Thursday, December 29, 2011
石見川本
川本の町は時雨。人気の無い町の中を、クリスマスソングが空しく流れている。江の川の土手から駅を眺め、駅の周りを一周してから、ポツポツと店の開く商店街を歩く。なかなか味わい深い廃屋だな、と思った「喫茶K」をじっくり鑑賞すべく横の路地へ回り込んでみると、思いがけず営業中の札が目に入った。ドアのガラス窓から、幽かに石油ストーブの火が見えたので、迷わずに誘われてみることにする。ストーブの暖かさに包まれつつ、テトリス2の卓子にてドライカレーをいただく。列車の出発の時間になると、三次からの組は誰一人欠けることなく川本駅に集合。再び三江線に乗車する。のんびり戻ってきてボックス席を逃した仙人様は、65+10リットルのドイターを背負って、川戸駅で降りていった。『天然コケッコー』の川平駅を過ぎ、三江線の終点の江津からは山陰本線で浜田。浜田から広島行きの高速バスに乗り込む前に、駅の物産店を素見すつもりが、「のどぐろ御飯売り切れ」なんて目の毒を食らう。広島からは真新しいB787にて帰京してみた。そういえば来年には宇部にもB787が就航するらしい。
Wednesday, December 28, 2011
三江線
12月17日。朝日に照らされる福山城を眼前に福山駅の8番線から福塩線に乗り込む。福山にやって来た列車はロングシートで混み合っているが、三次に向かう下りはのんびりと転換クロスシート。この日も雪まじりながら、朝日を浴びた山々は錦秋本番のように照り映えている。電車は著しく寒い。未電化の府中からはキハ120のセミクロスで、車内の温度が上がる。山間に差し掛かってからは雪模様となり、川鵜の溢れている芦田川沿いを超ゆっくり進む。列車に正対して両羽を広げている鵜は、列車と勝負をしている威勢のいいヤツなのか、はたまた何か汽車に恨みでもあるヤツなのか。山間の川沿いを、恐ろしく低速で進む福塩線の車窓が、思いのほか素晴らしい。
三次からは三江線に乗り換える。いち早くボックス席にどっかと陣取ってノートPCを広げている仙人めいた御仁は、かなり風呂を無沙汰にしているようだ。4つのボックス席に各1名と、自分を含めたロングシートの2名を乗せて、淡々と列車は進む。乗務員は研修中らしい2人連れ。地上30mにホームが浮かんでいる宇都井駅を過ぎ、そろそろ屋根が赤茶色くなってきたなと思ったら、やはり島根県に入っていた。潮から粕淵にかけて「はじめて鉄道に乗って見る地元母子の会」が突如開催され、20人ほどが殺到しては嵐のように過ぎ去って行った。三次から2時間ほど運行してきた三江線のこの列車は、石見川本にて1時間半停車する。
Tuesday, December 27, 2011
徳山
山陽本線を東に進み、徳山駅で下車。徳山港に向ってコンビナートを眺める。回天基地のある大津島へ向う船の乗り場には、人間魚雷の実物大模型が展示されている。駅の北側に廻り、銀南街のカレースタンドでコロッケカレー。マガジンラックに「Mamor」があるのは基地に近い土地故だろう。しばし商店街を散策し、古書店のマツノ書店。中也の評伝でも買うつもりだったのだが、マツノ書店さん自らが復刻出版されている『児玉陸軍大将』を買い求めた。あとは古書で、荻昌弘の『実戦的宿泊論』。瀬戸内もまだまだ雪。
徳山からは山陽本線ではなく未乗の岩徳線に乗り、岩国で山陽本線に戻って更に東へ。岩国あたりから見る車窓のコンビナートもなかなか素晴らしい。宮島口で下車し、駅前のうえのであなごめし。背後では「男一人で宮島を見にくるのが有か無か」話しあわれていて、少し感じが悪い。宮島口に寄ったので、何時か行こうと思っている広島駅前の喫茶パールは、今回もパス。福山に着いた頃には少し腹もこなれ、是非とも純喫茶ルナのプリントップをと勇んで赴くが、店頭で目に入ったサンプルのデカさにいささか胸焼けして断念する。ということで、おやつに生もみじを買って投宿した。
