Saturday, December 26, 2015
Tuesday, December 22, 2015
Thursday, December 17, 2015
砂渡し
12月13日。西日本ではまだまだ日の出は遅く、松江で7時7分である。早朝の松江の歓楽街では、烏を制した鳶がバッサバッサとゴミを漁っている。朝7時半の各停米子行きは、かなりゆったりしている。やや小雨混じりだが、空は少し焼けていて、中海の向こうにたなびく雲が朝靄と相俟って、神話の風景のようでもある。米子駅で境線に乗換えると、車内アナウンスは鬼太郎と猫娘に変った。
境港駅前に鎮座する水木先生の銅像のお言葉は「なまけ者になりなさい」。亡くなって間もない水木先生だが、追悼の儀は一通り終わった様子。朝まだ早い水木しげるロードを歩きながら、頭の中を「砂渡し爺」が流れる。商店街を少し外れ、境水道まで歩いて、喫茶ポパイでモーニング。境港は観光の町で、あまり居場所を見つけられない感じであったが、風呂付きの喫茶ポパイは和む。店の前の水道を隠岐から来たジェット船が過ぎる。港よりのささやかなスナック街には、カフェーの鑑札なども残っている。境港に来る前に地図を見ていて、この辺は植田カメラが多いなと思っていたが、やはり植田正治がはじめた店のようである。現在は県内に4店舗あるらしく、出身地である境港にも立派な店舗があった。
Wednesday, December 16, 2015
ぼうげつ
宍道駅からは山陰線に乗換えて松江。松江は完全に雨模様である。高架を走る列車からも松江城は見えたが、もう少し近くまで行ってライトアップされた国宝の天守閣を眺める。いい感じに腹が減り切ったところで、カツライスを求めて「ぼうげつ」へ赴くと、本日二軒目の臨時休業。しんとして真っ暗なぼうげつの佇まいも良いものの、残念なことであった。変わりに堀川端の橘屋本店でカレー蕎麦を啜る。田舎風の黒くてもっちりした蕎麦のカレー蕎麦は新鮮な味わいである。雨の中、無料案内所も閉まっているこじんまりした伊勢宮の歓楽街を素見して松江駅前の宿に投宿する。
ホテルのフロントでもらった新聞の山陰中央新報によれば、松江駅構内の商業施設は昨日リニューアルオープンしたばかりらしく、今日の昼間には浜田真理子さんのミニコンサートも開かれていたとのこと。ただし、夜の8時過ぎには早々に店じまいしており、観光客らしき人々は軒並み「閉まるの早い」とぼやいている。やむなく300メートルほど先のイオンまで遠征し、木次コーヒー牛乳などを買い出して宿に戻った。
リミット
三次を出ると、少し小雨まじりになる。芸備線も本格的に閑散区間に入って、車内を見渡してみれば、ほぼ物好きな乗客である。車中読書が西村京太郎というなかなかのベタな客の姿も見える。庄原を過ぎて極端な徐行運転となるが、この辺りの路線も一度路盤が崩れたりすると立ち直れなくなるかもしれないので、慎重な運用もやむを得まい。西城あたりから地元の人らしき撮影隊がドカドカと乗り込んできた。何のイベントか、内から外からカメラが構えられて落ち着かない列車となった。
備後落合から先は極端に本数の少ないエリア。ここから更に新見まで進む芸備線も魅力だが、今回は久しぶりの木次線で山陰に向かう。1本乗り過ごすと恐ろしいことになる備後落合の駅構内には、近隣の中学生が描いた「タイムリミットあとわずか」という素敵なポスターが飾られている。
木次線は何年ぶりだろう。宍道駅まで約3時間。極端に感じるほどの徐行で列車は進む。落合を出たあたりは杉と松ばかりなので山は緑だ。出雲坂根駅のスイッチバックを下りて、あたりの気温は6℃。道中、木次までで出入りがあったのは亀嵩駅のみである。閑散とした区間といっても、もう少しお婆さんの利用ぐらいはあるものだが、全く住民の足という感じはない。木次からようやく息を吹き返した列車は、午後五時半を過ぎて真っ暗な宍道湖に到着した。
ラッキー映劇
