Sunday, November 30, 2014
Friday, November 28, 2014
イナムルチ
那覇空港に荷を預けて市中へ折返し、甘味処の千日で冷し物のぜんざい。ぜんざいは氷の質感もさることながら、何より煮豆がいい。モノレールで安里駅まで戻り、栄町市場をうろつく。このあたりには簡易旅館が多い。午過ぎの閑散とした日曜の市場では、アーケードの下でおじいが将棋をさしている。栄町の市場に響く音楽は、何故か荒木一郎の『りんどばーぐスペシャル』。栄町の社交街をぐるっとして牧志まで歩き、花笠食堂でゴーヤーチャンプルー。定食の汁物で、とりあえず課題のイナムルチをいただくことはできた。ご飯の三択に赤飯があるのが素敵だ。
花笠食堂を裏に抜けた桜坂の公園では、思いのほかネコの姿は見えない。破壊され尽くした桜坂中通りの端に僅かに残ったスナック群を見て、やちむん通りを往復。楽しみにしていた冷やしレモンが牧志公設市場の休日で飲めないのだったら、あの渋い喫茶スワンに戻ってもよかったなと、地図を見直して反省する。
帰り際、国際通りを行進してきた巨大なマーチングバンドが、遠征費の援助を訴えている。全国的にも有名で世界大会にも出場するという西原高校は、親御さんもその遠征費用で大変なのだという。モノレールに乗る前に、牧志駅前のコンビニでブルーシールのビスケットサンドアイス「ポーラベアー」を買い、御嶽のある向かいの公園でいただいた。
夜のフライトを前にして、最後に空港のA&Wへ。A&Wはチキンサンドもなかなかのものだ。日没を迎え、夕陽が渡嘉敷島の方へと沈んでゆく。ベンチに座り、売店で買った琉球新報を開く。一面最下部は3段6割で、出版社の新刊広告ではなく、各書店がおすすめを並べている。新聞は記事も広告もローカル度が濃厚で面白かったが、中でもザ・モアイ(模合)なるコーナーがあるのに少し驚いた。
飛行機は10分遅れで離陸したが、帰路は早い。家に帰り、ポーク玉子にぎりを温めていただく。やっぱりポークは美味いな。
農連市場
11月23日。台湾人の屯するロビーを抜け、外へと朝食に出る。殺風景に拡張された神原大通りから、神里原社交街の僅かな名残をかすめて歩く。朝を迎えたスナックのおばあたちは椅子に座ってゆんたくしている。農連市場の入口あたりまで行き、丸安そばで沖縄そばの朝餉。首里人の知人に薦められたイナムルチという白味噌汁は残念ながら品切れ。歩道にむき出しの路面カウンターに座り、赤黄の沖縄箸「うめーし」でそばを啜る。カウンターの中のおじいがおばあに説教しているのを聞き、やっと本気のウチナーグチに接した気がした。
丸安そばから、そのまま休日の農連市場へ進んで見学する。市場を流れるガープ川に架かる人道橋は、一つが朽ちかけて既に閉鎖され、もう一つの橋も12月に閉鎖される旨ハリガミが告げていた。橋上から川を覗きこむと、朝日に照らされた水中に魚がうじゃうじゃいるのが見える。天井の隙間から日の射し込む閑散とした休日の市場は何とも美しい。農連市場は来年度の再開発が決まっているのだという。
ガープ川沿いに宿の方へ戻り、大平通り商店街のアーケードに入ると、「ここはお国を三百里〜♪」と何故か鶴田浩二の歌声で軍歌が流れてきた。アーケード街の中でも、この大平通り商店街から新天地市場あたりの水上店舗の風情は特に素晴らしいものがある。
部屋に戻って荷をまとめ、10時を過ぎて宿を発つ。モノレールの48時間パスがあるうちに一旦空港まで荷物を預けに行くことにして、市場通りを見ながら牧志の駅に向かう。午後にじっくり見ようと思っていた公設市場がやけに静かなのは、定休の第4日曜に当たっていたことに気付いて少し愕然とした。気分直しに呉屋てんぷら屋まで行き、さかな、いものてんぷらとサーターアンダギーを買い食い。どれも美味い。出来立てなので他と比べるのも申し訳ないが、サーターアンダギーはここのが一番美味かった。
Thursday, November 27, 2014
桜坂