Monday, December 26, 2011
山口線
12月16日。駅前の宿を一歩外に出ると、やはり臭い。西日本はこの冬一番の寒さとなり、益田の駅前も雪がぱらついている。朝のスナック街をひと拝みし、キオスクで「フランス娘」という名のメロンパンを購う。留置線にはフライアッシュ及び炭酸カルシウム専用のタキ1100。通学で混み合う山陰本線を横目に、山口線のキハ47の方はがらんとしている。「フランス娘」をいただきつつ、宿で貰った地元の朝刊を広げると、一面は島根原発の話題だ。列車が津和野を過ぎて国境を越える。辺りはすっかり雪模様である。雪の中を行くディーゼルはやはり素晴らしい。
小雪が混じる山口駅で下車し、駅前を歩く。駅前通りのビルがなんだかこぞって可愛い。純喫茶コティでモーニング。山口市街はなんとか小路というのがたくさんあるので、いくつか訪ねてみたのだが、それほどでもない。「12月、山口市はクリスマス市になる。」とかいう寝惚けたポスターがそこかしこに見える。アーケード街の文榮堂書店で宮本常一の『私の日本地図 芸予の海』を購入。御堀堂の外郎は美味い。再び山口線に乗って終点の新山口駅。小郡にはずっと来たかったんだけど、新山口と言われるとどうでも良くなる。山頭火さん佇む小郡駅前はやや時雨れて行くか。あとは一応、小郡饅頭。
Sunday, December 25, 2011
仙崎
仙崎まで通しで乗る人はいない。駅を出ると竿竹屋の売り声が響き、傾きつつある陽の光も相俟って、金子みすゞの町にやってきた気がした。駅前のみすゞ通りを進み、金子みすゞの生家である書店を継いだ木村聖文堂に立ち寄る。どうしたって今年のポエムは「いいえ誰でも」なので、何かしら関連書籍でも買おうかと思っていたのに、どうしても買う気になれなくて退散してしまった。おまけに珈琲屋が定休なら、食堂も閉まっている始末で、いたたまれずに駅前に戻ってみる。次の列車まではまだしばらく時間があったが、ちょうどバスがやって来たので山陰本線の長門市駅まで乗ってみた。夕暮れの長門市駅のまわりを少し見て回り、山陰本線で益田。益田駅前は臭い。地図でみて気になっていた「キャバレー赤玉」あたりをふらりと歩いてみると、ドレッシーな女性が街を闊歩している。予定より早く投宿したので、CWCのバルサ戦をだらっと見る。
Saturday, December 24, 2011
宇部炭鉱
宇部新川から新山口行の宇部線に乗車。会社員が、巨大な設計図を開きながら大声で電話をしている。いつの間にか静かになったと思ったら、ポケット瓶のウイスキーをクイッとやり、続いてペットボトルの水を流し込んだ。宇部線を床波駅で降りて海岸沿いを歩く。海面から突き出している海底炭鉱の排気口が遠くに見える。海岸通りに面した炭鉱住宅と思われる住宅からおじいさんが出てきた。薮の奥に黒い石が積み上がっている。炭鉱の浜辺を歩くと「S60.2.16・¥141,000」とマジックで書かれたナショナル製テレビのキャビネットが転がっていた。常磐駅に辿り着いて、次の電車を待つ。ときわ公園の「蟻の城」や「Villa TORAYAN」と石炭記念館は次の機会に。新山口から山陽本線を西に厚狭まで。厚狭からは、仙崎直通の美祢線で北上する。崖や川沿いでかなりの徐行をするのは、復旧に一年あまりを要した昨年の洪水のせいだろう。美祢線は、二級河川ながら深緑色の厚狭川沿いなのもいいし、秋吉台や湯本温泉もあるのだから、定期的な観光列車があってもいいのにと思う。秋吉台の美祢駅で少し乗客が減り、重安のセメント工場を過ぎてから、少し屋根が赤くなってきた。残ったおばさん連は湯本温泉で降りていった。
