Wednesday, October 30, 2013

潮騒



お茶の水駅から歩いて、遅めの昼に神田まつやでカレー南蛮。神保町を軽く素見してから、目白通りを飯田橋へ出て、神楽坂を少し歩く。銀嶺ホールでは『きっとうまくいく』の入場にほんの少し行列ができている。一方、3時過ぎに主婦の皆様が何に大行列してるのかと思ったら「俺のフレンチ神楽坂店」であった。市ヶ谷の方に下っていって、ふと目についた蕎麦屋の屋号が「潮騒」で、当地でそれは些かマズイのでは、とつい心配してしまう。

市ヶ谷から四ッ谷まで足を伸ばし、ロンでアイスコーヒー。再び歩き出して、荒木町の方を少し回ってから新宿通りに戻ると、通りの向いにオーベルジーヌが見える。味の印象までは残っていないのものの、20年ぐらい前に連れて行ってもらったここらのカレー屋は、オーベルジーヌだったのだろうかと考えていたところで、場所の唐突感からしても、確かにここに違いないと確信した。ちなみに欧風カレーの名店とされるオーベルジーヌも、いつからか宅配専門になってしまったようである。

御苑の脇を通り新宿の方へ歩いていると、遊歩道を歩いている途中で閉門の時間となる。新宿に出たが、気分がいいのでもう少し歩いてから、中央線に乗って帰った。

Sunday, October 27, 2013

帰途



26日の朝に高松を出たのは6時だから、いしづち36号が高松に到着した24時までには、18時間をかけて列車移動したとも言える。なんだかすっかり疲れてしまい、いささか緊張し過ぎたこともあったのか、胃がむかついて少し寒気もする。列車の中からとった宿に真直ぐ投宿すると、荷も解かずにベッドにつくが、ほどなくして、腹をひどく壊し目を覚ましてしまうという有様であった。

明けて27日。朝早い便などにするんでは無かったと思いつつ、重い体を起こす。うどんさえ食べる気にもなれず、流動食とオレンジジュースで辛うじて動き、空港に向う。天候はこの上なく清々しく、高松港には船を待つ人が並んでいる。さぞかし瀬戸内ではアート日和なことだろう。羽田行の便は問題なく離陸して、雲上では機影にきれいに暈がかかっているのが見えた。高松からの飛行機は予定より早く羽田に到着した。

Saturday, October 26, 2013

四万十川



予土線の列車は2両編成ながら、後部車輌は利用者のいない自転車専用。普通客の車輌は海洋堂ホビートレインという車輌で、微妙なフィギュア陳列棚が添え付けられている。窪川を出るとすぐに列車は四万十川に添って進む。台風に襲われて濁った清流四万十川であったが、濁ってもまたミドリではある。沈下している沈下橋もまたちょっとした見物ではあった。途中、トロッコ列車と交換するところで、折返し乗込んできた車内販売は、この夏に最高気温の記録を叩きだした江川崎で降りてゆき、変わりに自転車車輌にが4人ほどの利用客が現れる。小腹が減ったので高知のリンデルで買ったクリームチーズパンのナポリをむさぼると、これが妙に美味い。

15時半に予土線は終点宇和島に到着し、懐かしい宇和島駅前をほんの少しぶらりとする。丸亀の宇和島駅から流れ流れ、正真正銘の宇和島駅でもゆっくりしていきたかったのだが、帰りの飛行機の時間もあるので、すぐに特急に乗込まなくてはならない。宇和島から松山へは特急の宇和海で1時間半ほど。ここに来る途中の列車では、もう柿がずいぶん実ってるなと思いながら移動していたが、伊予では流石に斜面の遥か上までミカンが生っている。

不安であった台風をやり過ごし、なんとか列車は松山まで辿り着いた。もう何かするのも面倒なので、早めに空港に行ってチェックインし、ロビーでゆっくりと出発を待つ。今回、松山は見れなかったけど、これはこれで良かったのかもなと思いながら、ざわつくロビーに響くアナウンスを聞いてみると、なんだかセスナが滑走路上で動けなくなり、この後の見込みが全くつかないとのこと。復旧の淡い期待を余所に、結局その後の便は全便欠航となり、明日の便に振替るため行列に並ぶ。振替は高松でも良いとのことなので、全く宿に空きが見当たらない松山を離れ、高松に向うことにする。松山駅に向うタクシーの運転手さんによれば、明日は相撲もあるので混んでいるんだとのことであった。