芸備線を終点の三次駅で下車し、町の中心である三江線の尾関山駅の方へ歩いていると、映画館跡らしき姿をとどめている建物がある。かすれた看板からはラッキー映劇と読める。切符売場の上に残ってしまった「本日上映中」という赤いプレートの虚しさが味わい深い。馬洗川を渡ってすぐの横道の松原稲荷通りという素敵なスナック街を往復し、商店街に戻ってまたそぞろ歩く。辻村寿三郎美術館から出てきた学芸員らしきお姉さんに挨拶され、会釈を返す。どう見ても観光丸出しの風体をして町をうろつきながら、町の目玉の施設へは寄って行かないことに申し訳ない気分になる。
馬洗川の橋を戻り、昼の目当てにしていたお食事処今友は無念の臨時休業。ただし、やっていないと思っていた喫茶ナカモトでゆっくりすることができた。ナカモトは佇まいもトーストセットも何もかもが素晴らしい。おしぼりが自家製の今治タオルというのも何だかいい。古い街道らしき本通り商店街を歩いて三次駅に戻る。三次からはさらに芸備線を備後落合まで進む。三次駅を出てすぐ、古く錆びついた転車台があった。
喫茶 潮
12月12日。せっかく土曜の朝を広島で迎えたので、オープニングだけでもと、広島ホームテレビの『週末喫茶アサブランカ』を目にして宿を後にする。流川〜中新地と、朝の歓楽街を眺めつつ、京橋町の喫茶潮まで歩き、味噌汁付きのBモーニングをいただく。潮はウインズに近い店で、店内には競馬チャンネルが流れ、カウンターにはマークシートが常備されている。2人続けてゆで卵の塩を忘れたことに恥じ入るママの様子が素敵である。潮の正面にあった京橋会館も今や高層マンションになり、純喫茶パールのあたりには巨大なホテルが完成しようとしている。
広島から出る芸備線の三次行普通列車はキハ40の二両編成。なかなか混むのだなと思っていたが、3駅目の安芸矢口駅でかなり空いた。キハはやはり暑いぐらいだ。それにしてもこの辺りはかなりの駅で列車交換をする。芸備線は開業百周年であるらしく、蒸気機関車を配した垂れ幕が各駅にかかっている。沿線には瓦屋根に立派なシャチのいる家か多い。少し赤瓦が増えてきたと思ったら、いつのまにか分水嶺を越えていて、江ノ川が北に向かって流れていた。
Tuesday, December 15, 2015
第一劇場
午後の3時を過ぎたので、ひとまず平和大通りの宿に投宿。広島での夕べは、横川銀映の成人映画と広島第一劇場のストリップのどちらでのんびりするか悩んだが、上映作がピンと来ないこともあって、近い方の第一劇場にしておく。常連さんらしき人々の屯するロビーを抜けて入場すると、ステージまわりのかぶりつきの席は、既に荷物が置かれて場所が取られている。開演を待つ薄暗いホールで、劇場の隅に座って聴くキャンディーズの『危ない土曜日』の素晴らしさに思わす胸が震えた。
昔、渋谷の道頓堀劇場で見た経験で、ストリップというのはただ後ろでぼうっと見てればいいものだと思っていたが、人もまばらな公演の場合には踊子嬢とのコミュニケーションが必要となり、ただ座っていればいいものではなく、参加すべきものとなる。12〜3人の観客の多くは踊子さんとも顔見知りのようで、貢ぎものがあったり、ポラの撮影を買って出たりと、和やかに公演は進む。4人のうちの最初のステージが終わって踊子さんから飴ちゃんをもらう。彼女も広島に着くと必ず「むすびのむさし」で若鶏むすび買って楽屋入りするらしい。女盗賊さんのステージでは舞台から投げられるハート型のクッションをキャッチしては投げ返すというやり取りも発生。でも最終的に開演前の危ない土曜日が掛かっている時の雰囲気がヤバかったとか言ってるのは恐らくダメな客だろう。
2時間あまりの公演を見届けた後、すぐ近くのお食事処新京本店に入り、元祖カレー汁にて晩餐となす。流川の歓楽街を少し素見し、イルミネーションで飾られた平和大通りを少し散歩して宿に戻る。昼間に「手作りのパン河内ベーカリー」で買ったシナモントースト、あんドーナツなどを夜食につまんで寝床についた。
銀映劇場
12月11日。早朝の羽田空港は、低気圧による強風により、途中で引返すかもしれないという警告で喧しい。乗り込んだ7時発の広島行は空いていて、隣は空席である。着陸態勢に入った飛行機が強風にあおられた時には少し気を揉んだが、着陸をやり直して15分ほどの遅れで広島に到着した。広島では広島で羽田行が引返すかもしれないことをしきりに警告している。
