Saturday, April 26, 2014
Tuesday, April 15, 2014
佐賀
佐賀駅を南に歩きかけて目に付いた捨て看板によれば、この日は午前中に「さが桜マラソン」なるものが催されていたらしい。駅前に延びる中央大通りから少し東に入り、復興通りを佐賀城の方へ進む。昭和8年の大火からの復興を指しているという復興通りの枯れっぷりはなかなか素敵だ。路地に入った、細かい水路の廃れっぷりもまた何とも良い。復興通りからさらに東に逸れ、昼食に皿うどんの春駒食堂に向かう。途中、呉服元町のサガン鳥栖ショップが、街中に向けてゴール!ゴール!ゴール!ゴール!と狂ったように絶叫しつづけている。
春駒食堂に入ると、ここにもdデザイントラベルの手が回っている。食事を終えて復興通りに戻り、佐嘉神社まで南下する。神社領にあったストリップ劇場「さがDX」の跡は、一年ほど前に撮影されたというストリートビューで確認することができるものの、残念ながら跡形も無い。駅までの帰り道、珈琲店の珈茗爾にひかれつつ、もう疲れて立ち止まりたくなかったので、駅までそのまま歩き続けた。佐賀駅構内が大混雑しているのは、マラソン大会を退けた人々によるもののようだ。余裕をもって佐賀を出たのはいいものの、新鳥栖駅の何もなさもあわせ、珈茗爾で一服していけばよかったと思ったりする。
新鳥栖からは新幹線に乗って、久留米から先の未乗区間を一気に鹿児島中央駅まで。ほどなく車窓には熊本城が映る。また学会があったわけではないだろうが、熊本駅の上りホームはなかなかの混雑ぶりである。鹿児島中央駅であってくれと願っていた両棒餅の姿は見えず、以前買い求めたマルハチふくれ菓子の姿もない。ここまで南下しても、まだ肌寒い感じはしたが、最後は「むじゃき」にてかき氷のしろくまでしめた。帰路、飛行機が鹿児島空港を発つと、眩い宮崎の上空を通過して太平洋に進む。機長の挨拶で窓の外を見る。北に見える灯りは高知市のものだという。帰りの飛行機も20分ばかり遅れはしたものの、往復とも上空からこんぴらさんにご挨拶した甲斐があって、久しぶりに平穏な旅となった。
Monday, April 14, 2014
唐津
4月6日。なかなか肌寒い福岡の朝である。2日歩き続けた足の疲れもあり、朝の中州散歩は自重して、バスで博多駅まで。博多駅前広場にはドラえもん展のドラえもんがポコポコとならんでいる。いささか血迷って牛たん朝定食などを食してしまいつつ、筑肥線直通の市営地下鉄で唐津へ。快速の唐津行は地下鉄なのにトイレ付である。筑肥線に連続する姪浜駅で地上に出ると、高架から望む玄界灘がいきなりなかなかの絶景だ。九大学研都市駅で学生を下ろし、筑前前原駅で各駅停車に接続すると、ほとんどの乗客がいなくなり、薄ら寒かった電車の中がますます寒い。それにしてもこのあたりの玄界灘というのも思いのほか見物であった。東唐津を過ぎると、川を渡る橋梁の上から唐津城が見える。終点の西唐津の駅前には何もないので、そのまま唐津まで折り返した。
唐津駅を出て、京町のアーケードを歩いていると、店頭にdデザイントラベルのおかれた豆腐屋がある。調べてみると、訪れた日が日曜でなければ、日本一のざる豆腐の朝食をいただくことができたらしい。木綿町のスナック街を抜け、町田川を渡る。小島に浮かんでいるような唐津城の風情がいいので、珍しく登城などしてみる。唐津城に渡る地下道ではギター弾きの若者が何故か津軽海峡冬景色を弾き語りしている。天守から晴れ渡った唐津湾を望み、市街地に戻る。小腹が減って何かつまみたくなり、こんな時にからつバーガーがあれば全く理想的なのだが、こちらも日曜定休とのこと。
唐津駅からは唐津線の人気の無いキハ47で佐賀駅に向かう。唐津線は松浦川沿いに筑紫山地が少し開けた平地を進む。唐津を出たっきり、多久ではじめて降りる客がいて、次の中多久で学生が乗ってきた。
Sunday, April 13, 2014
美美
博多駅には18時前に到着し、すぐに地下鉄で大濠公園へ。枝垂桜が盛りの福岡城内を抜けて珈琲美美に向かう。結論としては、珈琲美美の美味さは個人的にはベストと言っていいと思う次第。
せっかく六本松の方まで来たので、ついでに多津田食堂まで行って豚みそ煮定食。これがまた美味すぎて唸った。六本松からは地下鉄で天神まで出る。ここからぶらっと中州まで足を延ばして、夜食用におむすびでも買おうと思っていたものの、足が疲れてきたのでパス。コーヒーとメシが超級の物件だったので良いのだが、流石に博多というものを堪能してはいない感じはする。それにしても、あの調子でいくとおにぎり村のおにぎりのレベルはいかほどだったのかと、想像するだに恐ろしい。最後に静まりかえった柳橋連合市場をぶらっとして投宿。