土佐久礼



久礼駅には10時半過ぎに到着。台風一過の虫干しにはためく漁師町を歩く。まず浜に出て階段に腰をおろすと、めざとくカモを見つけた白灰のネコが擦り寄ってくる。甚だホカホカしていて気持ちいいので、グリグリザクザクと少しだけご奉仕させていただく。大正町の市場を歩き、鰹のたたきとくじら皮の煮付けを見繕って定食。たたきもいいが、煮付けがなんとも堪らない味わいだ。マーケットの外の菓子店では、端正なかつお最中といかにも手作りのあんドーナツを購う。注文してから、その場で砂糖をまぶしてくれる段取りには、どうにも魅了されざるをえない。

丘よりの商店街を歩いていると、正午のサイレンとチャイムが同時にけたたましく鳴り響くので、そろそろ駅の方へ戻ることにした。駅前通りの葬儀屋前に出ている屋台の玉子焼も、子供たちが出来上がるのを待ち構えているのを見ると、きっと侮れないものなのだろう。そうはまた来ることが出来ないだろうと思っていた久礼の町だが、通る機会があれば、是非とも立ち寄っていきたい町となった。そういえば、久礼にはまだ他にも名物のイチゴがあるのだ。



土讃線の次は南風の3号。予土線へ乗継ぐ窪川までは15分ほどである。窪川での乗継ぎも少し時間があるので、こちらの駅の回りも歩いてみる。小半時ばかりの時間であったが、窪川の街並もなかなか素敵で、異色茶房淳とコーヒーショップ田園が向かいあって覇を競い、脇をタナベベーカリーと若者のカスバYOUNGで固めた一角は相当のものであった。次来るときは淳と田園をハシゴする時間を確保して来ようと思う。

吉野川



10月26日。本来、前日に乗る予定にしていたルートの復旧に望みをかけて、5時過ぎに起床。果たしてJR四国は全線滞り無く動いている。早速、高松駅に馳せ参じ、6時の特急で高知に向う。特急のしまんと1号は秘境駅の坪尻駅を瞬間で通過していく。土讃線が徳島に至ると、列車は吉野川の激流に沿って進んだ。

高松から2時間あまりで列車は高知駅に到着。次の特急が出発するまでの間だけ高知を歩くことにして、市電をはりまや橋まで乗車する。往年のオスロ市電やリスボン市電の車輌も活躍する土佐電だが、乗車した年代物の車輌を調べてみると元名鉄の590形だそうだ。電停を降りてから、帯屋町の飲屋街を軽く流し、暫時高知城を見上げて駅の方に引き返す。すっかり青空の広がった南国高知もキンモクセイの真盛りだ。高知名物だという帽子パン発祥の店でパンを購い、台風に備えて休業したあたご劇場を過ぎる。11月には成瀬巳喜男の4本立てが500円で上映されるようでなんとも羨ましい。

高知駅に戻って、物産店で久保田の苺アイスフロートを購入。ついでにエチオピア饅頭を探してみたが見つからない。急ぎ足で高知を1時間半ばかり歩いた後は、中村行の特急南風1号を土佐久礼まで。高知駅の発車メロディーはアンパンマンである。車内でアイスをいただいてから、エチオピア饅頭って空港とか駅でも買えたよなと思って調べてみると、残念ながら今年の5月31日をもって閉店していた。伊野を過ぎて仁淀川を見ると、大変な水位だ。切符拝見の車掌さんに「朝(しまんと1号に)乗ってましたよね」と声をかけられた。

Friday, October 25, 2013

皇帝



台風で乱れた交通機関はまだまだ復旧の気配を見せず、どうにも気も漫ろなまま、次は香川県立ミュージアムへと向かう。企画展の「たのしむ日本美術」は、東京のサントリー美術館コレクションということで、四国で見るものとしてはあまりありがたくはない気もするが、光琳が絵を付けた錆絵雪景富士図角皿など、乾山はやはりいいなと思わされる。汁注に使われる絵付の緑がまた何ともいい。展示室を屏風絵に移ってだらだらと歩き見ていると、老婆が一歩毎にオナラをしながら後ろを迫って来る。これは背後に回るわけにはなるまいと早歩きになる。威勢のいい老婆の行進はなかなか止まるところを知らず、しばし展示室を外してから、ゆっくりと英一蝶の吉原風俗図鑑を観た。ただし、場内の空気に心なしか違和感が残る。常設には、ハイレッドセンターの高松次郎の作品があって、へぇと思うが、高松と特に縁は無さそうなので、そのダジャレ感に尚更好感を抱いた。