広島を訪ねるなら、先日亡くなった原節子の追悼に尾道の浄土寺まで足を伸ばそうかとも考えていたのだが、すっきりしない天気なので取りやめ。空港から最寄のローカル駅に行くバスは、遅れた飛行機を待っていなかったため、広島駅まで行くリムジンバスに乗り込む。駅で「むすびのむさし」の俵むすびとたまご汁で軽く腹拵えをして、まずは未乗の盲腸線である可部線を往復することにする。
可部線は基本的に郊外住宅線のようだが、山が近いのでなかなか錦秋感が楽しめる。列車は広島市街を北に進む。沿線には中腹をスライスした異様な山容の造成地もあれば、危険な蛇崩感のある素敵な山も見える。七軒茶屋駅のあたりまで奥まってくると、豪壮な瓦屋根の豪邸がちらほら現れた。終点の可部駅までぼんやり乗り通し、そのまま向かいのホームに止まっていた列車で折り返す。途中で交換した広島行はなかなかの混雑だったが、折り返して乗った上りは乗客も疎らであった。
広島駅に引き返す可部線を途中下車し、横川の駅周辺を少し散策。駅前のアーケード街の入口に、サンフレッチェのJ1優勝を祝う垂れ幕が掛かっている。昼めし時の横川は、そこら中からソースの匂いが漂う。ミニシアターの横川シネマ、成人映画の横川銀映と二つの映画館のまわりをぶらぶらと見て歩く。銀映で次回上映予定の『色情旅行 香港慕情』に魅かれつつ、現在上映しているプログラムはあまりそそらないラインナップなので、ひとまず保留した。
横川からは市電で八丁堀まで行き、午餐に「肉のますゐ」のハムライスとサービストンカツをいただく。食後にアーケードの金座街や本通をぶらついていると、古書店のアカデミィ書店の店頭に恭しく陳列された美能幸三の著書『極道ひとり旅』が目に入る。これはと思って、店内を物色してみたが、あまり関連するような書籍は見あたらない。『極道ひとり旅』は4万円なのでもとより手が出ず、保育社の『国鉄の旅/中国・四国編」などを買うに留める。新刊書店の廣文館もひとまわりして、えびす通りの喫茶店シャモニーモンブランで小憩。シャモニーモンブランのフロアを仕切るのは、婿入りしたというイギリスの方であった。
Sunday, December 06, 2015
Saturday, November 28, 2015
スカイウォーク
親族の集いでスカイツリーへ。入場するまでの行列には参ったが、あの高さは本当に凄い。おまけにスカイウォークさんつながりで『フォースの覚醒』祭が開催中であった。現地で解散し、錦糸町のトミイでホットケーキを食って帰る。
Thursday, November 19, 2015
Saturday, October 31, 2015
リリー
釧路駅から十字街の方へ向かう途中に立ち寄った古本屋の豊文堂で『日本伝奇地帯の謎』なる本を購入。店内に貼ってあったチラシで市立博物館で炭鉱写真展をやっていたことを知り、それに行っても良かったなと思う。繁華街まで歩き、レストラン泉屋にて昼食。スパカツというソウルフードは、トンカツの乗ったスパゲッティ・ミートソースがアツアツの鉄板にのってジュージュー言って出てくる。窓の外には小雪が舞っている。
食後は珈琲店リリーに移動して珈琲。カウンターには常連さんが3人。そのうち2人が帰ると、すぐに「なにあれ…」と、こちらへ首をしゃくりながら、面倒そうな常連さん2人が入れ代わりでカウンターへ。カウンターから離れて座っている自分への非難だったようで、カウンターを出るママの足は少し悪いようだった。リリーさんはライブやら何やらで毎日忙しくて大変そうだ。店内には昭和十年代のモダンな店の内外やウェイトレスさんの写真が飾られている。
リリーを出て、最後に釧路空港行きのバスの始発であるフィッシャーマンズワーフへ。次のバスまで一時間近くあるが、大して土産などを見る気はおこらない。隣接する港には護衛艦が停泊していてるので、少しだけ近づいて観察する。後で調べたら、補給艦『ましゅう』という艦はこの日一般公開していたようで、もっと近くまで行っていれば良かったらしい。
風はまだ少し強いが、台風は去って飛行機は無事に羽田に辿り着いた。昼に釧路のレストラン泉屋の窓から見たのはやはり雪だったようだ。釧路はこの日が初雪ということだった。
厚岸