Saturday, April 12, 2014
豊後
延岡から北へは、ほぼ各駅停車の走っていない区間なので、特急のにちりんで大分へ向かう。次の佐伯までは1時間で、大分までは2時間もかかる。確かに列車は山間の谷川沿いを進み、スピードが出ない。列車交換で停車した駅で、これが10年前なら寝台特急の富士を見送っていたのだろうかと思って調べてみれば、10年どころではなく17年も遡らなければならなかった。当時の時刻表を見てみると、前日の18時に東京を出た寝台列車が佐伯駅を発着するのは13時ちょうどぐらい。特急にちりんの方といえば、定刻通り12時41分に佐伯駅へ停車した。佐伯駅には佐伯出身だという富永一朗の漫画看板があちこちに飾られている。佐伯からは乗車してくる人も多い。駅を出ると一瞬海が見えるが、午後は生憎の曇りであった。
大分駅は改札も自動なら、駅の土産店も洒落ていて、宮崎などより今様である。この辺りなら観光的には温泉に泊まるだろうし、大分市はただ県庁があるだけなのかと思っていたが、この都市っぷりを見ると、大友宗麟はやはり偉大な為政者だったのかもしれないと思ったりする。外は雨ですっかり肌寒いので、アーケード街の中だけをうろつき、雨に濡れる飲み屋街へは出向かわず。黒田官兵衛フェア中の明屋書店では、松本清張の『軍師の境遇』という文庫本を購入。五車堂という味わい深い感じのカレースタンドがあってひかれつつ、些か重そうなので、アーケード街奥地のカフェ開書堂にて小憩した。『軍師の境遇』は微妙であった。
大分駅に戻って、とり天と鶏めしを購い、博多行の特急ソニックに乗込む。雨はますます本格的になり、山間は霧が立ちこめている。小倉でスイッチバックして鹿児島本線へ入ると、ほどなく折尾駅。車内から改築の様子はハッキリとはしないものの、どうも無惨な姿になっているように見える。
Friday, April 11, 2014
延岡
閑散とした延岡のアーケード街の新天街を歩いていると、朝っぱらから「もっと強くだきしめてよ♪ 奪われないように♪」と激しい歌謡曲が鳴り響いている。アーケードを抜けた大通りを走っているバスの行先板に「レーヨン」とあるのは、さすが延岡だと言えるだろう。街中を走るランナーのペースが素晴らしい気がするのは、旭化成を意識し過ぎだろうか。五ヶ瀬川を渡り、中州の牟田町を歩く。
昨日夕食をいただいた宮崎の店はタルタルをかけたチキン南蛮発祥の店で、延岡にはチキン南蛮自体の発祥の店がある。時間的に、まだ腹が減ってはいないものの、延岡まで直ぐにまた来れる可能性も低いし、残してもいいからとりあえず行っておくか…というような不遜な態度で店の前まで行ってみると、臨時休業の張り紙。50メートル先の新店舗に移転するための一週間の休業などという千載一遇の刑にあった。ただし、チキン南蛮を食べていたら、胃に余地がなくなってスルーせざるを得ないだろうと思っていたハムたい焼き?のハムタイを駅前の高田万十にて買い食いする。オマケにおばちゃんがブルボンのチョコリエールをくれた。
Thursday, April 10, 2014
宮崎ロマン
4月5日。朝のニシタチ(西橘通り)は頭上が不安になるほどカラスまみれで、立ち止まるのも憚られるほどである。人情横丁まで行って朝焼けに輝く成人映画館「宮崎ロマン」のロマンな入口を眺め、あおぞら通りに戻って、有蓋のショッピングセンター青空を訪ねる。朝餉には「きっちょううどん」の天玉かうどん。おばちゃんが勧めてくれた青とうがらしのトッピングがなかなか美味い。一足先に食べ終えて前を歩いている若者が、ジダンばりに手鼻を粋に飛ばして去っていった。
宮崎駅からは日豊本線で北上する。クハ816の延岡行各駅停車はなかなかの乗車率で、折畳み席に着席。乗客はみるみる減っていくものだと思っていたら、佐土原駅では逆に混み合ってくる。高鍋でほとんどの学生が降りると、右手には日向灘が広がっていた。都農駅を過ぎたあたりから、すぐ脇に高架線が現れる。何だろうと見ていると、高架上に太陽光発電のパネルが並んでいるので、役目を終えたリニアの実験線跡だと気がつく。ニョーヨークの緑溢れる廃高速道路もいいが、田園の中、太陽光パネルの並ぶ廃高架リニア線もまた良い。こちらではもう田植えが進んでいる。
Wednesday, April 09, 2014
宮崎