16時を過ぎ、鉄道もバスも復旧しないので、この日は高松で台風をやり過ごすことにする。瓦町あたりの宿をとって、少しく憔悴しながら高松中央商店街を歩いていると、皇帝という素敵な感じのコーヒーサロンがあるので、人心地つけることにした。その後、予讃線は徐々に復旧していったが、あまり遅くまで混んだ列車に乗りたくもないので、改めて高松でゆっくりして行くことを心に決める。高松の巨大なアーケード商店街をそぞろ歩き、宮脇書店の本店に入る。せっかくなので、当地ならではの本を探すのだが、饂飩ばっかりでどうも引っかかるものがない。

投宿して羽を伸ばした後、瓦町駅前の「洋食おなじみ」にて美味いメンチカツ。食堂のテレビに流れていたニュースでは、天満屋が四国を撤退するという話。ということで、食後に天満屋を軽く覗いてみる。昭和38年から発売されているという名物かまどの菓子「フランソワ」が、その名も「かまどパイ」と改名したそうで、ここはひとつ貰って行くことにする。商店街に戻り、お客様わくわくデーのスーパーマルナカで、いくつかローカル食を物色。蠣三珈琲のドリップパックなんてものを見つけ、宿に帰った。

城の眼



10月25日。夜のうちにスピードを上げた台風が四国を過ぎ去って土讃線が甦る…、という奇蹟に備えて早起きしてみるものの、それどころかますます足取りを重くした台風は、予讃線まで止めてしまった。こうなってみると全く甘い見当であったが、瀬戸内側の鉄道が止まることは想定しておらず、しょうがないので高速バスで行こうと思いきや、道路までも通行止めという状況である。丸亀から少しでも松山方面に進むべきか悩んだが、進退窮まった時のことを考え、まだ予讃線が生きている反対方向の高松へ向うことにする。

高松駅2階のUCCで、一人モーニングにありつきながら、階下のコンコースを眺めていると、ダイヤが乱れて困惑する乗客を、テレビのカメラが追いかけている。高速バスの方はといえば、運休の判断を先延ばしにして様子を伺っているので、なかなかターミナルを離れるに忍びない。それでも、やはりすぐには復旧しないと思われるので、一縷の望みを託して夕方の便を予約し、しばし高松市内をぶらつくことにした。

早速、高松市美術館まで出向いてみると、この日は明日からの展示替えに備えて、付属の図書室があいてるだけの開店休業状態。来るコンテンポラリーアート・アニュアル展はなかなか面白そうな展覧会ではあるのだが、自分には縁が無かったのだろう。ただ、美術館通りに、以前から気になっていた喫茶店の「城の眼」が目に入ったので、こちらだけでもと寄って行くことにする。ガランとした正午前の喫茶店に入店し、無難にランチセットのカレーを注文する。すぐに正午を過ぎて入ってくる常連さんは、「焼き…そば」とか「焼き…メシ」みたいな感じで注文しているので、とりあえず「焼き…」が基本であったようだ。確かになんとも美味そうに鉄板がジュージューいっている。

Thursday, October 24, 2013

宇和島駅



丸亀には正午前に着いたので、混合う前の麺処綿谷に駆け込んで、肉ぶっかけを堪能する。そのまま丸亀駅北側の新堀遊廓、福島遊廓あたりを歩き、わずかに残るカフェー跡などを目にしつつ、一寸島神社のバラック参道に拝す。廃業した旅館に残された看板が、商人宿であることを明記しているのを見るのは少し嬉しい。こちらではようやく金木犀の季節がやってきたようで、そこら中で甘い香りが立ち込めている。

そろそろ丸亀にも雨雲がやってきたようなので、この旅の目的である大竹伸朗展ニューニューを観に猪熊弦一郎現代美術館へ向う。まず目に入るのは、何はともかく宇和島駅のネオンサイン。谷口吉生による開放されたファサード上部に、堂々と突き出る様は、なんとも言えず凛々しい。これだけ駅前広場に面している美術館というのも、そうは望めない絶好のロケーションだろう。館内ではどのインスタレーションも音がたまらないのだが、エレベーターミュージックで奏でられる「こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ」には、思わず脳がとろけそうになった。また、同時にライブラリーで公開していた選りすぐりの奇書にはコンディションが良くて感心させられる。自分が持っているものも一冊だけ、クラムの画集があった。