Friday, December 23, 2011
宇部
12月15日。閑散とした早朝の飛行機は、強い向い風のため、僅かに遅れて宇部空港に着いた。路線バスですぐの宇部新川に出てからは、駅周辺の飲み屋街をブラブラとひとしきり次の小野田線の出発まで時間を潰す。スナック街の谷間からは宇部興産の煙突がのぞき、そこから煙の白くたなびく様が詩情溢れることこの上ない。工業地帯を行く小野田線は、小野田港あたりの車窓が甚だ素晴らしい。小野田駅の観光案内の看板には、周辺の雀田駅の名物として、クモハ42を描いたものが残されている。小野田駅からは山陽線で宇部駅に出て宇部線に乗り、再び宇部新川駅へ戻る。
そろそろ昼時だというのに、アーケードの銀天街はあまりにも薄寂しい。これでは当たりを付けていた食堂もやっていないだろうと、歩みをゆるめて商店街をゆっくり進む。アーケードを抜けて、いよいよ寂寥としてきた辺りで辿り着いた食堂は意外にも暖簾が下がっていた。ただし、まだ準備中の風情でもあるので、やっているのか尋ねてみる。どうも肯定はしているようなのだが、おかみさんが何と言っているのか全くわからない。何となく興奮したやりとりが落ち着いてみると、自分を親類のなんとかちゃんの彼氏と見間違えたらしいことがわかった。ご近所さんらしい婆ちゃんも一緒になり、ビールジョッキ片手に「よう似とる」とひたすら繰り返す。昨日倒れたとか言いながらビールを飲んでる婆ちゃんを少したしなめると、「仕事中じゃなければあんたにも一杯おごっちゃるのに」と一向に気にしない。おかみさんは注文したヤキメシを焼く間中もずっと「よう似とる人がおるもんじゃのう」と一人ごち続けているので何だかコワイが、おそらく善く善く似ているのだろう。ついつい話の流れでU興産の人ということになり、今度は飲みにきますということになってしまった。
Tuesday, November 01, 2011
People Take Pictures Of Each Other
ほんとにもうやんなちゃった。何度目かの『フラガール』の最後のフラシーンを見ながら、おととい見た『秋刀魚の味』の岸田今日子の軍艦マーチの敬礼ぶりとか、佐田啓二と岡田茉莉子の団地はやっぱり52C型ですかねとか、中村伸郎たまらんですなとか、話していたであろうことがありすぎるんだよなと。なんたってTV Bros.で平民さんが連載する時代ですよ。
Thursday, October 06, 2011
Wednesday, September 28, 2011
竪坑櫓
門司港から鹿児島本線快速で香椎、香椎からは香椎線に乗換えて酒殿へ。田園地帯の真ん中にぽつんと佇む酒殿駅から、田んぼの向こうのボタ山を目指し、かつての勝田線を辿って志免炭鉱へ向う。ボタ山を回り込むとあの竪坑櫓が現れた。聳え立つコンクリートの遺跡はホーシツクツクのサンクチュアリだった。志免駅跡の公園を抜けたところでどうにも気になった素敵な商店は、郷ひろみの親戚がやってる饅頭屋さんだったそうで、ひろみの焼き印が入った饅頭を買い損なったことを後で知る。大正町の商店街を抜け、素晴らしい店構えの三洋軒支店にてワンタン麺。引き戸や椅子をミリ単位な感じで几帳面に直す店主氏もなんか堪らない。志免からは路線バスで福岡空港へ。博多の森で試合があるらしく、周辺が少し渋滞している。散々疲れても夜のフライトとリムジンバスは窓から目が離せないから困りものだ。
Tuesday, September 27, 2011
旦過市場