志布志駅からは日南線で海沿いを北上する。空は晴れ渡っているが、風が強く波は高い。沿線には南国風のまだらな瓦の家が続いている。南国の素朴な石垣やブロック塀が雨風にさらされて寂れた風情はなんとも良い。志布志を出た列車は油津駅止まりなので、乗継の列車を待つ間、少しだけ夕暮れの駅前を歩く。商店街には夕食の買い出しに出ている人の姿は見えず、アーケードの下ではただツバメの声が反響している。夜ともなれば、思いのほか小さくないスナック街へ、海の男たちは繰出してくるのだろうか。小半時ほど歩き、再び乗込んだ日南線で終点の宮崎まで進む。乗車している女子高生が、一瞬名前を思い出せないダウンタウンの説明をするのに、「あのケツバットの…」と言っていて、ちょっぴり衝撃を受ける。
19時過ぎに宮崎駅に到着し、繁華街の橘通へ向かう。素敵な絵看板が目を引く文化ストリートという暗闇に包まれた横丁に入ってみると、いきなり頭上でガサゴソとネズミの慌てて走り去る音がした。夕食はおぐら本店でタルタルのチキン南蛮。食後は歓楽街のニシタチをふらふらと素見す。いくらか腹ごなしをして喫茶店のウルワシ本店を訪ねようと思っていたが、なかなかチキン南蛮がこなれないのであきらめて投宿。そういえば、宮崎は教育をあわせて地上波が4チャンネルなのであった。
Tuesday, April 08, 2014
志布志
都城を後にした『鉄砲玉の美学』の渡瀬恒彦は、霧島への死出の山路をバスで向かうのだったが、こちらは海に向かって暢気にバスに乗込んだ。都城を発つ志布志行の乗客は3人。バスが都城の市街地を出ると、国道の脇に志布志線の廃線跡を利用したと思われるサイクリングロードが現れ、まばらな桜並木になって延々と続いているのが見える。旧今町駅前のバス停を過ぎ、県境を越えた末吉駅では、駅舎やホームも保存されているようであった。
次第にバス停に〜園(ぞの)という名が増え、いよいよ鹿児島県だなと思いはじめたところで、沿道の墓もこのあたり特有の屋根つきのモノになってきた。バスは一帯の茶畑を抜ける。民家の庭先にはツツジや芝桜が咲いているので、季節としては東京から一ヶ月先を行く感じだろう。山間に「子犬います」という店が数件見られたのは、何れかの犬種の産地などであったりする故なのだろうか。
都城から1時間半ほどでバスは志布志に到着。茫漠とした駅前にがらんと延びる道路沿いの鉄道記念公園は、志布志が鉄道の要衝であったことを示してはいるが、現役の駅の方といえば、かつて3線が乗入れていたとは思えない、何ともこじんまりとした終着駅っぷりである。商店街のマルチョンラーメンで遅めの昼食をとり、境内で遊ぶ小学生に挨拶をされながら古刹の大慈寺を参拝する。志布志市志布志町志布志2丁目の志布志市役所志布志支所前では役人の方からも声をかけていただいた。以前、日奈久温泉にて山頭火が泊まった木賃宿というのを見たのだが、志布志にも山頭火は訪れていたようで、なかなか立派な句碑が立っている。それにしても「秋の空高く巡査に叱られた」とは甚だ素晴らしい。入江の方に歩いて出会した廃ビルの猫だまりで時間をとられ、いつの間にかすっかり陽が傾いてしまった。
Monday, April 07, 2014
都城
4月4日。ソラシドエアの機内誌である「ソラタネ」の4月号は南さつまの特集で、秋目浦で行われた『007は二度死ぬ』撮影の記事が誌面を飾っている。早朝の飛行機は、向かい風のため10分ほど遅れて宮崎空港に到着。空港では練り物やふくれ菓子に目移りするが、着いたばかりで土産を買い込むのは如何なものかと、からいも団子のみを購うにとどめる。
4月の初旬とはいえ、やはり宮崎は南国風情である。空港に直結しているJRに乗り込み、まずは日豊本線へと合流する南宮崎駅に出る。南宮崎駅の売店で宮崎のソウルフードだというミカエル堂のジャリパンを買い足し、閑散としたクロスシートのクモハ817でゆったりと都城へ向かう。清武駅では、吉松から都城を通ってきたキハ47の宮崎行きと交換。ミカエル堂のパンの袋のどことなく砂糖でベタついている気取り無さもまた良い。南九州はもう随分と緑が濃く、ソメイヨシノなどははあらかた散っている。沿線には気の早い鯉のぼりが泳いでいるのが見える。きな粉まみれになりながらいただく、あんなしのからいも団子が美味い。都城は、以前から交通の要衝として、地図帳上で気になっていた地で、映画の『鉄砲玉の美学』の舞台として興味があった町だ。列車が都城駅を出て、菊竹清訓の都城市民会館が見えて来ると、ほどなく終着の西都城駅に到着した。
西都城の駅を出て、まずは列車から見えたメタボリズム建築の市民会館に向かう。こちらは解体の予定を覆して保存された建物とのこと。機械仕掛けの蝸牛のような威容が、長い閉鎖に荒んでいる。歓楽街の牟田町を歩いていると、商店街全域において花環外交が盛んなようで、「新規開店」「開店数周年」「ママのお誕生日」…と、いたるところに花が溢れている。都城の街中では、已にツバメが飛び交っている。
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