美術館はカフェの評判もいいようなのだが、気になっていた「名物かまど」喫茶部にて小憩する。こちらは和洋菓子店併設の喫茶部ではあるものの、なんだか妙に落ち着く喫茶室であった。一休みしてからはシャッターの閉まりがちな南口の商店街を少し歩く。商店が途切れたところで丸亀城。日本一高い石垣ということで、わざわざそんなもんには登らなくていいと思っていたのだが、麓に来てみると、あまりに馬鹿馬鹿しいぐらい高い上、ゾンコランかアングリルかというような阿呆らしい斜度を前に、ついつい登りだしてしまった。さらにこちらも阿呆なものだから、高いところにのぼるとやはり気持ちいい。本島や瀬戸大橋がすぐそこに見える。



ひとしきり駅周辺を歩いたところで、投宿して日没に備える。腹も減っていたが、5時まで粘り、ホテル側の中華屋で麻婆定食。店内はチャイニーズポップが流れ、チャイナの兄さんが一人で切盛りしている。18時までのランチで490円也。なかなか山椒のきいた麻婆である。暗くなってきた頃合を見て、駅前まで宇和島駅のネオンを見るため、店を出た。薄暮に煌めく宇和島駅、闇に浮かぶ宇和島駅のどちらも甚だ素晴らしい。駅前に出たついでにスーパーとキオスクを回ったが、目ぼしいローカル食は見当たらず。愛媛のらくれんカフェオレなどを購い宿に戻る。

部屋でゴロゴロしながら美術館で貰った『丸亀御案内写真帖』を開いてみると、何故か写真が沼田元気氏によるもの。いささか唐突な趣味だなという気もしつつ、微妙なモデルの微妙な感じがちょっといい。明日は土讃線から予土線と回って松山に行くつもりだったが、予想通り進んできた台風のことを考えると、無理せず予讃線で松山に直行するべきなのだろう。次第に雨音は激しくなってきた。

讃岐平野



10月24日。台風27号は四国に真直ぐ進みつつあり、並んで28号も北上している。大陸からは寒冷渦までが睨みをきかせるという三竦みのせいで、台風の動きは鈍く、列島はつかの間の平穏を見せているが、嵐の前の静けさもまたそれで怖い。羽田空港など全く平穏なもので、高松行の飛行機も予定通り出発した。離陸時のBGMはアンコーさんのオールナイトニッポンクラシクスでヴァンヘイレンのユーリアリーガットミーであった。

滞り無く飛行機は四国に到達すると、雨もまだ降っていない。空港からはバスでことでんの空港通り駅に出て、琴平線で琴平へ向う。通学時間も過ぎたのか車内はガランと静まりかえり、網棚からぶらさがったイルカのマスコット「ことちゃん」が、饂飩を啜りながらぶらぶら揺れている。沿線は黒々とした立派な瓦屋根の家が続き、中にはもの凄い鯱瓦の豪邸も見える。おもむろにぽっこり膨らむ山がなんとも讃岐平野の風景だ。結構な乗客が降りて行った滝宮駅にはなかなか古そうな駅舎が見える。

琴平駅を降りて、金倉川沿いの長閑な特殊浴場街を抜け、こんぴらさんの参道を少し素見す。小雨が降ってきたこともあり、1368段の階段は入口だけで戻る。参道では、本家とらや旅館の旅籠っぷりが甚だ素晴らしい。現在、うどん屋として営業しているとらやは、中もうかがうことができるが、うどんは丸亀までとっておくことにした。琴平からは、赤い屋根の古い洋風駅舎のJR琴平駅から、土讃線の高松行で丸亀へ。土讃線も高知より先では、既に大雨で運転を見合わせはじめているようだ。

Monday, October 21, 2013

両国橋



神田駅から日本橋の方へ中央通りを進み、本町あたりから昭和通りとの間の道に移って更に歩みを進めていると、井上有一の書なんかを展示をしている画廊があった。そのまま日本橋川まで歩き、先日様子を伺っただけでは気が済まなくなってしまった小網町の桃乳舎へ5年振りに伺って、遅い昼食にカツカレー。桃乳舎は2時を過ぎてもポツポツと途切れずに客が入ってくる。ベテランの方や女性はゴハン少なめにするようなので、できれば次に来る時まで覚えておこうと思う。この辺でヘッドホンやイヤホンの人ということは市況でも聞いているのだろうか。