9月10日。朝の京町を軽く流し、防空監視哨の残るワシントンビルの姿に見とれながら旦過市場へ。マーケットの活気溢れる混沌ぶりが何とも凄まじい。マーケット横の小倉昭和舘では、夏の名画特集に高峰秀子2本立と松本清張2本立などを上映している。旦過からモノレールに乗り、眼下にマーケットを見下ろして、小倉駅に戻る。小倉からは鹿児島本線で門司港へ。門司港の駅は想像していた以上に荘厳で、素晴らしい頭端式のターミナル駅だ。駅前で、ごぼ天うどんを啜り、中央市場の方へ歩く。裏通りにひっそりと佇むカフェー街跡の一角が甚だ趣深い。カプセル怪獣のウインダムを思い起こさせる入口の中央市場もまたなかなか麗しかった。気になっていた都食堂では、おばちゃんに「ちゃんらーあるよ」と声をかけてもらったものの、うどんを食ったばかりなので「また来ます」とか適当なことを言ってしまう。せっかくだし、麺をもう一杯ぐらいなら食えたかもなぁと後悔したりする。栄町銀天街あたりをふらふらし、甘味処の梅月にて小憩。雪ミルク氷で涼みつつ、おじさま達皆が頼む焼きそばが大いに気になる。
Monday, September 26, 2011
伊田
日田彦山線を後藤寺で乗り継いで田川伊田で下車すると、プラットホームからも「さぞやお月さん煙たかろ」と唄われた三井炭坑の二本の煙突が見える。改札を外に出ると、先日世界記憶遺産に選定された山本作兵衛を祝す断幕が張られていた。伊田の素敵な商店街をぐるぐると徘徊し、かつて駅の西部に広がっていた松原の炭鉱住宅跡を訪れる。6月末の新聞記事では「昨年20棟が解体されて14棟が残り、12年度までに事業を終える計画」との話だったが、純粋な住宅跡はもう最後の1棟を残すのみ。既に建て変わった団地を背に広大な空き地にはトンボばかりが舞っていた。しばし佇んでは気を取り直し、煙突を目印に石炭記念公園へ。公園内にある石炭歴史博物館には、一昨年に目黒美術館の炭坑展でも見た山本作兵衛作の絵画が所蔵されていて、晴れて世界記憶遺産に選定された作品に再び見えることとなった。「斜坑」という店名に惹かれて訪ねた蕎麦屋は残念ながら売切御免ということだったので、駅に近い喫茶店でホットサンドを軽くつまんだ。
伊田からは日田彦山線で終点の小倉まで。小倉へは2年ぶりで、前回うろついていて気になった鳥町食堂街の赤ちゃん食堂に赴き、焼うどんなどを食す。カウンターでプラスチックの総菜パックをつまみにビールを召し上がっている「お父さん」が、店内のテレビで流れるパンチパーマ発祥の地は小倉という話題に緩く突っ込んでいる。「お父さん」は軽く注意されながらも、第二ラウンドに出かけて行った。ちなみに焼うどんも小倉発祥とされるものの一つ。食後は京町あたりを素見そうかと思ったものの、かなり本気の町並みを前に弱気の虫が出て適当に切り上げる。小倉名画座は相変わらず健在。
伊田からは日田彦山線で終点の小倉まで。小倉へは2年ぶりで、前回うろついていて気になった鳥町食堂街の赤ちゃん食堂に赴き、焼うどんなどを食す。カウンターでプラスチックの総菜パックをつまみにビールを召し上がっている「お父さん」が、店内のテレビで流れるパンチパーマ発祥の地は小倉という話題に緩く突っ込んでいる。「お父さん」は軽く注意されながらも、第二ラウンドに出かけて行った。ちなみに焼うどんも小倉発祥とされるものの一つ。食後は京町あたりを素見そうかと思ったものの、かなり本気の町並みを前に弱気の虫が出て適当に切り上げる。小倉名画座は相変わらず健在。
Sunday, September 25, 2011
夜明
9月9日。朝の温泉街を軽く散策しながら駅に向うと、ちょうど特急があったので鳥栖まで乗ってしまった。鳥栖駅では、念願だった中央軒の名物かしわうどんを朝食にいただく。駅前の中央市場は期待通りに物寂びて素敵な佇まいを湛えていたものの、目当ての八起キャンデーは優雅に不定休。旭店ならやっていたのだろうかと、後で気付いて少し悔やむ。鳥栖から鹿児島本線を2駅だけ南へ移動して久留米、久留米からは久大本線に乗換えて東へ。購入しておいた鳥栖駅のもう一つの名物だと言う焼麦(しゃおまい)はまずい。唐突な河童駅舎の田主丸駅を過ぎ、乗換の夜明駅で下車。夜明駅は開業以来の木造駅舎を昨年改築してしまったらしく、駅舎の味わいは全く欠いているものの、山間で路線分岐する駅の風情が素晴らしい。ここからは日田彦山線に乗り込み、今度は北に向う。