夕方の那覇市内は酷い渋滞で、バスを途中の安里で諦めて、歩いて牧志を目指す。この日の宿は台北で紹介された桜坂下の三和荘。夕暮れの桜坂社交街をふらふらと宿に向かっているうち、いつの間にか路地に迷い込んでいる。行き止まりかと思って立ち止まると、こっちに来いとネコが言うので、付いていくと大通りに抜けた。宿はやはり台湾コネクションが強いのか、ロビーには中国語が響いている。壁には長年密入国の取締に協力してきたことへの感謝状が掛かっている。
手早く旅装を解いて、あたり一帯に広がる大アーケード地帯へ散歩に出る。まずは18時に閉まってしまう古本屋のうららに急ぎ、凝集された沖縄本を眺める。1冊だけと思って選んだのは昭和58年刊の『沖縄の地理ものがたり』という児童書。シッタンガラガラと走っていた軽便鉄道の古写真と近未来を予想したモノレールの完成予想図が並ぶのが良い。
公設市場は明日行くのを楽しみにしてやり過ごし、市場本通りをそのまま進む。うずたかく積まれたサトウキビを、その場でガリガリと搾ってもらい、ジュースにして飲んでみる。新鮮な青みがバナナっぽくもあり、なかなか美味い。サトウキビは糸満でその日に取れたものだという。他に大店の製菓店でサータアンダギーやポーポーなどを購う。晩餐には国際通りのA&Wに入り、ハンバーガーとカーリーフライ。ルートビアーがジョッキじゃないのは残念だが、バーガーもフライも悪く無い。店内はほぼ近隣中高生の自習室。店内のBGMにあわせて口ずさみ踊る姿も沖縄の風情だろう。
竜宮通り社交街から桜坂社交街と進んで、映画館の桜坂劇場に赴き、古書や民芸品などを一頻り見て回る。桜坂劇場では、来週には早川義夫の弾き語りライブがあるらしい。夜も更けて人もまばらになってきたアーケード街に戻ると、琉舞の出し物が粛々と披露されている。静まりかえった商店街では、喫茶スワンの灯りがポツンと灯っている。宿に戻ると、カウンターのお兄さんが台湾のカップラーメンをくれた。
キャンパスレコード
中の町社交街も端まで来て、コザの陸上競技場に続くグラウンド通りに出る。つい先週にFC琉球が今シーズンのホーム最終戦をここで戦ったばかりだと思うのだが、辺りにFC琉球の気配はない。結局、コザで見たサッカーの気配はコザ十字路のスポーツショップ「ヤングスポーツ」ぐらいであった。FC琉球のJ3最終節は福島で明日行われるらしい。
南下する国道から少し東に逸れて、歓楽街の名残を少し残すパラダイス通りに入り、どんつきの山羊料理屋の横を分け入ると、年金通りに抜ける。年金を受給するぐらいのママが多いからというのが名前の由来であるそのスナック街は、まだ長閑な昼下がりである。
合流した国道を暫く行くと、次はビセカツ氏のキャンパスレコード。探しているものは無いかとお姉さんに声をかけていただくものの、こちらに薦めてもらう手掛かりがほとんどなく、とりあえず『キャンパスレコードオモテベスト』と気になっていた登川誠仁の『ハウリングウルフ』を購い、シーサー根付をいただく。キャンパスのレーベルであるンナルフォンに嘉手苅林昌が録音した「ンナルフォン全曲」はひとまず保留。しかし嘉手苅林昌Tシャツとかあればいいのにな。
プラザ通りをショッピングセンターまで歩いて、5時間ほど徘徊したコザを後にする。途中、普天間の丘を下りきった伊佐でバスを下車。那覇に戻る前に、少しだけタコスのメキシコへと寄り道する。メキシコのモッチリとしたタコスの皮の美味さには、タコスというモノへのイメージが変えさせられる。そしてビンのペプシがまた最高に合うのである。
マルフクレコード
コザからゴヤの十字路に向かう途中、沖縄県最後の銭湯である中乃湯の前を通る。営業時間までは数時間あるので、ひとまず渋い事務所だけでも覗いていく。かつてのBCストリートであるパークアベニューまで進み、大衆食堂ミッキーで午餐。BGMにかかるバングルズや、ポーラ・アブドゥルのストレイト・アップにあわせ、先客の米兵たちが「oh oh oh」と間の手を入れながら口ずさんでいる。米兵は皆オリオンのジョッキを前にしていたが、作業着姿の人々も正午からオリオンを飲んでいてなんだか羨ましい。
照屋楽器店などを眺めてパークアベニューを少し歩き、中古レコード店の'69を脇に入って、バルミラ通りからアーケードの一番街に入る。アーケードの下ではアメリカ人の少女たちがワンツスリーと唱えながらステップを踏み、街をグルグルとパレードしている。アーケード街の中にあるらしいダンス教室の行進を見守る一番街のご主人たちの表情は、温かいような苦いような微妙な感じである。