水天宮前に出て、土産に人形焼を購い、ふらふらと浜町の方に向かって歩き、隅田川に出る。なかなか清々しい。しばし河岸を歩き両国橋に着くと、ネズミがノロノロと歩いている。両国橋の対岸にはもゝんじやが見える。あそこで食った狸汁は臭かったなあという記憶がふと甦る。柳橋を渡り、船宿の井筒屋の前で番頭をしているネコに軽く挨拶して、漫歩江戸通りを北へ。蔵前の喫茶店「らい」はもう店じまいしてるだろうと思いながら店の前まで行って、「昼間の営業は終わりました」の張り紙を確認する。佐竹通りのアーケードを通って南へ折返し、和泉橋を渡って明石屋でアイスコーヒー。



山手線内に入って外堀通りを南に進み、神田を過ぎて東京駅へ。先日閉館した逓信総合博物館は静かに佇んでいた。小半時ほど丸善を素見し、中央線にて帰る。

帰宅して井上有一の画廊について少しく調べてみると、つい先日まで小山登美夫ギャラリーなどでも展示されていた他、「秋の井上有一展」と題し、三会場で同時開催などという熱狂ぶりを呈していた。比較的に本棚の取りやすいところに見えたので、久しぶりに『日々の絶筆』をめくってみる。



Friday, October 18, 2013

烏山住宅



世田谷文学館までは家から歩いて1時間半ほどかかった。烏山駅を越えて見えてきたガランとした空き地は、前川國男設計の烏山団地があった所かと思いながら素通りし、まずは文学館のロビーで小憩する。

現在、世田谷文学館は幸田文展。幸田文といえば、個人的には映画の『流れる』。映画化作品の展示コーナーには、中古智によるセットデッサンなどもある。普段はサイン本の有難味などは全く解さないのだが、流石に成瀬巳喜男様と書かれた謹呈本はかなりヤバイお宝だろう。そして、山田五十鈴、杉村春子の両先生に高峰秀子などのサインが染め抜かれた『流れる』映画完成記念のれんとか果たして市場に出たりしてるのだろうかと、気になったりした。『おとうと』の脚本家である水木洋子宛の書簡などはさらっと。それにしても、やはり露伴の筆が良い。酒の字百体の下書きなど、甚だ堪らないものであった。

恩地孝四郎の朔太郎像を挟んで、文学館のコレクションの方は「旅についての断章」というテーマの展示。北杜夫の繊細な線で書かれた細かい字のノートもさることながらが、父茂吉のトランクが良い。グリニッチヴィレッジにて並んで古本をあさる植草甚一と岡本喜八の写真なんてものもある。そして、ムットーニのからくり劇場が面白かったことを忘れずに書いておかねばなるまい。

文学館を出ると既に暗くなっていたので、乗り物に乗って帰ってしまおうかとも悩んだが、ひとまずは仙川を目指して歩く。先ほど遠目にスルーしてしまった、雑草の生い茂った烏山住宅の空き地を抜けて、商店街に出る。人気の肉屋はとっくにコロッケが売切れているので、代わりにエビグラタンコロッケを買い食いして歩く。すっかり日が暮れた甲州街道は、今日もムクドリの大群で賑やかであった。

Thursday, October 17, 2013

築地川



築地に行くため早めに家を出たので、有楽町で電車を降り、空也の最中を購う。若かりし大空真弓さんのようなおかみさんに、ちゃきちゃきと一箱だけ包んでいただいて、銀座7丁目からは真直ぐ築地へ歩く。そのまま正門から市場に入り、場内でアジ穴子フライ。やはり美味い。ターレを華麗に操る市場のお兄さん方がなんとも男前である。

築地から北へ向い、あかつき公園を過ぎるあたりで鳴り出した正午の聖路加の鐘が、どことなく不安げに聞こえる。京橋の方に少しそれて野暮用を済ませ、江戸橋を渡って津多屋の様子を確認。一週間経って一階ファサードは総はがしの状態となっている。東神田の方へ回って美倉橋を渡り、おかず横丁を過ぎてから、三味線堀を抜けたあたりで御徒町寄りに進む。