Saturday, September 24, 2011
唐人屋敷
観光通りからは、中華街を抜けて唐人屋敷通りへ。マーケットから続く丸金温泉の路地の本場さながらな中華風情には思わず唸らされる。市民病院前から再び市電に乗って次は大浦の方へ向かう。ここまでかなり歩いていたので、天主堂の丘には向わず、大浦の崖下のマーケットを少し歩く。蓬萊市場は残念ながら業者の下見が入っているような段階で、もはや風前の灯火のようだ。オランダ坂は登坂口からいきなり20%の激坂だったので断念し、市電を折返し賑橋まで戻る。中島川沿いを進み、眼鏡橋を通ってカステラの松翁軒。会計を済ませた後、受け取りを待つ間にいただく冷茶がなんとも美味い。市電で長崎駅に戻り、駅弁と五島のかんころ餅など求めて、佐世保行きの快速シーサイドライナーで長崎を後にした。大村線を行くシーサードライナーは大村湾に沿って進む路線。ちょうど日没の時刻にかかり、大村湾に沈む夕陽が美しい。早岐からは佐世保線に乗り換えて武雄温泉へ。長崎で適当に買ったかしわめしの駅弁もなかなか美味い。
武雄温泉駅は新幹線長崎ルートの開業に備えて随分立派な建物になっているが、駅前には特に何も無いので、少し離れた温泉街までふらふらと歩く。県道から温泉街へ入ると、風俗店がポツポツ並ぶ先に、夜間照明に浮かぶ楼門が見えた。辰野金吾による国重要文化財の楼門は、手狭な一等地に大衆食堂が紛れ込んでいるどさくさ感もまた素晴らしい。楼門と同じく重文の新館をざっと見て、門前の旅館白さぎ荘に投宿。こちらは遊郭跡の見事な風情を残している旅館で、あわせて重文指定したいぐらいの素晴らしい物件である。一服してから、武雄温泉本館の元湯へ。湯上がりには、やはりブラックモンブラン(佐賀のアイスバー)をいただかない訳にはいくまい。
武雄温泉駅は新幹線長崎ルートの開業に備えて随分立派な建物になっているが、駅前には特に何も無いので、少し離れた温泉街までふらふらと歩く。県道から温泉街へ入ると、風俗店がポツポツ並ぶ先に、夜間照明に浮かぶ楼門が見えた。辰野金吾による国重要文化財の楼門は、手狭な一等地に大衆食堂が紛れ込んでいるどさくさ感もまた素晴らしい。楼門と同じく重文の新館をざっと見て、門前の旅館白さぎ荘に投宿。こちらは遊郭跡の見事な風情を残している旅館で、あわせて重文指定したいぐらいの素晴らしい物件である。一服してから、武雄温泉本館の元湯へ。湯上がりには、やはりブラックモンブラン(佐賀のアイスバー)をいただかない訳にはいくまい。
Friday, September 23, 2011
丸山町
9月8日。台風の間隙を縫って長崎へ。幼い頃に長崎に来た時は、熊本の三角から雲仙を回って長崎に入り、寝台特急「あかつき」を神戸で降りて墓参してから新幹線で帰った。長いこと、寝台の「さくら」で長崎に行くのにも憧れていたが、上空から見下ろす長崎の島々もたまらない。空港からバスで長崎駅に出て、まずは恵美須町の大黒市場をうろつく。来年3月で移転する予定のマーケットは、閉まったシャッターに移転や閉店を告げる張り紙も目立つが、市場の人々のいい顔写真展のギャラリーにもなっている。長崎駅前からは市電に乗って思案橋へ。ツル茶んのトルコライスで腹拵えし、花街の丸山町あたりを散策。歓楽街の中に佇む銅座市場がまた素晴らしい。入り組んだ路地の奥で、爺さんに可愛がられている猫としばしフォトセッション。一頻り丸山町を廻ってからはアーケード街の喫茶店サンウミノで少憩。フルーツサンドとミルクセーキ。ウミノのロゴをデザインした日本で五本の指に入るデザイナーって誰だろう。
