をいただいく。思いがけず新年を慶んだが、帰って開いたら2010年のカレンダー手ぬぐいだった。駅前の珈琲煉瓦で小憩し、会津若松へ。「あれは観光さん?」とか聞こえよがしに言ってくるから通学列車は疎ましい。会津若松は昨年行けなかった七日町あたりを。素晴らしい佇まいのハトヤ分店にて、東野英治郎の御老公様を見ながら、ソースカツ丼をいただく。美味い。会津若松駅に戻って土産屋で一目惚れした柿渋のべこを購入し、駅前にて投宿。夜空の暗さに目が慣れるとカラスの大群が飛んでいた。遠くには鶴ヶ城が光っている。
Thursday, January 27, 2011
時刻表昭和史
1月3日。正月三日の朝のバスは無人で、中央線でさえ人が疎らだ。今回はとにかく乗りっぱなしの旅。まずは常磐線のグリーンに乗ってのんびり水戸駅に着くと、安いよ安いよホリデー料金でグリーン席が上野までたった750円というアナウンスが構内に響いている。水戸はボイス展以来ちょうど1年ぶり。今年の方が芸術館に行かねばならないのだが、本日までは休館。休日仕様の水郡線郡山行は7割ほど席が埋まっていた。少し賑やかな常陸大宮駅では、涙を拭いながら別離を惜しむ女子のいる光景などを拝む。卒業シーズンにはまだ早いし、フラの町ももう少し海の方だ。玉川村で上下交換すると、水戸行きは大変混みあっている。袋田駅にて枯れたミニ袋田の滝。これぐらいの気候だと氷瀑は望めないだろう。降りる人の多い東館は茨城の最北端かと思ったら、もうすでに福島に入っていた。水戸駅で買った軍鶏じゃないそこらの鶏弁当をつまむ。この辺りはそれほど寒さが厳しくないのか、ドアの閉じるボタン押す人がいない。川辺沖駅の長椅子にはネコ。終点の郡山からは東北本線の福島行に乗り継いだ。間近に迫る安達太良山が美しい。さらに奥羽本線に乗り継いで、板谷峠を越えると雪の世界へ。本日も峠の力餅は立売している。
夕闇迫る米沢からは米坂線へ。束の間、薄暮の車窓が美しい。すっかり日も暮れ、今泉駅にて下車。山形鉄道との乗り換え駅でもある今泉駅だが、宮脇俊三が玉音放送を聞いた駅前広場には全く何もない。夏の日射しの中で茫然と聞く玉音放送はいかにも敗戦を迎えるにふさわしい時候だったのだろうと思いを馳せつつ、雪の夜のそれもまた凍みるだろうなどと思ってみる。今泉駅周辺は全く地図に忠実に閑散としており、国道のラーメン屋も正月休み。駅に戻って、待合でストーブにあたっていると、ふいに女の子が入って来た。新潟方面の次の列車まで1時間を一人ゆっくり過ごせるものと思っていたので意外だったが、15分ぐらいして他の方面の列車もある。と思いきや、それにも乗らず、そろそろ声でも掛けないと少し気まずいかと思いはじめたところで、約束より遅くなったらしい迎えの友人の車で無事帰っていった。新潟に向かう快速べにばなはなかなかの賑わい。ロングシート対面の窓の外は闇黒なので嘘寝。車内の何処かにさかったネコがいる。ディーゼルはうなりをあげて国境の峠を越えていく。山形から新潟に行く人は案外多い。新潟駅前のビジネスホテルでチェックイン済ますと、後から来た飛び込みのビジネスマンの三人連れが満室で断られていた。居心地のいいホテルは駅周辺の整備に伴う道路拡張のあおりを受け、ほどなく廃業してしまうらしい。
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