やはりハードな下町は良いなと思いつつ、多慶屋裏側から焼肉屋街へとディープ上野の一端をかすめて上野駅前まで歩き、高級喫茶古城で小憩。時間的に午後の打合せの頃合だったので、偉そうな上客の声などに少し胸を痛める。小半時ほど休んで、国立西洋美術館を訪ね、常設展のコルビュジェ特集を観た。クセナキスによる万博パビリオンのビジュアル・ポエムのプロジェクションが、コルビュジェの建物に投影されるというのは何とも贅沢なものである。曲はヴァレーズ。それにしても、やはりピカソの「ラ・ガループの海水浴場」の青がたまらない。



西洋美術館を出た後は、芸大を抜けて桜木に出るが、なんとなくオシャレになってしまったカヤバ珈琲をスルーすること2度目となった。街中のポスターで朝倉彫塑館がそろそろリニューアルすることに気付いたのは、このあたりを歩いた甲斐というものだろう。ギャラリーの汐花に向かうために地図を見ていると、すぐ近くに大名時計博物館の名前が目に入る。それは確かGMT47の谷中寮だったよなと気付き、しばし見学して行った。汐花では渡辺克巳と原芳市の写真展。渡辺克巳の歌舞伎町一番街の出前のコがなんともいい。また、80年の江戸アケミの姿、秋山祐徳太子の選挙ポスターなども見ることが出来た。

それにしても根津の町があまりに素敵なので、「殺伐としていない下町はいいな」とか、掌を返したように思ってしまう。何しろ、先ほどは好感を抱きつつも、あそこで自分が生き抜くことができるのか少し不安であったことだし…、などと考えるうち不忍池の西岸に戻り、帰路には上野公園前から小滝橋行のバスなどに乗ってみた。山手線内を横断する夕方のバスの所要時間は約1時間。小滝橋から東中野駅までは徒歩で12分ぐらいであった。

Thursday, October 10, 2013

牛込濠



真夏日の寒露に引続き、本日もまだまだ暑い。天文台からもまだ蝉の声が聞こえてくる。所用を済ませ、電車を有楽町で降りて銀座の方へ歩く。いつもながら銀座は香水の匂いが鮮烈である。昼食には歌舞伎座裏のアメリカンでサンドイッチをいただく。半分をお持ち帰りにしても尚、腹ごしらえにも程があるだろうという恐ろしいボリュームである。そして何しろひじょうに美味い。

付きの運転手を待たせるなんてシーンは、滅多に見ることのない人生であったが、銀座となるとそこらじゅうで見かけることになる。あまりに現実感とかけ離れ過ぎているので、運転手を待たせて店に入っていく様子などを見ると、思い出してしまうのは下山事件というレベルである。



先日、内堀通りで見かけた四ツ谷行きのバスに乗ってみようと思って調べてみると、晴海から勝鬨橋を渡って来るというルートのようなので、築地の方まで少し迎えに行ってみた。銀座でほとんどの人が降り、前の席に移って景色を眺めて進んだ。

バスを終点の四ッ谷で降りて、そのまま外壕を時計回りに辿る。ここらあたりは、中央線から見慣れた壕の区間だが、壕越しに電車が過ぎるのを眺めて歩くのも悪くない。神田川に合流するあたりで壕端は離れることにして、本郷の方へ向う。名曲喫茶麦で一休みしていると、五時を過ぎてちらほらと晩酌が始まり、顔見知りがちょいと挨拶を交わしてしている。フライの揚がる音がなんともいい。素面のこちらはそろそろお暇することにする。

Tuesday, October 08, 2013

半蔵壕



日中、都内は30℃に迫る暑気であった。神田から日本橋方面へ歩き出し、昼をどうしようかと小伝馬町の津多屋をのぞいてみると、店の中ががらんとして、工事の人が入っている。丁寧にやっているので、改装なのかもしれないが、畏れていた事態が訪れてしまった可能性も捨てきれない。改装だとしても、それはそれで残念だが、やむなしということにしたい。無念の思いに打ち震えながら、先日買い損ねた清寿軒のどら焼きを買って、こちらも先日行き損ねた来福亭を訪ねる。