釧路市街のタリーズにて朝食をとりつつ、昼に行こうと思っていた渋いラーメン屋の三栄軒の営業時間を再確認していると、先頃、郊外に移転していることがわかって消沈する。結局、昼の時間は気にせず、昨日と同じ快速ノサップで根室方面の厚岸まで行くことにする。繫ぎ用に駅で買った糠さんまのおにぎりが凄まじく美味い。風は強いが、昨日と打って変わって空は晴れわたっている。金色に光る枯野は美しいものの、森は暗くて濡れている昨日の方が味わいがあったかもしれない。
牡蠣弁当で有名な厚岸駅もまた、この夏をもってキオスクが閉店したとの張り紙が寂しく残っている。港まで出てみたものの、吹き飛ばされそうなほど本格的に風が強くなってきて、とても岸壁までは近寄れない。潮は厚岸湖の方に向かって凄い勢いで流れている。厚岸大橋までは思ったより遠そうだったので、適当に歩いたところで、純喫茶アポロにて小憩。店内には駅伝中継と有線の音が絡み合っている。音楽はアハの「テイク・オン・ミー」に続いて「ドント・アンサー・ミー」。その次は「ドント・ユー・ウォント・ミー」あたりかと思ったが、ヴァン・ヘイレンの「パナマ」だった。厚岸からは次の根室本線の上りで再び釧路へ。厚岸湖の先の湿原を再び見れなかったのは残念だが、曇った緑色の厚岸湾も美しい。空がまた何ともいい色で、地表に近い空の水色が絶妙に美しい。
鉄北センター
10月25日。昨日、根室本線を根室まで往復しておいたので、寝坊してゆっくり釧路を見るつもりだったものの、つい朝7時には目が覚めてしまう。ビタミンカステーラを齧りながらテレビのニュースを見ていると、昨日は札幌と稚内で初雪だったという。丸山動物園で動物が続々と死んでいる悲惨なレポートがどうにもいたたまれず、テレビはそこそこにして荷物をまとめ、早めに宿を発った。
昨夜訪ねて素晴らしかった駅北側の鉄北センターを復習していると、さらにその北側も飲屋街のようなので足を伸ばす。剥がれかけた看板を見ると鉄北銀座という文字が見える。こちらもなかなかの風合いで、鉄北エリアはなかなかの規模を誇る美しいスナック地帯であった。南口に戻って中心街の方へ向かう。途中、珈琲店リリーはまだやっていないようなので、タリーズの開店を待ちながら、朝の飲屋街をぐるっと回る。酔っぱらいの仕業なのか本気の仕業なのか、鮭を高らかに掲げた漁師の銅像が「定休日(毎週日曜日)」という札を一緒に掲げている。
Friday, October 30, 2015
釧路
根室からの上り列車を駅でのんびり待つことにして、出発時刻より少し早めに駅に戻って見ると、駅はクラブツーリズムのご老人方で酷く混み合っていた。この夏に廃業したばかりのキオスクのシャッターには、釧路出身の作家桜木紫乃原作の映画『起終点駅』のポスターがポツンと貼られている。ツアー客を乗せた満員の列車が根室駅を出発する。何だか変な列車に乗り合わせてしまったなと思っていたら、ツアーの皆様は最東端の駅である隣の東根室駅で降りていった…。夜になって一層列車の鹿笛は鳴りまくり、減速に次ぐ減速。とはいえ、釧路には定時に到着した。
釧路の駅前で宿を取り、荷物を降ろして外に出る。まずは駅の北側に回り、ポツリポツリとスナックの明かりが灯る鉄北センターを徘徊。寂びたスナック街がなかなかのボリュームを誇る素敵な一画である。7時も過ぎたので南口に戻って、夕食に食事処むらかみでホッケ定食。カウンターの中では北林谷栄さん風のお婆さんと渡辺和博風の息子さんが取り仕切り、テレビでは日本シリーズの第一戦。常連らしき釧路のみなさんはスワローズよりだが、力的にソフトバンクの優勝でしょうがないといった大勢だ。勿論、カウンターに置かれたティッシュボックスはファイターズではある。並びの常連さんが頼んでいるクジラの生姜焼きが激しくそそる。主人の話では、よく顔を見せていたクジラ関係の先生か最近来ないし、恐らく釧路にやってきていないのだろうということで、もうこれから調査捕鯨による鯨肉も入ってくるのかわからないとのこと。いい状態で冷凍したものに関してはまだあるのだという。
釧路の夜空はやけに赤い。歓楽街の末広町を少しぶらついて宿に戻り、何となくテレビをつけていると、常呂、網走、佐呂間などに続き、根室や別海にも暴風警報の速報が入る。駅前のバスターミナルの幟は激しくはためいている。