ゴヤ市場を抜けると、嘉手納基地第2ゲートに連なる「ゲート通り」に出る。基地からズドンと突き抜けてくる大通りのアメリカっぷりはなかなかの見物である。少し戻って普久原楽器を訪ね、1927年創立の自社琉球民謡レーベル、マルフクレコードのカセットテープ『沖縄民謡大会1』をコザ土産にもとめる。楽器エリアでは基地のガキ連が賑やかに素見している。
国道のスーパーサンエーで自家製のサーターアンダギーや郷土菓子のタンナファクルー、ローカルパンのなかよしパンを買い込み、中の町の社交街を通って公園で小憩。暫し佇んでサーターアンダギーをつまむ。いつの間にかすっかり晴れ上がった空の下、ジャンパーを羽織った関西弁のオッチャンが半袖で歩くナイチャーを見つけ、「真夏の格好やな。さぞかし今晩は燃えるんやろな」みたいな艶笑噺でもてなしてくれた。
コザ十字路
11月22日。小雨の中、美栄橋駅から国道沿いの三笠食堂松山店まで歩いてポークたまご定食。朝っぱらなこともあって、セルフのバターをライスに投入するのは遠慮しておくが、みなさん朝からわりとガッツリいっている様子だ。食堂からそのままバスターミナルまで歩き、すぐにやってきた具志川バスターミナル行きのバスに乗車。バスが国際通りを過ぎて、泊の交差点で信号待ちしていると、安室奈美恵がレッスンをしていた元アクターズスクールの建物だと喧伝している南風というゲストハウスが見えた。
難読地名で名を馳せる勢理客辺りの渋滞を抜けて、バスはキャンプキンザーの横を過ぎる。ガラガラだった車内は宜野湾市に入ってから少しずつ混み始め、普天間基地とキャンプフォスターの間を進んでいく。キャンプフォスターの丘の斜面に並ぶ米軍住宅を見下ろし、坂を上りきって普天間の交差点を過ぎた辺りで見かけた普天間コーヒーシャープの佇まいが素晴らしい。屋宜原のA&W1号店を過ぎると、次第にプラザハウスのショッピングセンターが見えてきた。
胡屋の十字路を一旦乗り過ごし、コザの十字路まで進んで下車。真栄原に続いて壊滅状態にあるというコザ吉原の社交街跡をのんびり素見しに訪ねてみると、話は違って殲滅されている気配は微塵もない。朝の10時半過ぎから町の角々に立っている方もいるし、スナック群もドアを空けて準備万端という全くの現役ぶりである。流石に部外者が紛れ込んでしまった緊張感で少し冷や汗をかいた。
足早にコザ十字路に戻り、少し気を落ち着けて、差向いの銀天街に廻る。がらんとしたアーケードの周辺には1日千円という部屋貸の案内がやけに目立つ。1970年の黒人街の地図にあるホテルやテイラーを辿ることは難しいが、僅かにホテルプリンスと上等レストランの名前は建物の壁面に薄らと見える。温泉マークまで添えられたホテルプリンスなどは全く貴重な遺産だろう。当時の地図を見ていると、バーや売春宿の間に散見されるサンドイッチショップも、どんな雰囲気だったのだろうと想像が膨らむ。営業前のコザ琉映を周囲を一廻りして、ディープなコザ十字路周辺を後にゴヤ十字路に向かった。
Wednesday, November 26, 2014
Aランチ
美しい石壁に囲まれた琉球王国の陵墓を拝し、雄大な首里城の内郭をぐるりと廻る。守礼門からは城の南側にも足を伸ばし、金城町に残る石畳の道も歩いてみる。途中、大アカギを案内する手作りの看板が何度もあらわれるので寄り道。「ただならぬ霊気に村人が王府に願い出て拝所を置いた」と史書にある通り、気配のある大樹である。樹々に囲まれて老人が一人ひっそりベンチに座っている様もまた良い。道を戻り石畳を更に下っていく。畳敷きの集会所では小中学生が一緒になって遊んでいる。
厳しい坂道の石畳を往復して汗を流し、自販機のさんぴん茶をゴクゴクと飲む。坂を上った帰りにぜんざいで一服しようと目を付けていた甘味処が、無情にも閉店しているので、首里城のレストハウスまで戻ってシークワサーアイス。怪鳥のバリケンが屯する龍潭を抜け、芸大の間を縫って首里駅まで歩いた。