Saturday, July 23, 2011
夕霧楼
9日。宿を出て清水寺に近づいていくと、想像以上の修学旅行っぷりに、遥か手前で撤退した。バスに乗り込み四条大宮で下車。千本通りを北上する。実物のカフェーの鑑札は初めて見た。二条の喫茶チロルで小憩していると、常連らしい客が「蚊がおるからベープ持って来い」といって店主を困らせている。さらに北上して、夕霧楼の五番町あたりをふらつき、映画館の千本日活を拝む。今出川に辿り着く頃にはかなり消耗して、喫茶静香に逃げ込んだ。冷たい飲み物を摂るのに必死だったけど、やはりホットケーキも食えば良かったかなとは今さら。最終的に、目標にしていた船岡温泉、かざりやに辿り着くことなく、バスで京都駅に引き返す。最後に駅で軽く鱧素麺をすすって帰路についた。『つくられた桂離宮神話』はまた後日読もう。
Friday, July 22, 2011
桂離宮
8日。四条のイノダで珈琲をすすり、京都駅に出てからバスで桂へ。見学の前に中村軒にて麦代餅で小憩。桂川から臨む東の空が広い。がっかりしても良いなどと、失礼かつ卑怯な態度で挑んだ桂離宮は、思いのほか楽しむ。終始やんごとない調子で進行した離宮案内は、完成された「暑い京都」ネタで締めくくられた。灼熱の離宮見学を終え、再び訪れた中村軒でいただくいちご氷がまた激しく美味い。
阪急の桂駅までだらだら歩き、駅前の大阪王将で軽く腹ごしらえ。嵐山駅に出てからはバスで愛宕山に登り、愛宕、化野の念仏寺を巡って嵯峨野に下る。四条から三条をふらふら歩き、寺町通の食堂の常盤できつね丼。きつね丼はレパートリーに追加しようと思う。夜食に中村軒で買い込んだ菓子をいただくと、ことごとく美味でたじろいだ。
Thursday, July 21, 2011
コロナ
7月7日。震災に消えてなくなる街を目の当たりにして、ずっと先延ばしにしていた京都の離宮を見に行くことにした。個人的にはもっと喪失が差し迫った貴重な物件もあるものの、いい加減見たいと言い続けるのがどうにも白々しい気がする件なので、とにかく行って来た。ゆっくり家を出て、京都に着いたのは午後1時過ぎ。大雨の中、どうしたものかとたじろぎつつ、まずは高山寺に向かった。雨の栂尾山中には蟹や蛙が跳梁し、国宝の石水院では、模本の鳥獣戯画の上を蟻がうろついている。梅雨に濡れる山梔子が瑞々しい。
三条から夕暮れの先斗町を抜け、四条河原町の洋食コロナで念願の玉子サンドをいただく。残念ながらビフカツの方は無く、ピースカツをつまんだ。これも美味い。宿から目と鼻の先ながら、昨冬の一斉検挙で営業再開の見通しのたたない五条楽園には足を伸ばさなかった。ついでに林商店の焼き芋も買えず、百貨店でもとめたおばんざいを夜食に貪る。
Tuesday, May 31, 2011
武生
22日。大雨の中、宿を出て福井駅へ。福井駅に来るといつも大雨な気がする。柴田神社の近くに良い路地があったが、激しく見張られているのでするっと。JR福井駅では土産屋だけ物色して、福井鉄道の土日フリー切符で武生に向かう。家久駅と北府駅に途中下車し、味わい深い駅舎でしばし佇んでから、終点の越前武生駅。すっかり雨は上がったので、武生の町をずんずん歩く。素晴らしい町並。再び手強い見張りにあいながらも、さんざん歩き回った。歩き疲れたところで、池上遼一画伯のポスターも力強いポルガライスで腹ごしらえする。食堂のご主人には、どうしても福井を観光していることが腑に落ちないようなので、金沢に来たついでと言うと、なんとか納得してもらえた。JRの武生駅からはサンダーバードで京都に戻る。京都タワーで喫茶。例によって泉仙で弁当を買って帰るのだった。