Thursday, October 29, 2015
根室
根室行の快速ノサップは釧路からなかなかの混みっぷり。向かいのホームからは湿原ノロッコ号が出発していく。釧路〜根室間は道内でもシカ問題の多い区間で、絶え間なく鹿笛仕様の甲高い警笛が鳴っている。釧路から根室半島に向かっても湿原は続き、雨のせいもあるのか緑がかった白樺の林もより水っぽく、釧網本線から見る湿原よりも味わいがある。厚岸湾を越えて、別寒辺牛川が厚岸湖に流れ込むあたりの湿地がまた恐ろしく素晴らしい。銭形警部がホームで見守る茶内駅に続いて、浜中駅では当地出身のルパン三世がホームで出迎え、今は使われていない出札口には不二子ちゃんの姿も見える。釧路から2時間ほど快速に揺られ、13時過ぎに根室駅へ到着。予報ではまだ雨ではないはずだが、どうやら雨に追いかけられているらしい。
根室駅から海の方へ下り、本格的な雨になる前に、根室の町を散策。濡れ鼠なので最東の古書店・榧古書店は前だけを通り過ぎ、飲み屋の連なる広小路も直線的にやり過ごしてしまいつつ、町外れの国後島海底ケーブル通信所跡まで歩く。雨中、ボロボロの通信所跡をぐるぐる眺め回していて、目の前にあった水産加工場のお兄さんに、これは有名なものなのか聞かれてしまった。
根釧国道から根室はなまる本店を素通りして町まで戻り、喫茶どりあんで根室のローカル洋食エスカロップをいただく。カツの下に敷かれたバターライスが美味い。どりあんも居心地がいい店なのだが、短い滞在時間を欲張って、食後の珈琲はジャズ喫茶のサテンドール。ジャズ雑誌の並ぶ書棚の片隅に映画館放浪記というファイルというのを見つけ、少し拝見させてもらうと、荻窪や西荻の劇場のチラシがコレクションされている。西荻には銀星座なる映画館があったらしく、広告は「アルサロBAR西荻プリンス」に「純喫茶紫苑」という素敵なラインナップであった。
Wednesday, October 28, 2015
柳葉魚
10月24日。霜降。網走の朝の気温は6℃。早朝の駅の待合室のモニターには、北海道知事がサハリンを訪問したというニュースが流れている。6時台の釧網本線釧路行はキハ54の一両編成。網走を出てすぐ列車がオホーツク沿岸に出ると、羅臼岳の方から朝日が登ってくる。河口は釣り人で大賑わいで、浜にも3メートル間隔で延々と釣竿が刺さっている。朝食にセイコーマートのようかんパンを齧りながら、オホーツク沿岸を東へ進む。このあたり、オホーツク側の海景もいいが、濤沸湖側の枯野っぷりもいい。
斜里を過ぎて釧網線が南へと進路を変えると、東にはうっすらと白い斜里岳が見えてくる。川湯温泉に向かって白樺の林間を進んでいて、『人間の條件』の満州の森を逃げる場面で、槍にしようにも柔らかい白樺しかないという話があったことを思いだす。林間を流れる平たい水の流れが北海道らしい。弟子屈を過ぎて席もかなり埋まってくる。これぐらいの乗車率なら減便の必要は無さそうな気もするのだが、釧網本線では来春に6本減便されることが報じられている。南弟子屈あたりで林間に鶴。9時も過ぎて、標茶からは学生の乗客も増えてくる。茅沼にはタンチョウの姿は見られず。塘路で列車交換のためにしばし停車のため、ホームに出て少し身体を動かす。塘路駅前の原野ぶりはなかなか素晴らしい。
10時過ぎに釧路に到着すると、雨がポツポツと落ちてきた。台風が近づきつつあるということで、明日に向けて徐々に荒れる天気を憂慮し、先に根室を回ることにする。根室行の出発まではまだ小一時間あるので、駅前の市場まで出て腹拵えする。シシャモ定食を頼み、食堂のカウンターにあった釧路新聞を開くと、一面に解禁されたシシャモの初揚げの記事。ということは、これからいただくのは初物ではないというで、いささかガッカリしながらも、本場のシシャモはかなり美味かった。
Tuesday, October 27, 2015
常呂
北見からはバスでオホーツク海まで出て常呂町へ。町への買出し帰りらしいお婆さん連でバスはそこそこ賑わっている。街道を60キロで走るバスは、普通に乗用車に抜かれていく。道中、お婆さんはしきりに土質の良し悪しについて解説している。ポン隈川あたりの自由下車区間で多くの杖をついた老婆の皆様が下車していき、終点の常呂までの乗客は3人であった。