モノレールで牧志に出て、国際通りをずんずんと歩く。通りには三線を弾く客引きが並び、高良レコード店ではエレキ三線のデモを行っている。真新しい市庁舎を過ぎた辺りで道を逸れて久茂地川を渡り、ジャッキーステーキハウスへ向かう。ジャッキーステーキハウスは名前の通りステーキハウスだが、ここは沖縄名物のAランチで晩餐。サラダが別皿ということもあって、メインのプレートは雑然とした風情を醸しつつ、トンカツ、フライドチキンは勿論、海老フライまで美味い。ダイナー調の店内は、慌ただしくも居心地が良い。オリジナルTシャツは少し恥ずかしいので自重する。
腹ごなしに少し歩いて国際通りまで引返す。琉球新報のカルチャーセンターを、琉球芸能系と思われる生徒がぞろぞろと出てくる。県庁前のリウボウまで戻って、デザートにブルーシールのサトウキビアイス。これがまた極めて美味い。県庁前からはモノレールに乗込んで、おもろまちの宿に向かう。モノレールは何時乗ってもずっと混んでいる。昨日はテレビ東京の『網走番外地 南国の対決』を見て健さんを偲び、那覇では沖縄テレビの『南極物語』を見る。CMは時折いい感じにローカルだが、番組自体ローカルなものは見当たらない。途中コンビニで買ったゼブラパンは食う余裕無く終了。
首里劇場
市民病院前からモノレールに乗って隣の儀保で降り、首里城の方へと進む。街中には先週末に行われた知事選のポスターがまだ残っている。安谷川坂を南に歩いていると、細い石段の脇道が見える。谷底には閑寂とした史跡の井戸があり、しばし佇んで蚊に刺されまくる。道に戻って琉球王家御用達であったという醤油蔵を過ぎ、坂を登りきったあたりで安谷川の御獄を拝む。
安谷川坂を逸れ、続いて成人映画館の首里劇場を拝す。唐破風調の屋根に、幾重にも塗装の剥落した劇場のファサードが甚だ美しい。劇場前の医院の門前には、熟れきったラフレシアのような色をした花が、今にも腐り落ちそうになって垂れ下がっている。元を辿っていくとバナナの若い実がなっているのでつい目を疑った。幼児が遊んでいる児童所のすぐ隣で、喘ぎ声が響き渡る首里の長閑さには心和む。63年続いたフィルムでの上映を終了する首里劇場は、来月からデジタルでの上映に移行してしまう…という情報を帰京後に知り、激しく機を逸した感を噛み締める。
しむじょう
11月21日。連休前の沖縄便は全くの満席で、隣のお嬢さんがパラパラとめくっている『情報通信産業立地ガイド』のパンフがふと目について気にかかる。モノレールのフリー切符を買って空港駅のホームに出ると、日米野球のラッピングが施された車輌が止まっている。那覇では、昨日、セルラースタジアムで日米野球が行われたらしい。混雑した列車が空港駅を出て那覇基地の間を抜けていく。国際通り口の牧志でようやく車内が落ち着き、末吉宮の丘を臨む市民病院前駅で下車。甚く高所に設けられた駅のホームから眺める緑の丘は濃厚な南国であった。
各戸に鎮座するシーサーを眺めつつ、住宅街を丘の方へ歩く。霜月も下旬ながら、庭先に咲く花は鮮やかで、立派なドラゴンフルーツの実なども見える。丘の麓で森にさしかかると「ハブに注意」の札に迎えられる。昼食にと向かったしむじょうは築百五十年余の石垣に囲まれた古民家。午後も二時を過ぎてジューシーが完売し、セットメニューは終了しているので、三枚肉そばをいただく。紅く無い生姜がワイルドで美味い。畳敷きの古民家は開放的でまったく気持ちが良い。置いてあった琉球新報を畳の上で広げてみると、「金口木舌」という天声人語的なコーナーに、長寿ラジオ番組「民謡で今日拝なびら」の上原直彦氏の言葉が引かれていた。
Tuesday, November 18, 2014
Monday, November 03, 2014
阿部Q
d design travelの山形篇をパラっと見ていたら、鶴岡の阿部久書店のことが載っていた。一昨年に鶴岡を訪ねた時に、70年代の『月刊庄内散歩』と杉村春子先生の写真集を購入した書店で、昨年改築して、現在は喫茶スペースまであるとのこと。丸谷才一も鶴岡だったんですな。
Sunday, November 02, 2014
Subscribe to:
Posts (Atom)