鯖江
小浜線は海岸からは少し離れて走っており、三方五湖がちらっとだけ見えた。この日は福井に泊まる予定で、その前に三国に向かうか、越美北線に乗りに行くか迷ったものの、途中の鯖江でだらっとすることにする。鯖江といえば、やはりメガネ会館。ショップでは何故わざわざこんなところにやってきたのか問いつめられながらも、増永眼鏡などをしつこく物色する。なぜか泰八郎謹製はない。鯖江駅の東にポツンとあるメガネ会館を後にしてからは、駅西側の中心街をぶらつく。軍隊堅ぱんで有名なヨーロッパンでいろいろ買い込んだが、どれも美味かった。福井鉄道の西鯖江駅まで辿り着いたので、そのまま路面電車の福武線で福井に向かうことにする。正面に北陸本線からも見えるあの眼鏡看板があらわれた。あの山は文殊山というそうだ。福井市の中心街の市役所前駅で下車し、ヨーロッパ軒でソースカツ丼をいただく。片町の歓楽街を少し素見して、片町の安宿に投宿。
Monday, May 30, 2011
小浜
21日。宿を出てぶらぶら歩きながら小浜港に向かう。立ち寄った福井の町では、どこも良い長屋が残っているのが羨ましい。小浜港からは蘇洞門めぐりの遊覧船に乗船。海から大飯原発を眺められるのが魅力だった蘇洞門めぐりだったが、思いがけず上陸できた蘇洞門自体も堪能した。ちなみにWikipediaによると「備考:高岡早紀の写真集のロケ地である」とのこと。下船してからは町の西側に広がる遊郭街跡の三丁町へ。途中、尾崎放哉が寺男をしていた常高寺に伺う。放哉がやってきた時には荒れ果てていたという常高寺は、今や浅井家三姉妹水川あさみの寺として賑やかにやっている。西組の三丁町をぐるりとするが、伝建地区はやはりどうしてもそこそこ感を免れず。駅前の食堂で食べたぐじの一夜干しは美味かった。
Sunday, May 29, 2011
波影
20日。本年度も素早く神戸の墓参を済ませて旅に出る。ただ、墓参後の寄り道に気を取られ過ぎて、墓参に重みに欠くきらいがある点は少し戒めたい。神戸から京都に戻って真新しい287系の特急まいづるに乗車し、今年は若狭へ向かう。京都から山陰線に乗るのは恐らく初めてで、梅小路の機関庫や映画村などが見えるのに興奮する。東舞鶴からは小浜線で若狭路へ。若狭湾が見え始めると、湾岸の道路には原発を指し示す行先表示が見えてきた。湾内にぽっこり浮かぶ蒼島を過ぎ、ほどなく小浜駅に到着。大河ドラマ『江』で小浜藩の京極家に嫁ぐ水川あさみと朝ドラの『ちりとてちん』のポスターに囲まれる商店街を、この日の宿である老舗料理旅館の福喜まで歩く。商店街ではオバマの痕跡に遭遇しなかったものの、宿の茶菓子はやはりオバマ饅頭であった。夕飯に鱈腹のご馳走をいただいて身動きができず、『越前竹人形』を読みながらごろごろと過ごす。
Friday, April 29, 2011
松本
16日。震災直後で中央線が動いていなかったために止む無く断念した松本探訪をしつこくやり遂げる。震災でキャンセルした浅間温泉の宿は、何だか遣り取りに手応えがなかったので、温泉を日帰りで済ませ、宿は市街の中心にとったところ、「当然、夜桜は見ますよね」という感じでホテルのフロントに押し出され、煌煌と照らし出された松本城に伺う。ということで、奇しくも春高楼の花の宴もたけなわの松本となった。翌朝、城下のホテルは登城券も廉価で手配してくれたが、満開の桜の城は入城もままならず。あずさに乗ったのは小学生の頃に友人と二人で八王子まで乗った時の「そんなところまでは特急なんかに乗りなさんな」とみどりの窓口で説教されて以来だった。
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