湧網線が廃線になって出来た常呂のバスターミナルも、既に老朽化で取り壊されて今は改築中。仮説ターミナルの裏に広がるオホーツク海をしばし眺め、常呂の町をぷらっと歩く。知ってはいたつもりだったものの、実際に来てみても常呂の町域は広くはなく、とりあえずカーリングホールまで行って戻ってくる。常呂町内では、錆び錆びのシャッターの絵にカーリングのイラストを見たが、他はあまりカーリングを謳っている感じはない。道端のはまなすに赤い実がなっている。
日も暮れて、バスの時間までしばらくあるので、「コーヒーハウスしゃべりたい」にて小憩。何もない町に佇むカフェは、何ともオアシス感がある。店内は林立夫が表紙のドラムマガジンが立てかけてある。5時に店を出てバス停に戻る。オホーツク海の夕焼けが美しい。
網走に向かうバスに乗る頃はすっかり日が沈み、途中から乗る客はライトを振って合図している。バスは能取湖の西岸をぐるっと回っていると思うのだが、対岸と思われる遠くの幽かな明かりの前に、広大な空間があることぐらいしかわからない。網走駅に着いて駅前の宿に投宿。駅から離れた網走の繁華街まで足を伸ばすのは億劫なので、駅付近をブラブラして回転寿司に入り、本日のオススメの生ニシンやアオゾイなどを軽くつまんで宿に戻る。風呂上りにはセイコーマートで買った季節のソフト・北海道メロンをいただく。そして、北海道といえばハスカップのいろはすだろう。
Monday, October 26, 2015
北見
10月23日。羽田を出た飛行機が女満別空港に着陸し、網走駅行のバスに乗込むと、満席だった飛行機の乗客は一向にバスに現れない。発車を待つガランとしたバスの両替機で千円札を崩すと、出てきた硬貨はピリッと冷えている。バスは網走湖岸を通る。白樺の黄色い葉がまだ少し残っている。網走の市街に入り、ほどなく網走刑務所に差し掛かる。英語のアナウンスに直截「Next stop is prison.」と言われると、何かの暗喩のようでハっとする。
網走駅に着いて、次の石北本線の発車を待って待合室に入る。モニターには「あさイチ」で、ゲストは朝ドラに出演中の宮崎あおい。改札が始まって寒い構内に入る。清々しく寒いホームから乗込むキハ40の有無を言わさぬ暖かさがたまらない。遠軽行の列車は二両編成で、後部車両の乗客は4人。中吊りには来年の北海道新幹線開業の広告が出ている。暗い樹林の中に不意に現れる、へにゃっと折れ曲がった白樺の白さは殺伐とした味わいがある。
網走から1時間ほど乗車して北見。駅の土産店でざっと名産のものを見て、ハッカ楊枝などを購入する。駅を出て閑散とした駅前の片側式のアーケード街を少し歩く。「きなり」という食堂に入り、昼食に「北国のコロッケ定食」。店内はもう灯油ストーブが炊かれている。後から入ってきた常連さんが、ずらっと並んだ『静かなるドン』の50巻をすっと取って席に着く。ゆっくり出てきた定食は丁寧な味で、味噌汁や卵焼きも真面目に美味い。まだ少し時期は早いが、有線から「Do they know it's Christmas」がかかっているのも冬っぽくて良い。
昼食を終えて再び町を歩いていると、人だかりのしている菓子店があり、つられてふらふらと寄ってみる。店内では、わずかに残っている鮎のような菓子を、腰の曲がった老婆が取り憑かれたように買い漁っていて、1コも残さないんだな…と遠巻きに眺めていたところ、すぐに補充するというので少し待って購入。「ほっちゃれ」という鮎の鮭版のようなもので、他にも3万円以上も買っている人もいる。
アーケードの商店街を抜け、キャバレー太陽の看板も素敵なスカイビルを過ぎると、あたりは歓楽街となる。外まで響くカラオケの歌声につられ、ユニオンビル地下のスナック街を素見す。薄暗い地下街の赤く妖しげなリノリウムの廊下を、「ナイト・パブ・タイムスリップ」の波打つロゴに導かれる白昼のタイムスリップ感が目眩を誘う。他にもナイトインヒルトン、ナイトサロンエマニエルなど素敵なネオン管が町中に見られるが、夜には現役で光っている姿が見られるのだろうか。駅の方へ戻り、西銀デパートの地下名店街にて、シャンデリアが素敵な喫茶雅で小憩。隣の席のおばあさんが孫夫婦やひ孫と一緒に沖縄に行ってきた土産話をしている。