最後の客となり、暖簾をさげられたところで、御用談に来た人の様子を見ると、先週の臨時休業は、どなたかの御不幸だったのだろうか。メンチエッグを平らげ、人形町から八重洲に向かう道すがら、久しぶりに桃乳舎の前を通る。こちらは全く健在なようなので胸を撫で下ろす。それにしても津多屋を見た後だと、桃乳舎の看板建築がとんでもなく堅牢に見える。



飯田橋駅まで電車で戻り、本日も総構えシリーズの続き。千鳥ヶ淵から内堀の西側を歩く。インド大使館の門番というか門詰めの爽やかなインド人の青年が、暇を持て余しながら手に持ったラジオを聞きいている。三宅坂を過ぎ、憲政記念館の霞ガーデンで小憩して行こうと思ったのだが、「本日は御食事のみ」とのこと。そのまま和田倉噴水公園まで歩き、しばし噴水を眺めてから丸ノ内中央口に帰った。

Friday, October 04, 2013

仙台濠



昼過ぎに家を出たものの、野外は17℃とめっきり肌寒く、キンモクセイの香りが凄い。水道橋駅を降りて神田川沿いをしばし歩き、元町公園のご機嫌を久しぶりに伺う。グネグネと歩いているうちにいつの間にかサッカー通りに出て、いちごシャンデのオザワ洋菓子店を過ぎる。春日通りを東へ進んで湯島天神に拝してから、男坂を下りてそのまま真直ぐ御徒町まで歩む。ガード下の御徒町食堂でハンバーグ定食。隣の若者が「あ〜、やっぢまっだ〜〜」と壮絶に痛恨の思いにかられていたのは、大根おろしにソースをかけてしまったからのようだ。そして痛恨氏に同席していた若者のとりみそ丼が気になる。



ガード沿いをそのまま北にアメ横を歩く。途中、ふっと聴こえてきた『暦の上ではディセンバー』は、やはりアメ横センタービルのあたりだったのだろうか。すっかり振り返って見るのを忘れていた。けっこうしっかりした雨が降ってきたので、国立博物館に入り、ぐるりとまわってくる。御徒町に戻って、純喫茶丘にて小憩。その後、神田から人形町まで歩いてみたものの、訪ねてみた来福亭は臨時休業であった。なんとなくサンドウィッチパーラーまつむらで傘寿の双子のご様子を拝み、パンを購い帰る。

Thursday, October 03, 2013

弁慶濠



遅い昼飯の前に、市ヶ谷駅を南に下り、清水谷公園を抜けて赤坂見附の方へ歩く。現存する外堀の中でも、個人的に縁の無かった弁慶濠の景色はかなり新鮮に映る。この辺が星岡なのかと息を切らしながら日枝神社の丘に登っては下り、溜池から外堀沿いに戻って霞ヶ関ビルへ。焼きスパゲッチ・ミスターハングリーにてきのこバター醤油をいただく。こういうのは良い。霞ヶ関ビルを出て、文科省の中庭を抜けるとさざれ石がある。新橋まで歩いてSL広場で古本まつりをぐるり。



今日は古本まつりを素見しがてら、曽根中生監督の『わたしのSEX白書 絶頂度』をロマン劇場で観るために新橋までやって来たのだが、なんだか諸々と調子が合わず残念ながら見送る。その後、神田まで歩き続けて、復興小学校らしきモダンな常盤小学校裏の公園でしばしネコに相手をしてもらう。ガード下、東北縦貫線の工事が進んでいるなと思いながら歩いていると、なかなか良さそうな路地があり、ちょいと足を踏み入れてみるとそこは『あまちゃん』の無頼鮨界隈であった。



Tuesday, October 01, 2013

二重橋濠



お茶の水から神保町に歩き、中華そば伊峡で野菜イタメライスの昼食。北の丸公園に向うと遠くから行列が見え、武道館だから国体かと思ったが、アイドルのイベントのようである。雨まじりに東御苑の奥を廻り、そのまま皇居前広場を南の方へ玉砂利を踏みしめて歩いていると、ふと頭の中に“I don't wanna holiday in the sun♪”なんて詞が流れてくるので、少し恥ずかしくなる。もしかして桜田門を通ったのは初めてかもしれない。キンモクセイが咲き始めた日比谷公園を回って有楽町に戻り、はまの屋パーラーでタマゴサンド。つい美味さに顔がニヤけてしまうので困る。八丁堀から霊岸島を少し回り、東京駅で国技館焼鳥を買って帰る。