Sunday, October 04, 2015
Sunday, September 27, 2015
椰子の実
松阪からは快速みえに乗って鳥羽まで。賑わう駅前の磯料理屋をやりすごし、気のおけない感じの食堂に入ったものの、すぐに遊覧船から降りてきた人で殺到した。すっかり看板の文字の色も薄くなった鳥羽秘宝館の廃墟を通り、商店街をぐるっとすると、待合津の國なる妓楼跡が残っている。鳥羽城の丘に登り、城跡に建つアールデコな旧鳥羽小学校の鉄筋校舎を眺める。丘を下りると一つ隣の中之郷駅で、駅の反対に回ると伊勢湾フェリーの乗り場がある。
ターミナルの一画にはちょっとした伊勢湾フェリーギャラリーがあり、柳原良平の絵も一幅掛かっている。船室に入り、窓際を確保したものの、ついついモニターに流れているサンダーバードに、目がいってしまった。波にゆらゆらと揺られて、ウトウトしていると、船内のアナウンスで、「潮騒」の神島を過ぎることが告げられた。
伊勢湾を渡った伊良湖岬の浜は、「椰子の実」のモデルとなったらしいのだが、船着き場からは辿り着くのになかなか厳しそうな道のりだったので、道の駅でメロンアイスを食べてくつろぐ。渥美半島をバスで進むと回りは行き交う車両はトラクターだらけで、完全な農業国だ。三河田原駅からは豊橋行きの電車に乗る。すっかり勘違いしていたが、ステンレスの車両で名鉄っぽくないなと思っていたら、豊橋鉄道であった。
鳥羽から3時間半ほどかけて豊橋に到着し、駅前商店街の玉川うどんでカレーうどん。店内には『みんなエスパーだよ』のポスターがあり、「東三河出身の園子温監督が故郷で凱旋撮影!豊橋・豊川の魅力をスクリーンで満喫!」との惹句が踊っていた。豊橋からはガラガラのこだま自由席でのんびりと帰った。
Saturday, September 26, 2015
ところてん
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9月22日。朝の7時過ぎ、意外にも喫茶中村が開店しそうな雰囲気をたたえているが、何時開店するかわからないのを待つことができず、やむなく通りすぎる。津大門シネマの跡地を見に行くと、来月に幸福の科学の映画を上映するらしい。廃映画館に入場できる貴重な機会だとは思うが、いささか悩ましいという方もいるだろう。
近鉄と並んだJR津駅のベンチに座り、列車を眺めていると、名古屋方面のビスタカーはガラガラで、賢島行きの特急は混合っている。参宮線に直通する4両編成のキハ48は、後ろ2両がガラガラ。阿漕で2本交換をしてから、列車は多数のカメラマンに見送られて雲出川を渡った。
松阪駅で下車し、駅前のベルタウン商店街をうろつき、喫茶光でモーニング。商店街を奥まったところで、成人映画館の松阪大映を見学する。上映がはじまる1時間ほど前だったので、周囲をゆっくり見学した。少し場内を覗いてみると、重ねて貼られた近日上映のポスターの地層の一番下に「リボルバー」の沢田研二の顔が見えた。上映中の作品は『ところてんの女』他3作。なかなか素敵な劇場だった。
映画館から色っぽい町を抜けいくと、青年時代を過ごした小津安二郎を記念した小津安二郎青春館がある。こちらもまだ開館前なので、前を通り過ぎるが、外観は大した見物ではない。旧伊勢街道を北に戻り、少し歩き疲れてきたところで、はちみつアイス最中。商店街には故障中と表示された本居宣長人形が駅鈴を手に固まっている。松阪城の宣長旧宅にはまたいずれ来たいと思う。
9月22日。朝の7時過ぎ、意外にも喫茶中村が開店しそうな雰囲気をたたえているが、何時開店するかわからないのを待つことができず、やむなく通りすぎる。津大門シネマの跡地を見に行くと、来月に幸福の科学の映画を上映するらしい。廃映画館に入場できる貴重な機会だとは思うが、いささか悩ましいという方もいるだろう。
近鉄と並んだJR津駅のベンチに座り、列車を眺めていると、名古屋方面のビスタカーはガラガラで、賢島行きの特急は混合っている。参宮線に直通する4両編成のキハ48は、後ろ2両がガラガラ。阿漕で2本交換をしてから、列車は多数のカメラマンに見送られて雲出川を渡った。
松阪駅で下車し、駅前のベルタウン商店街をうろつき、喫茶光でモーニング。商店街を奥まったところで、成人映画館の松阪大映を見学する。上映がはじまる1時間ほど前だったので、周囲をゆっくり見学した。少し場内を覗いてみると、重ねて貼られた近日上映のポスターの地層の一番下に「リボルバー」の沢田研二の顔が見えた。上映中の作品は『ところてんの女』他3作。なかなか素敵な劇場だった。
映画館から色っぽい町を抜けいくと、青年時代を過ごした小津安二郎を記念した小津安二郎青春館がある。こちらもまだ開館前なので、前を通り過ぎるが、外観は大した見物ではない。旧伊勢街道を北に戻り、少し歩き疲れてきたところで、はちみつアイス最中。商店街には故障中と表示された本居宣長人形が駅鈴を手に固まっている。松阪城の宣長旧宅にはまたいずれ来たいと思う。
Friday, September 25, 2015
安濃津
大阪から新快速に乗換え、草津線に乗り継いで三重県に入る。空いてきた草津線でづか乙女を摘むが、個人的には乙女餅の方が美味い。三雲駅を過ぎると田圃の畦に彼岸花がびっしり咲いているのが見える。甲賀市に入ると、飛び出し坊やが忍者になった。
草津線の終点柘植駅からは関西本線の亀山行に乗車。このあたりは加太越と言われる区間で、山間の景色が楽しい。紀勢本線に乗継ぐ亀山駅の外を見ると、駅前のビルがやけに味わい深いので、少し下車して覗いて行く。ビル内のパーラー尚も営業中で気になったが、日も傾きかけているので、ここは先を急ぐことにする。
津に来たのは、恐らくはじめて。バスで中心街に向かい、蜂蜜まんの閉店にギリギリ間に合う。残念ながら隣の中村洋品部(喫茶中村)はびっしりとシャッターが閉まっている。津の町は大型連休とは一線を画し、閑散としている大門商店街を抜けて、玉吉餅店でみたらし。やじろは終わっている。日が落ちて、カラスとムクドリの我が物顔ぶりが酷い。街道のホテルに投宿し、消費量が日本一だという津のうなぎをいただこうと町に出るが、連休もかまわず平常運転の定休でうなぎ屋2軒にふられつつ、なんとか営業している店を見つけて、鰻にありついた。後から考えると、はちみつまん、玉吉餅店がやっていただけでもラッキーだったのかもしれない。
Thursday, September 24, 2015
ふうりゅう
9月21日。早朝、隣の温泉寺から鐘の音が聞こえ、続いて読経の声が響いてきた。バスターミナルから宝塚行の路線バスに乗ると、すぐに有馬わんわんランドの廃墟を過ぎる。バスは有馬唐櫃線というひたすらカーブの続く山道を下って行く。登りの車線には軽快に高回転で回すクライマーの姿も見える。六甲の山がこれほど岩がちな山だったのは驚きであった。
40分ほどで宝塚に到着すると、花のみちのルマンにて、朝食にサンドイッチ。店内はほどなく満席となり、観劇前の奥様方や、どこか男役風な凛々しい女性客などで賑わう。大劇場のロビーを少し素見してから、花のみちを戻り、乙女餅とづか乙女を購い、宝塚を後にする。
阪急の宝塚駅の発車メロディは今津線が鉄腕アトムで、宝塚線が「スミレの花咲く頃」。ホームの端では、音楽学校の女学生さんがお辞儀をして入線する列車を迎えている。鉄腕アトムのメロディに乗って列車が出る。話には聞いていたが、女学生さんは空いている車内でも背筋を伸ばしたまま起立して乗車している。遠くには仁川の競馬場で客のうごめく様子も見える。門戸厄神で下車して、駅前の喫茶店ロワールにて小憩し、西宮北口まで歩く。商店街を抜けて駅前に出ると、かすかにハルヒたちが集合していた広場の面影を感じる。
ニシキタからは神戸線で十三へ行き、昼食に阪急そばのポテカレーうどん。喫茶なにわは残念ながら支度中の札が下がっていて休みのようだ。東口のアーケードには、ジャノメミシンの店頭で美心ちゃんなるマネキンの看板娘が悲しげにミシンをかけている。西口に回り、大通りを渡ると、あたりはちょっとした歓楽街。巨大な看板で「アルサロ」という言葉が現代にもまだ残っていることを発見して感動する。それも店名が風流というから素晴らしい。
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